2018/06/05 改訂版 「親を捨てよ 家を出よう」「大学には行った方がいいの?」「好きなことをして生きるは正解か」を追記

寺山修司

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「話し合い」より「黙りあい」

私は、現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて、むしろ「黙りあい」だと思っている。 東京零年 インターネットの普及で、誰もが手軽に発信できるようになった今、この言葉が書かれた昭和の時代に比べたら、「話したい(=書きたい、表現したい、認められたい、etc)」という衝動はいっそう強まったよう […]

本当は自由なんかちっとも欲しくないくせに

良も、自由に憧れるだけ、本当のところ、自分が何を為すべきか、この世に何が必要かなど考えちゃいない。自由という言葉がもつ開放的な響きに憧れているだけで、自分の立ち位置や本当の望みさえ分かってないような気がする。『自由』は他人に認めさせるものではない。己の中に深く静かに宣言するものである。

それでも、蛍は光を灯しつづける

蛍の光で書物を読むのは、蛍ではなく人間である。 蛍は自分の光で、自分を照らすことなどできないし、その光で自らの道を照らすこともできないであろう。 それでも、蛍は光を灯しつづける。 さかさま博物誌 青蛾館 さかさまシリーズ (角川文庫) これは自身のことだろう、とつくづく。 世の中には、「役に立つ言葉 […]

人生以上、人生以下 寺山修司の『邪宗門』

この箇所で一番好きなのは、『人生以上でも、人生以下でもない』という表現。 存在の虚しさ、他者との関わりの空疎さを、一言で表せば、人生以上でも、人生以下でもない、となるだろう。 悲しい時に笑ったり、女房に相手にされないので人形相手に暮らしたり、現実にそういう暮らしをしている人は少なくない。

母の呪いと子の彷徨 愛憎の輪廻 ~寺山修司の『身毒丸』

寺山修司の作品を読んでいると、母親というのは、それほど醜悪で、身勝手なものかと哀しくなってくる。 そこには、夜なべをして手袋を編んでくれるような、優しい母の姿はない。 放校されたエジソンに、根気よく理科や算数を教えるグレートマザーの姿もなければ、我が子をかばって猟師に撃ち殺される、健気な母鹿の姿もな […]

すでにできあがった権威であり、ゆるぎない古典だからである 『ベートーベン』

ベートーベンは楽聖である。私がベートーベンを好きになれないのは、野球のジャイアンツ、相撲の大鵬を好きになれないのに似ている。それは、すでにできあがった権威であり、ゆるぎない古典だからである。ダ・ダ・ダ・ダーン。「このように運命は戸を叩く」とベートーベンはシントラーに語っている。 だが、運命はノックし […]

懐かしのわが家(遺稿)

ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう 青森市浦町字橋本の小さな陽あたりのいい家の庭で 外に向かって育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを

全人的な意味での革命とは、本当に自分が望んでいることが何かを知ること

政治的な革命というのは部分的な革命にすぎない。全人的な意味での革命とは、本当に自分が望んでいることがなにかを知ることから始めなければならない。 - 言葉が眠るとき、かの世界がめざめる - 両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫) 政治でも、企業でも、「変わろう、変わらなきゃ」という掛け […]

インテリは回っているけど、前進しない

それは、たとえば進歩的文化人を連想させることができる。「まわっているが前進しない」からである。ふつう、私たちは輪が回転するとき、その分だけ距離を獲得し、前進すると思っているのだが、風車はまわってもまわっても前進せず、他からの攻撃に対してはかたくなに身を守ろうとする。

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