鉱山会社の寡占と海洋情報ネットワーク

小説

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。詳しくは作品詳細タイトル一覧をご参照下さい。

Introduction

海底鉱物資源の採掘の成功に湧く中、ファルコン・マイニング社が広大な海洋資源調査権を取得し、北方の巨大な火山島、ウェストフィリアの探鉱に乗り出す。MIGとファルコン・グループは因縁の間柄、寡占、脅迫、環境汚染、人権侵害、鉱業局の支配など、黒い噂も多く、リズはマイニング社の進出に心底怯える。リズの置かれた厳しい立場と、トリヴィアの属領としての弱さを知ったヴァルターは、彼女とMIGの安全を守るため、海洋情報ネットワークの構想を思い付く。生き字引のようなダグとガーフからアステリア開発史と鉱業の現状について聞いたヴァルターは、彼女のこともそっちのけで草案に取り組む。
一方、放ったらかしにされたリズはだんだん不安になり、実は遊ばれているのではないかと彼の誠意を疑い出す。そんな中、伯母であり、MIGの会長でもあるダナ・マクダエルからトリヴィアに帰還するよう求められ、リズはいっそう不安を募らせる。そんな中、アステリアの海洋行政の関係者を集めて、海洋情報ネットワークのプレゼンテーションが開かれる。

Quote

インディラと話した後、夕食に行くと、食堂では作業員らが壁掛けTVから流れるニュースに釘付けになっている。
ディスプレイには北の高緯度に位置する島の地図と、周辺の海底、および島全土に散在する金属資源や天然ガスなどの分布図が映し出され、先週、ファルコン・マイニング社がアステリアのウェストフィリア島全土、約三五〇〇〇平方キロメートル、および周辺の海域四〇〇キロメートル四方に渡って海洋資源調査権を申請したことが報じられている。認可が下りれば、来年春より金属資源探査を目的とした本格的な調査が開始される予定で、活動拠点として、年末にも、ローランド島ニューベリー湾沿岸に建設中の高層オフィスビル『スカイタワー』にアステリア支社をオープンするという。
ファルコン・マイニング社は既に六百億エルクの活動資金を保有し、八〇億エルクを資源探査、鉱量把握試錐、陸上選鉱設備や付属港湾設備の建設に当てるらしい。
ウェストフィリア海域の金属資源のポテンシャルは膨大で、特に海底の硫化物鉱床については、一日平均九千トン、一トンあたり九十五エルクの請負採鉱を計画しており、産業界から注目が集まっている、とのことだった。
ニュースが終わると、食堂がにわかに騒がしくなり、
「意外と早かったな」
「一日平均九千トンって、ここの倍じゃないか」
「あんな極地に採鉱基地など建設できるのか」
誰もが不安と懐疑を口にする。
彼はたまたま近くに居たダグとガーフィールドの隣に座ると、
「ファルコン・マイニング社って、そんなに大きな会社なのか?」
と尋ねた。
「鉱山会社としての規模は世界第四位だが、ニムロディウムに関しては採鉱から販売まで市場の九割を独占してる。やってることは阿漕(あこぎ)だが、ニムロディウムが無いことには宇宙船も飛ばないからな」
「なぜマイニング社だけがここまで巨大化したんだ?」
「第一にニムロデ鉱山というバカでかい鉱床を手に入れた。しかも彼らのバックにはクレディ・ジェネラルという巨大金融グループがついて、ありとあらゆる業界にコネクションがある。第二に、採掘した原鉱を粉砕して分級洗浄し、高品位の精鉱を回収するノウハウに長けている。つまり、違法採掘でトラックいっぱいにせしめても、そこからニムロディウムを豊富に含む精鉱を分離する技術がなければ使い物にならないということだ。他にもニムロイド鉱石を採掘している会社は幾つかあるが、マイニング社に比べたら、鉱床の規模も選鉱技術も遠く及ばない」
「だが、なぜウェストフィリアに? 陸地の大半が氷原みたいな高緯度の島で、港も、道路も、何も無い所だろう。そんな島で採鉱を始めようと思ったら、インフラを整えるだけでも莫大な経費が必要じゃないか」
「オレが思うに、ウェストフィリアは口実だね」
ダグがコーヒーをすすりながら言った。
「海洋資源調査権なんてのは、あくまで通行手形に過ぎない。たとえ魚一匹しか見つからなくても、結果はさほど重要じゃないんだよ。それより進出の足がかりとしての意味合いの方が大きい」
「どういう意味?」
「アステリアは経済特区だから、企業活動には細かな規約がある。『税制の優遇や公的扶助を得られる代わりに、事務所や倉庫は区内に設立しなければならない』「最初の一年間で収益の数パーセントから数十パーセントを投資をしなければならない』『技術系従業員の四十パーセントをトリヴィア領内から雇用しなければならない』等々。投資や減税目的にペーパーカンパニーを作ったり、用地を買い占めたりするのを防ぐためだ。そこでアステリアに進出するための手っ取り早い方法の一つに『海洋資源調査権』がある。調査するだけだから、特区法で定められた投資も、企業監査も、従業員の雇用も必要ない。期限の半年間、申告した条件で調査を行い、そのデータを開発局に提出するだけだ。調査に必要な施設や設備は比較的自由に持ち込めるから、とりあえず権利を取得して、その間に足場を固めればいい。マイニング社も調査の拠点としてローランド島にオフィスを開設し、ウェストフィリアの資源調査に取り組む傍ら.事業拡張の準備を進める手はずなんだろう」
「だが、そんなことをすれば、誰でも調査権を掲げて進出できるじゃないか」
「民間企業がアステリアで海洋資源調査権を取得し、調査を継続するには、開発局に『調査費』を上納しないといけない。一キロ平方メートルにつき月額三百エルクだが、調査範囲が千キロ、二千キロにも及べば、上納金だけで月数百万になる。それを半年、一年と払い続けることを考えれば、資金のない中小企業には到底無理だ」
「なるほど」
「自治領政府も馬鹿じゃない。本当に実力のある企業だけがアステリアで産業活動できるようにフィルタリングしてる。政府にしてみれば、たとえ海洋調査だけでもマイニング社が進出してくれるのは有り難いだろう。調査船を一隻走らせるだけで税収になる」

