映画と原作から読み解く『ゴッドファーザー』の世界

人間ドラマ, 海外の小説

初めてこの映画を見たのは小学生の時だっただったこともあり、長男ソニーがハイウェイの料金所で蜂の巣にされるシーンばかりが脳裏に焼き付いて、何がそんなに名作なのかちっとも理解できなかった。

だが、大人になって原作を読んでから、この作品に対する見方が180度変わった。

これは単なるマフィアの抗争劇ではなく、「家族とは」「人生とは」を描いた重厚な人間ドラマなのだ。
(ちなみに、映画『ユー・ガット・メール』では、「人生に必要なことは全部ゴッドファーザーに書いてある」というセリフがあるそうな)

かといって、神のように慕われるゴッドファーザー、ヴィトー・コルレオーネは、決して絵に描いたような善人ではないし、世のため人のために弱者や友人の願いを聞き入れているわけでもない。
その本質は、小説でも指摘されている通り、あくまで「見返りを期待した」エゴイスティックなものであり、保身の為の優しさだ。

しかし、彼は『本物の男』であり、一家の主であり、その強烈な哲学を理解できれば、バイオレンスとはかけ離れた深い精神性が見えてくる。
本来なら、「庶民の敵」とも言うべき冷徹なマフィアのドンなのに、見た者が共感せずにいないのは、彼こそが『父』と呼ぶにふさわしい「男の中の男」だからだろう。

映画では3部作が製作され、映画史に残る大作となった。
パート3に関しては「金儲け主義の蛇足」との批判もあるが、ファミリーの壮大な叙情詩として楽しむ分には、やはり欠かせないエンド・ストーリーだと思う。

現代のアクション映画のように、決してハイテンポな作品ではないが、この映画の代名詞とも言うべきマーロン・ブランドをはじめ、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・カーン、ダイアン・キートンといった現代の名優たちの演技を見るだけでも胸がいっぱいになる。
マフィアならずとも惚れ惚れするヴィトー・コルレオーネの生き様をぜひ味わって欲しい。

ゴッドファーザー Part1

47年、ニューヨークでマフィアの抗争が激化した。敵対するタッタリア・ファミリーにドンを襲われたコルレオーネ・ファミリーでは、ソニーとマイケルの兄弟が戦いの中心人物となる。
マリオ・プーゾのベストセラー小説の映画化で、フランシス・フォード・コッポラ監督の名を一躍有名にした傑作である
ジェームズ・カーン、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァルらの演技と、静かなタッチのなかに展開する凄惨な抗争描写が見もの。以後のバイオレンス作品の手本となった。
ドン・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドがアカデミー主演男優賞を受賞したほか、作品賞と脚色賞も受賞した。ニーノ・ロータによるテーマ曲も印象的である。【 Amazon.comより 】

永遠に語り継がれるアカデミー受賞作。(ポーランドでも未だにDVD3巻セットがベストセラーとなっています)
しかし、製作過程は決して順調ではなく、配給会社は若いコッポラにも、パチーノにも冷たかったとか。
特に、気難しいマーロン・ブランドは、「ギャラが高い」「台詞を覚えない」「撮影に遅れる」と三拍子そろった映画界の鼻つまみもので、コッポラ監督は彼のお守りに大変苦労したらしい。
にもかかわらず、完成作は映画史に残る傑作となった。俳優陣の顔ぶれだけでも奇跡のような豪華キャストである。
映画だけ見ると、バイオレンス・シーンばかりに気を取られるかもしれないが、原作を読むと、主演格の俳優陣がいかにキャラクターを研究しているかがよく分かる。
「ドン・コルレオーネ」のマーロン・ブランドを見るだけでも一見の価値あり。
年を重ねるごとにその良さが分かる、まさに「大人の映画」である。

【Amazon レビューより】
この映画よりおもしろい映画ってそんなにないと思います。
ゴッドファーザーで感じる美しさは、当に「映画にしか出来ない美しさ」なんだと思います。
映画が到達した美の極点だと言えると思います。
インサートカットにやや「古さ」を感じるものの、ムダなカットがたった1つもありません。
文字通り1つとしてないのです。

ゴッドファーザーと呼ばれるマフィアのドンを核に、その抗争と家族の営みを描いた最高の作品。
既に何度も見ていますが、その時によって角度を変えた感想を持つことができるとても深く豊かな映画です。
ドン・コルレオーネとマイケルの交わりから親子関係を、マフィアの抗争から組織やビジネスを、有名なシーンの数々(映画プロデューサーへの報復、マイケルの殺戮、コルレオーネファミリーの反撃等)からは映像の持つ美と凄みを、という風に…。
見るたびにいつも唸ってしまいます。

映画の見所

映画においては、サブキャラのサイドストーリー(ジョニー・フォンティーンやルーシー・マンティーニのその後)が全面的にカットされているのは残念だが(上映時間の都合上、これは仕方ない)、コッポラ監督が卓越した技量の持ち主であることは随所で伺える。

【ドン・コルレオーネの死】

原作 …… 家族に看取られながら、「人生は美しい」と言い残して死ぬ。(ちょっとクサイかも……)
映画 …… 庭で孫の遊び相手をするうち心臓発作に襲われ、誰に看取られることなく息を引き取る。

