宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と蠍の火 ~まことのみんなの幸のために

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と蠍の火 ~まことのみんなの幸のために

アニメ『銀河鉄道の夜』が話題になっていた時、まったく興味がなかったが(ますむらひろし先生の絵が、少女の感性にチョット受け付けなかった理由もある)、大人になって見返して、初めて物語や音楽、演出の美しさに気付いた。

宮沢賢治の原作がキリスト教的な慈愛と崇高の物語だということも。

特に『蠍の火』のエピソードが素晴らしい。

一匹の蠍が、イタチに追いかけられて、井戸に落ちた時のこと。

「ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命ににげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください、こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。そうしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつうくしい火になって、よるのやみを照らしているのを見たって」

Wikiによると、アニメ化にあたって、ジョバンニやカンパネルラといった主要なキャラを「ネコ」として描くことに、宮沢賢治の実弟、宮澤清六氏は強く反対されたそう。

私も予告編で見た時は少なからず違和感を覚えたし、原作至上主義者なら作品を冒涜しているように感じたかもしれない。

だが、時を経て、じっくり見返せば、アニメに関しては「ネコ」でよかったのではないかと思う。

人間の子供だと、あまりにも生々しい。

ザネリの「お父さんがラッコの上着をもってくるよ」という苛めのセリフも、子供の顔であれば、いっそう、いやらしさが増しただろう。

ネコだから、幼い子供が見れば、ザネリも「いじわるネコ」というフィルターを通して受け止めることができるし、「死」という現実も、ファンタジーの中で消化することができる。

どのみち、人間死んだらどうなるのか、何処へ、どんな風に、魂が運ばれていくのかなど明言できる者はないわけで(言い切れるのは丹波哲郎ぐらい)、ジョバンニとカムパネルラの旅路も、「ネコと銀河鉄道」の夢物語でちょうどいいくらいなのではないか。

私も初めて見た時は、やたらと「ラッコの上着」が耳につき(堀絢子さんの声の演技も秀逸)、「ハレルヤ」のあたりで寝ちゃったりしたのだけども(スミマセン)、アニメはよく考えて作られた上作と思う。

ラッコの上着とは・・
ジョバンニの父親は北海に漁に出て長期不在だが、「ラッコの密猟をして捕まった」という噂があり、クラスメートのザネリ達がジョバンニを冷やかす時の常套句が「お父さんからラッコの上着が来るよ」。声優・堀絢子さんのイケズな物言いが非常に印象的。

とりわけ、客船の沈没で命を落とした女の子が語る『蠍の火』のエピソードが素晴らしい。

「ああ、わたしは今までいくつのものの命を取ったかしれない」「そしたら、蠍はじぶんのからだが、真っ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって」の部分が素晴らしい。一部、演出でエコーがかかってるのが残念なほど。

声優は、中原香織さん。

細野晴臣の音楽も綺麗です。

利己主義の限界:まことのみんなの幸の為に

利己主義は、案外、長続きしないものだ。

何でも自分の思う通りになって、パラダイスのように見えるけれど、そんな世界はいつか飽きるし、空しくもなる。

この社会に生きる限り、己のことだけ考えて生きていくことなど不可能だからだ。

社会と断絶している人でさえ、常に他者の存在は意識している。

他者の存在を意識するから、孤独に感じるし、落伍感もひとしおなのだ。

本当に幸せに生きていくなら、他者と共に幸せを作り上げるしかない。

一見、面倒で、煩わしい事が、実は幸福への最良の道なのだ。

自己の為に稼ぎ、自己の生き甲斐のみを求め、時間も能力も持てる全てを己に注ぎ込んだところで、結局は空しい。

私たちが社会に暮らし、常に他者の存在を意識する以上、「己のことだけ考えて生きる」というのは事実上不可能だ。

たとえ無視できたとしても、利己主義はいずれ精神を蝕み、人間として大きなダメージを与えるだろう。

「どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください、こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください」

蠍と同じ気持ちを、私たちは本能的に有している。

そうでなければ、社会も、人類という種も存続しないからだ。

たとえ利己主義を気取ったところで、いつかは後悔という業火で心を焼かれるだろうし、この世に生きて、誰も愛さず、誰の役にも立たなかった思い出ほど空しいものもない。

私たちは、自分自身を何かに捧げる時、自分自身もまた他から何かを授けられるのだ。

「そうしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつうくしい火になって、よるのやみを照らしているのを見たって」

蠍の願いは、夜をさまよう旅人たちの灯となり、最も美しい南の星空へと誘う。

迷いから抜け出して、まことの魂の幸福に辿り着く為に。

【追記】

「蠍の火」のエピソード。
セリフも素晴らしいけど、あの夜空に輝く「紅い蠍座」を見て、我が身を捧げるサソリのエピソードを思い付いた……という点がポイントが高いです。
私の中では、「オリオンに踏みつぶされた毒サソリ」=暗殺者のイメージが強いから、「自己犠牲によって神に称えられた魂の火」という発想にはならない。
同じように紅いサソリ座を見上げても、後者のように感じる人もあるのだなと、発見その2。
次は私もそうした目で見てみよう。
……と言いたいところだが、こっち、高緯度過ぎて、とてもじゃないけどサソリ座なんて見えない。
サソリ座は南の国の恵み。南十字星も。
南の星座は華やかで羨ましい。

*

「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」

常田富士夫の詩の朗読が素晴らしい。

朗読って「読むだけじゃん」と思うかもしれないけど、「声に出して読む」って、想像以上に難しいですよ。
私も、外国人作家に頼まれて、日本語に翻訳された童話を朗読したことがあるけど、息は途切れるわ、声の強弱はばらばらだわ、で散々でした。やはりトレーニングを積んだプロの朗読は格段に違うと、つくづく。

アイテム

とりあえず宮沢賢治の原作を読んでみたい方は、Kindleの無料版をどうぞ。『青空文庫』パブリックドメインですが、中身はきちんと整形されており、状態も良好です。

「タッチ」や『グスコーブドリの伝記』などを手がけ、2010年には文化庁映画功労賞を受賞した杉井ギサブロー監督が、宮沢賢治の童話をアニメーション映画化。登場人物を擬人化した猫に置き換えたますむらひろしの漫画を原案に、細野晴臣による幻想的な音楽にのせて描かれている。
田中真弓、坂本千夏、納谷悟朗、大塚周夫、蒼々たるメンバーの声の演技が堪能できます。
作業用のBGMとしてもおすすめ。

細野さんって、こんな綺麗な音楽を作る方だったんですね。
YMOの頃のヤンチャなイメージが強くて、視野の外でしたが、今、やっと良さが分りました^^;

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