*

「いずれこういう動きはあるだろうと予測してたけど、まさかこんなに早いとは思わなかったわ。パパは『来るべきものが来ただけの話』とまるで動じてないけど、私、なんだか嫌な予感がしてたまらないの。パパは『あんな所に草木一本生えない』と言ってたけど、本当なの?」
「聞いた話では、島の大半が氷原で、夏期でも平均気温が五度前後の寒冷な所らしい。人が永住するには非常に厳しいだろうね。産業施設を建設するにも、ローレンシア島みたいに発展するには何十年とかかると思うよ。今度の資源調査で有望な鉱床が見つかって、排他的な探鉱権を取得したところで、実際に生産に着手できるのはさらに十数年も先の話だ。君が恐れるようなことは何も起こらない」
「でも……」
『海洋資源調査』と一口に言うけどね、野山を探査するのとは訳が違うんだよ。地上のことなら観測衛星でおおよその地質も把握できるけど、海はたとえ水深数メートルの沿岸でも、特殊な音響調査機や水中カメラを使ってデータを取得しないといけない。地質サンプルを採取するにも、ツルハシで地面を掘り返すのと同じようにはいかないんだよ。そんな技術的問題が山積する中で、直ちに水深数千メートルの世界が把握できると思うかい? 俺は断言してもいい。どれほどの資本、どれほどの技術をもってしても、海底鉱床のターゲットを絞って本格的に採鉱に乗り出すには最低でも五~六年はかかる。たとえ有望な鉱床が見つかっても、採鉱システムの出来が悪ければ、無価値な石塊を吸い上げるだけで一銭の得にもならないだろう。海台クラストの採鉱に成功したのは運も大きい。あれだけの人材を揃えるだけでも、企業にとっては大変な投資だよ

*

「ほら見ろよ、あんた達だって、自分が採掘している鉱物資源の情報の出所を正確に知っているわけじゃない。ということは、誰も海の事など何も知らないのと同じだ。MIGであれ、マイニング社であれ、実に奇妙だと思わないか?」
「それで情報管理をやれと?」
「そう。俺達の手ではなく、自治体を上げて取り組む」
ガーフは巨漢を揺すって哄笑した。
「お前の一存で物事が動くわけないだろう。第一、情報管理のシステムを整えたところで社会全体にどんなメリットがあるというんだ?」
「俺は実例を知っている。ステラマリスの『グローバル・シーネット』が良い見本だ」
ステラマリスにおいては、各国が領海権を保有し、領海内の海洋調査データは官庁や専門機関が厳重に管理している。一方、民間企業によるソリューションサービスや研究機関によおるシェアなど、権利や責任の所在も複雑で、一口に「誰のもの」と断言はできない。
また海洋調査を行う組織も、官庁、自治体、民間企業、研究組織など非常に多岐にわたり、蓄積されたデータも膨大だ。
これを百カ国以上、数十の機関や企業が協賛してオープンデータシステムを構築し、どこからでも手軽に検索や情報交換できるようにしたのがグローバル・シーネットで、遠方の海象や海底地形、潮流や水温変化なども瞬時に把握できるようになったことから、海上の安全や臨海開発、海洋科学の発展に大いに役立った。
対して、アステリアは歴史も浅く、全海洋が一つの「経済特区」に括られ、国境も領海権も存在しない。海洋情報を管理する法律も統一され、情報管理ははるかに容易いはずだ。
しかしながら、現時点では公共の海洋情報サービスは質も機能も限定されており、情報管理や活用に関する明確なガイドラインもない。これでは有用なデータも活かされず、区民には遠くの海で何が起こっているのか知る手立てもない。
一方、ファルコン・マイニング社が既存の海洋調査データを元に採鉱プランを立てているにしても、鉱物資源の賦存状況を正確に把握するには、まず島のインフラを整え、基地を築かなければならない。それを建造するには、第一に大型タンカーも係留可能な港湾施設が必要で、船舶を運航するには、地形、潮汐、海流、水温、化学分析など、詳細な海洋データが必要になる。
まして深海の鉱物探査をしようと思ったら、音響測深機と解析システム、高分解能の水中カメラ、無人探査機、グラブ型採泥器、船上研究施設といった専用の設備はもちろん、熟練の航海士、機関士、クレーン操縦士、無人機オペレーター、IT技師、司厨部など、何十名もの技能者と、海洋科学や地学の専門家が必要で、調査チームを組織するだけでも、どれだけの資金と手間が必要かしれない。
ファルコン・マイニング社や系列会社が大艦隊を率いてウェストフィリアに上陸しようと、本格的に活動できるのは数年先の話であり、その間に海洋情報共有システムを整え、アステリア全体の連携を図り、海洋開発をより良い方向に導くことは十分に可能だろう。
俺もそれが絶対的に有効とは言わないよ。だが、今の靄がかかったような現状より、一つの情報システムを通じてアステリアの方向性を明確にした方が、健全なものを呼び込めるはずだ。ネンブロットの問題も数々の違法行為や寡占や裏取引を『宇宙文明の基礎』という建前で黙認してきた結果だろう。ロケットを飛ばす為なら、闇市場のプルトニウムでも厭わないのと同じだ。だが、アステリアはそうはならない。開示すべき情報は開示して、社会の合意を取り付けながら一歩ずつ進んで行く。ウェストフィリアで勝手をしたくても、海の情報はガラス張りで、誰もが知り得る権利がある

*

「海洋調査データの共有システムのアイデアを形にしようと考え中だ。ここで必要とされるかどうかは分からないが、問題提起だけでもしたいと思って」
「それもいいかもしれないな。せっかくアステリアに来たんだ、一日中PCに向かってデータをいじったり、機械の整備だけで終わるのも勿体ない。二年後、故郷に帰るにしても、ここで色んな人に会い、様々な経験を重ねた方が先々の糧になる。それで情報共有システムの目的とするところは何だ?」
縦横の連係を図る。各機関に散在する情報資産を一つのオープンデータ・システムで繋ぐんだ。何時でも、何所からでも、有償あるいは無償で手軽に検索できるサービスを提供する。データ共有を通じて共同体意識が芽生えれば、区民の意識や社会の方向性も変わる
「だが、そう上手く行くかな。どこも生き残りをかけて必死だ。皆のため、社会のためなんて、そうそう人が動くものじゃない」
「そうかもしれない。でも、故郷の仲間も、たった四人で復興ボランティアを始めた。週末ごとに軽トラックを借りて、山のような瓦礫を一つ一つ取り除いて、土を耕し、苗を植え、気の遠くなるような作業だったが諦めなかった。それが今では随一のVZW(非営利活動法人)に成長して、再建運動の先陣を切っている。今でもよくデ・フローネンは何故あれほど上手く機能したのか考える。最大の理由は、活動の目的が明確で、人々の愛郷心を掻き立てるものだったからだ。今は誰もが新しい土地で利益追求に奔走しても、いずれ帰属を求めるようになる。産業の実験場ではなく、我が町に対する愛重だ」
「あなたの言いたい事は分かるわ」
ミセス・マードックが頷いた。
誰もが仮住まいの気持ちで社会の基盤は育たない。めいめいが好き勝手にしだしたら、それこそネンブロットの二の舞だもの。もっとも大企業に通用するかは分からない。でも、社会を構成する大多数に確たる姿勢があれば、一部の横暴は十分に阻止できると思うわ」
「だが、それも時間がかかるぞ。仮にシステムは構築できても、理想通りに運ぶかどうかは実際に稼働してみないと分からない。プラットフォームのように採鉱量や売上高といった数値で効果が測れるなら分かりやすいが、情報サービスは顧客の満足度みたいに漠然とした部分が大きいからな。利用率が高いからといって、それが即、理想の社会に繋がるわけでもないし」
「そうかもしれない。だが、全ては声を上げることから始まると思う。『緑の堤防』も相手がプロだから、俺は素人だから、と遠慮してたら、形にすらならなかっただろう。俺の父親がよく言っていた。『たとえ、お前が世界を変えるアイデアを持っていたとしても、それを口にしなければ誰にも伝わらない。だから勇気をもって話してみよう』。こんなこと、人に訴えたところで何もならないかもしれない。でも、口にしなければ何も始まらない。たとえ肩透かしにあったとしても、一度は考え得る最高のものを提示したい。何もせずに通り過ぎるより、自分でも納得がいく

–中略–

だからこそ、今から海洋情報のガイドラインを明確にするんだ。それは単なる情報管理に止まらない。いかに調べ、活用するか。その指針を定めることは、アステリアの方向性を考えることでもある。今のまま経済特区として拡充するのか、あるいは全く新しい海洋都市の構築を目指すのか。まだまだ歴史の浅い海だからこそ、柔軟に舵を切ることができる。新しい事への興味や挑戦も掻き立てやすいだろう。ステラマリスでは、情報共有サービスによって、独自で海洋調査を行うのが難しい中小企業でもデータを元に技術開発を行い、新規ビジネスを立ち上げたり、大手プロジェクトに参画したり、いろんなチャンスを得ていた。会社の規模は小さいが、非常に精度のいい調査データを提供する民間企業が国際的に信用を得て、公的プロジェクトに抜擢された例もある。産業に限らず、学術、観光、応用は幅広い。アステリアが海洋社会として共通のポリシーを持てば、マイニング社だって俺様風を吹かせるわけにいかないだろう。俺は大衆の良心を信じる。大企業だろうが、大物政治家だろうが、世論で倒せる時代だ
「お前も理想肌だな。正論を並べて協力してもらえるなら、とうの昔に優良企業に変わってる」
だからといって、最初から清濁併せのむような理念を掲げる人間もないだろう。大学のモットーも、企業方針も、ぶっちゃけ奇麗事のオンパレードだ。友愛だの、社会的使命だの、歯の浮くような台詞が並んでいる。それでも最初から俗世に擦り寄るような目標を掲げた大学や企業を誰が信用する? 理念は理念として美しくあるべきだし、正しい標語があるから、人も公義を意識する。どうせ大きな力に勝てないにせよ、正面から意義を問いたい。社会に問題を提示する為にも

*

「あまりに広範で、今は事業所の名前と事業内容と資本家計を把握するのが精一杯です。これほど大きな組織を父と伯母の二人で切り盛りしているのが不思議なくらい……」
「一から十まで手綱を取って指示しているわけではありません。エンタープライズ社がいい例でしょう。ここも実質、誰の采配で回っているか皆承知してます。要は一つの指針の元にどれだけ効率的に分業できるかです。僕だって、コンサルティング業務は個々の担当者に一任していますし、物流も、プラットフォーム支援も、現場で判断を下すのは各部署の責任者です。最初の人選が確かなら後は比較的やり易いですよ。むしろ人選を誤る辣腕経営者の方が危なっかしいぐらいです」
「それは理解できます」
「どこに、どんな人が配属されているか、それを見れば組織のことは一目瞭然です。経営者の器も知れます。お嬢さんもその辺りを学べば、将来に役立つのではないでしょうか」
「でも、できれば一つの職務を全うしたいと思っています。漠然と全体を見渡すのではなく、営業でも、在庫管理でも、一つのことに打ち込んで、仕事のノウハウを身に着けたい」
「気持ちは分かりますが、立場上、それは無理でしょう。お嬢さんにそのつもりはなくても、周りは気を遣います。皆と一緒に机を並べなくても、学べる仕事は他にもありますよ」
「それでも父が本気で私に望んでいると思いません。私にも何かの役割を期待するなら、接待ばかりに使ったりしないでしょう。夕べも、その前も、私に求めることといえば、父の隣でにっこり笑って場を和ませるようなことばかり。私はMIGのキャンペーンガールではありません」
社長の隣でにっこり笑っても、相手を不快にさせるだけの人もおりますよ
とセスは言い切った。
この世は決してコネや損得だけで動いているわけではありません。『やり手』と評判の経営者でも実際に会って話してみたら、週刊誌の提灯記事と大きくかけ離れていることもありますし、世間であまり注目されない子会社が驚くべき技術力を持っていたりします。資本やコネだけちらつかせても、本当に一流と呼ばれる人たちは見向きもしませんし、本当に得るべきところから信用を得られなければ大事は成せません。そして、その善し悪しを見抜く力は、マニュアルを読むだけでは決して身に付かないものです。『理事長の隣でにっこり笑って』と仰るけども、笑いながらでも学ぶべき事はいっぱいありますよ

*

プロジェクタには『海洋情報ネットワーク』の構想を分かりやすく伝え画像やテキストが次々に映し出され、一気にアイデアに引き込まれる。 
彼は「今後のアステリアの方向性」に主眼を置き、「海洋都市」のメリットを活かした自治体の基盤作りを説いた。
それにはまず海洋調査データを社会資源として活用する必要があります。誰もが手軽に利用できるオープンデータ・システムを提供し、海への理解を深めるのです。提供する調査データは、海洋図、潮流、潮汐、波高、水温といった汎用情報から、海底地形、海底地質、海水分析、海底ボーリングなど、研究開発に必要な専門的データまで多岐にわたります。これまで行政や企業、学術団体などが個別に保有するデータを一元管理し、ポータルサイトを通じて、誰もが手軽に参照できるデータベース・システムを構築するのです
それから彼はネンブロットの鉱業が寡占や汚職など違法行為の巣窟となった経緯を語った。
一つでも多くの企業を誘致したいが為の先願主義の探鉱権付与や、猫の目のように変わる鉱業法、鉱山に関する情報を一部の企業連合が「機密」を理由に独占し、排他的な環境を作り出したことなどを例に挙げ、
「アステリアはその逆を行く。社会資源としてのデータ共有によって、海の状態や可能性を広く知らしめ、公正と透明性をもって優良経済特区に育てます。大航海時代、海洋国家に発展した国々は、造船技術だけでなく、正確な海図を作成する知識や調査力にも長けていました。その海図に相当するのが海洋情報ネットワークです。それは単なる検索サービスにとどまらず、企業、研究者、行政官、一般ユーザーが分野を超えて意見交換したり、グループワークを行う場も提供します。他にも様々な応用が可能でしょう。ここには国境も領海も無いからこそ、より柔軟性に富んだシステムが構築できるはずです。こうした情報サービスは直ぐさま利益に結びついたり、技術革新をもたらすことはありません。けれども、アステリアの海に何が有り、どんな可能性が秘められているか、多くの人が正しく理解することによって、海上の安全やマナーの向上、人材の育成や新規産業の創成など、海洋都市の基盤となるはずです。アステリアも次のステージに上ろうとしている今、真に必要とされるのは海洋都市としての理念であり、指針ではないでしょうか」
「情報共有やオープンデータ・システムの必要性は理解できるが、アステリアで今すぐ機能するものかね。それでなくても区政の機能が追いつかず、監理も行き届かないのが現状だ。この上、公の仕事を増やされては我々も過負荷になる。第一、システムの開発費だけでも莫大だ。現在、海上安全局や一部の調査会社が手掛けている情報サービスにプラスアルファするだけで十分だろう」
すると向かいに座っていた行政官も頷き、
「実際に君が言うようなデータベース構築システムを導入しようと思ったら、初期費用だけで十億エルクは下らない。そんな大層なプロジェクトを今すぐ立ち上げましょうと訴えたところで、果たしてトリヴィア政府が動くものかね。火急の案件は他にもある。海事担当が言うように、既存の情報サービスを少しずつ拡張する方が財政的にも技術的にも無難じゃないかね」
今すぐ構築するのは無理だからといって、青写真を描くことまで止める必要はないでしょう。ステラマリスでも構想から実施まで何年もの歳月を費やしていますし、プロトタイプの試用だけでも収益を上げることは可能です。将来的なサービス運営に向けて協議を重ねるだけでも十年先、二十年先が大きく違ってくるはずです」
「だが、予算はどうするんだ」
「一つのモデルケースとして、ステラマリスのパシフィック・マネジメントシステムは、年間約十八億七千万エルクで運営されています。その六十パーセントは公的基金、残りの四十パーセントはユーザーの年会費、システム利用料、データ売買の中間手数料、寄付金などによるものです。人員についても、登録される情報は、情報提供者がそれぞれに収集、加工、管理しますし、いったんデータベースシステムを構築してしまえば、その後はメンテナンスが中心になり、維持費も人件費も多くを必要としません。パシフィック・マネジメントシステムも、運営に携わる主要スタッフは十四名、IT技術は二社の民間会社がサポートし、個々の情報の編集や管理は情報提供者に委ねられます。サービスのガイドラインを明確にし、ユーザー、情報提供者、総合管理者のフィードバックを充実すれば、少数のスタッフで膨大なデータを効率よく管理できるはずです」
「万一、システムの構築に失敗し、利用者も少なく、投資に見合った公益が得られなかった場合、どうするつもりだね」
「いきなり大きなシステムを構築する必要はありません。それこそ、現在海上安全局が無償で提供している汎用情報サービスを徐々に拡大するのも有りだと思います。従来の考え方と違うのは、これまで各機関が独自の判断で蓄積し、活用してきた調査データを一元管理し、有償、あるいは無償で閲覧できるポータルサイトを通じて、縦横に活かすという事です。鉱物に限らず、海洋資源をどれだけ活用できるかは、ひとえに調査データの有効利用にかかっているのではありませんか」

–中略–

「情報マネジメントと本質は異なるかもしれないが、既存企業の利益はどのように守るつもりかね。たとえば、エンタープライズ社は三十年前から開発事業に携わり、膨大な量の調査データやノウハウを蓄積している。業務提携してきた調査会社や造船会社も同様だろう。いずれも多大な負担やリスクを覚悟でやってきた先発業者だ。区を活性化して、投資や企業誘致のしやすい環境を作るのは結構だが、その為に既存企業が『やり損』になっては皆が納得しない。いくら立派なオープンデータ・システムを構築したところで、周りの理解と協力が得られなければ機能しないと思うが」
「それは情報共有によって、ライバル会社にみすみす有益なデータを渡すことを懸念しておられるのですか」
「当然だ。企業はボランティアではない」
「何も全てを無償で公開しようというわけではありません。機密性や公益性は情報提供者が判断すればいいことですし、専門性の高いデータは会員制にするとか、有償にするとか、いくらでも手立てがあるはずです。重要なのは、誰がどのようなデータを所有して、それがどんな方面に役立つか、ある程度。明示することによって、二次利用を可能にすることです。たとえばMIGはローレンシア海域の膨大な調査データを有していると聞いています。そのデータは造船、土木、学術など、他方面にも役立つかもしれません。そして、実際、それを探し求めている人もあるかもしれない。その時、検索ポータルを通じてMIGが所有していると分かれば、余計な手間が省けますし、データを購入する方が再調査するよりはるかに安くつくかもしれません。共有とは『無料(タダ)で譲る』という意味ではありません」
「確かにそうだが、それは別の意味で不公平ではないかね。あの海域は我が社が莫大な資金を投じて調査を押し進めてきたものだ。普遍的な情報の共有は分かるが、鉱床の情報まで公開するのは納得がいかないね」
「もちろん、それは義務でも強制でもありません。公開できないなら、できないで構わないのです。あえて言うなら、海のことは簡単に真似できない技術の方がはるかに多いでしょう。たとえウェストフィリア沖に数百億トンのニムロディウムが存在しても、採掘する手立てがなければ存在しないのと同じです。こと海底鉱物資源においては、本当の意味で『機密』と言えるのは正確なマッピングと採鉱システムの技術です。海底地形や地質データが即、ライバル企業の手引きになるわけではありません。むしろ既存のデータを公益に役立てることで社の信用に繋がるのではありませんか?」

–中略–

「我々は今ようやく報われたような気持ちでいるんです。さあ、これから思う存分、苦労の果実を味わおうという時に次世代の育成の話をされても、何をどう協力すればいいのか。言いたい事は分かるが、我々にも情報資産というものがある。何でもかんでも『公益』を理由に差し出せというなら、それはトリヴィア政府の理屈と同じじゃないか」
「ですから、誰が、どんなデータを有しているか、PRして頂くだけでいいのです。他が『このデータを参照したい』と申し出れば、相応の値段で売買する事もできます。ノボロスキ社なら、精度の高い調査データや解析技術、海洋での注意事項や気づきなど、一企業の中に埋もれさせるには惜しいスキルやノウハウがたくさんあるでしょう。それをある程度オープンにする事で企業の宣伝にもなると思うのです。俺が務めていた海洋技術センターも、グローバル・シーネットやアトランティック・サーチといった情報共有サービスを通じて、非常に質のいい動画や音響データ、三次元海底マップなどを提供していました。その技術が高く評価され、世界的な調査団体に発展した経緯があります。売り込みなどしなくても、データそのものが目に見える商品となって信用を築くのです。だからといって、予算も設備も限られた企業が新たにデータサービスを立ち上げるのは難しい。でも、サービスを代行する存在があれば、事情もまったく違ってきます。より多くの人が目にすれば、いろんな形で情報資産が活かせませんか?」

–中略–

「ファルコン・マイニング社がウェストフィリア海域に海洋資源調査権を申請したニュースを聞いて、戦々恐々とされている方も少なくないと思います。ここもネンブロットの二の舞になるののではないか、いずれファルコン・グループに行政も産業も牛耳られ、せっかくゼロから築き上げた公正な企業活動の場を食い荒らされるのではないか、不安は尽きないはずです。しかし、どれほどの資本をもって乗り込んできても、海を理解しないことには船一隻操縦することはできません。ローレンシア島とローランド島、一見双子のような島でさえ、海岸の形状も、海底の地質も、海況も大きく異なります。まして北方のウェストフィリアは大半を雪と氷に閉ざされた火山列島です。ローレンシア島での港作りのノウハウをそのままウェストフィリアに持ち込んでも、決して同じ調子には行かないでしょう。ファルコン・マイニング社が何を企てようと、前準備の海洋調査やインフラ整備だけで数年を要しますし、資源量把握はさらに長い歳月が必要です。その間、海台クラストの採鉱はMIGの独壇場です。それ以上にまだ先行者利益が必要ですか? ノボロスキ社やサン=セザル造船所も同様です。ライバル企業が乗り込んで対等に渡り合うには、まず同等の技術やノウハウを身に付けなければなりませんし、社長一人で気張っても、腕のいい海技士がなければウェストフィリアに航海することさえできません。その十年、二十年の合間に、法整備やインフラ強化、人材育成をしっかり行い、海洋都市の方向性を明確にすれば、たとえファルコン・グループでもそうそう身勝手な真似はできないはずです」

–中略–

「では、仮にプロジェクトを立ち上げるとして、どんな準備が必要か説明してくれないかね」
「データベースが提供する情報の種類は、大きく分けて二種類。海流、水温、海上気象、潮位といった自然科学的な情報と、港湾・沿岸の利用状況や船の運航、海洋開発計画や研究機関といった社会的な情報です。そこで、行政機関、民間企業、学術団体など、将来ユーザーになりそうなものを対象にヒアリング調査を行い、どんな情報を、どのような形で利用したいか、ニーズを把握します。たとえば、海況に関する情報も、海運業者の知りたいデータと、観光業者の知りたい事は全く異なります。誰が、どんな情報を必要としているかを把握し、システムのアウトラインを明確にするのが第一歩です。また、それに並行して、IT面の環境を整えます。サーバーは誰が管理するか、データシステムはどのように構築するか、ポータルサイトはどのようなデザインにするか、購入手続きはどうするか、システムの基礎が整い次第、徐々に情報提供を開始し、利用者のフィードバックを参考にしながらサービスを拡充します」
「それで本当に機密は守られるのかね」
「オープンデータ・システムは、一般ユーザー向けのコモンベースと、利用者を特化した機密ベースに分けて、個別に管理します。たとえば、エンタープライズ社の情報システムも、一般社員の使う汎用ネットワークと、機密ネットワークが完全に分離され、情報漏洩することなく上手く機能していますが、それと同じです」
「人材はどうやって集める? これだけのシステムを構築しようと思えば、相当数の専門家が必要だろう」
「分野に応じてステラマリスの民間会社に委託してはどうでしょう。同様の海洋情報ネットワークの管理を手掛ける会社はたくさんありますし、何より情報共有の意義を理解しています。また、アステリア独自のシステム構築を通じて、ステラマリスの海洋科学ネットワークに参入することも可能ですし、産業面、学術面の両方から興味を持つ人も現れるでしょう。互いに情報交換することで共存共栄の可能性も開けるのではないですか?」
「だが、そんなに上手く行くものかね」
「どのみち、アステリアは情報管理でも行政でも、あらゆる面で見直しが必要でしょう。先ほど海洋行政の担当も仰った、『区政の機能が追いつかず、監理も行き届かない』と。ここ数年で、産業の規模も、流入人口も、これまでの倍のスピードで成長してる状況を鑑みれば、今が抜本的な組織の改変や法整備を行う絶好の機会であるはずです。その際、自分達が何所に向かい、このアステリアをどうしたいのか、明確な理想も目標も持たずに改革することはできません。海洋情報ネットワークの概念は、その指針となるものです。海に生きるなら、海を正しく知ることが全ての礎です

–中略–

「何をそんなに怖がることがあるのです? あなた一人が岬の先端に立って無敵艦隊を迎え撃つわけではないんですよ。世の中の多くの人間は、支配や独占より共存共栄を願っています。もっと大衆の良心を信じてはいかがです?
「良心……」 
「そうです。あなたが思い描いているほど大衆は無力ではない。一人一人は滴でも、一つの流れになれば大木も倒します。そして、世の多くの人は、平和で幸せな暮らしを願っている。誰もが栄耀栄華を求め、その為なら騙しも盗みも厭わないという訳ではありません。ただ行動を起こすには、大衆はあまりに微力で臆病でもある。日々の暮らしに精一杯で、そこまでの動機が無いだけです。だが、いざとなれば一つの絵の下に集う。それが本当に個々の幸せや社会の繁栄をもたらすと分かれば、思いがけない行動力を発揮することもあります。いつの時代も、最後に世界を動かすのは大衆の良心なんですよ

Product Notes

海洋情報管理、および、情報基盤に関する元ネタはこちらです。
残念ながら、どこのURLからクリップしたPDFファイルか分からないので、EVERNOTEの公開リンクを貼っておきます。興味のある方は、ぜひご一読下さい。

海洋管理のための海洋情報の整備に関する研究 日本水路財団

海洋基本計画への提案 ~海洋技術フォーラム~

海洋基本計画

「海洋情報ネットワーク」の後半に書いてますが、海洋のフィールドは非常に幅広い。学術や産業はもちろん、外交や国家戦略も深く関わってきます。(アステリアは国境がないので、国益に関する話は無いけれど)
「この分野だけ」と区分けできないのが海の難しさであり、また可能性の幅広さでもあります。

海上保安庁の一部門として、『海洋情報クリアリングハウス』が存在します。(海洋情報ネットワークのモデルではありません)

こちらはアメリカの海洋大気庁のオフィシャルサイト。

Kindleストア