これに関しては、映画の方に軍配が上がる。
黄昏の光の中、マイケルの息子、アントニーを喜ばせるために、オレンジの房を歯に挟んで「が~っつ」と怪獣の真似をするシーンや、アントニーにジョウロを持たせて、トマトに水をやるシーンなど、非常に詩的で美しく、最後は「マフィア」ではなく「一家の長」、人間としてのドン・コルレオーネを強調して描いている。
ゆえに彼の死が、結果的にマイケルの人生を狂わせてしまう痛ましさが余計で胸に迫る。
「人生は美しい」の台詞を言わせなかったのも、コッポラ監督としては正解だったのではないだろうか。

【ドン・コルレオーネの襲撃】

これは映画も原作もシチューエーションは全く同じである。
フレドーに付き添われて果物屋でオレンジを買い求めている時、二人の刺客が駆け寄ってきて、至近距離からドンに銃弾を浴びせるのだ。
映画では刺客が駆け寄る場面、ドンが危険を察して「フレドー!」と叫ぶ場面、路上にオレンジが転がる場面など、細かなショットが巧みにつなぎ合わされ、非常に緊迫感がある。
また、ドンが弾丸を撃ち込まれ、車のボンネットにうつ伏せに倒れる場面が、側面ではなく、天上から見下ろすようなアングルで撮影されているのにコッポラ監督のセンスの良さを感じる。
ここはファミリーの運命を狂わせる重要な場面だけに、映像化も難しかったと思うが、一つ一つのカットが非常によく錬られて、まさに「歴史的」と呼ぶにふさわしい名場面に仕上がっている。

【ソニーとルーシー・マンティーニ】

原作 …… ルーシーがなぜソニーを挑発し、肉体関係を持つに至ったか、その後、ルーシーはどうなったか、内面まで丁寧に描かれている。

映画 …… 単なる浮気相手として登場

これは原作の方に軍配が上がる。
もちろん、時間が許せば、コッポラ監督もルーシーのサイドストーリーを描きたかったはずだ。
Part3では、ソニーとルーシーの間に生まれた「ヴィンセント」が後継者として登場するが、この繋がりは原作を読まなければピンとこないかもしれない。
映画では、単なる情事の相手としてエッチするだけで終わっているので、原作ファンとしては非常に残念である。

【マイケルの復讐】

ドン・コルレオーネの死後、ファミリーの長として指揮を執るようになったマイケルは、対立するファミリーのドンを次々に襲撃して復讐を果たす。
ここでは妹コニーの子供の『ゴッドファーザー(キリスト教における代理父)』として洗礼式に臨む場面と交差するように襲撃の場面が描かれているが、これはすなわち、ファミリーのドンとなった「マイケルの洗礼式」でもあり、その『洗礼』はキリストの正義ではなく、血にまみれたマフィアの道への入り口である。
それまで家業とは一線を引き、平凡な一市民として生きようとしていたマイケルが、マフィアのゴッドファーザーに生まれ変わる、象徴的な場面である。


ゴッドファーザー Part2

前作でファミリーの長となったマイケルは、新しいドンとして苦難の道を歩む。
それはちょうど海を渡った父ドン・コルレオーネが、一代でファミリーを築きあげた苦難の道のりと好対照だった…。
大ヒット作の続編は、若き日のドンと現在のその息子という、2つのストーリーがフラッシュバックする。
若き日のドンとして並外れた演技力を披露したロバート・デ・ニーロがアカデミー助演男優賞に輝けば、アル・パチーノは表向きは事業家として闇の世界を牛耳るドンを好演した。
74年のアカデミー作品賞ほか全6部門受賞。
銃声を消すためシーツでくるんだ拳銃から、鈍い発射音と硝煙がたなびくなど、衝撃的でしかし詩的な映像が見ものである。

【Amazon.comより】

大成功を収めたPart Ⅰに引き続いて制作された。
ファミリーを受け継いだマイケル・コルレオーネのその後を描いているが、本作が単なる「柳の下のドジョウ狙い」の続編ではないことは、非常によく練られたドラマ運びを見れば分かる。
脚本・構成においては、原作者のマリオ・プーヅォも参加しているだけあって、第一作に匹敵する完成度である。
また、本作においては、第一作で影の薄かった次兄フレドーにスポットをあてており、無視された兄の悲哀がにじみ出て非常に感動的だ。
長男ソニー亡き後、この世でたった二人の兄弟なのに、それしか選択肢が無かったのか・・と、マイケルに詰め寄りたくなるような悲劇的結末だが、それ故に、ドンとして生きるマイケルの非情と孤独が強く伝わってくる。
しかし、何と言っても秀逸なのは、ラストの回想シーンであろう。
観る側にとってもまったく予期せぬ展開であり、このラストシーンゆえにPartⅡは不朽の名作となったといっても過言ではない。
まさに映画史上に残る名場面である。
ついで、若き日のヴィトー・コルレオーネを演じるロバート・デニーロのダンディでセクシーなこと。
すらりと背が高く、ふるいつきたくなるような、いい男っぷりです!

俳優ロバート・デ・ニーロの存在を世に知らしめた歴史に残る一作。
暴力団の抗争という血なまぐさいストーリーに散らばる家族愛というテーマが強く印象に残る作品であり、若きビト・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロの家族を見つめる優しい眼差しと、家族の生活を守るためには殺人も辞さない寡黙な冷徹さの対照に圧倒された。

印象にのこる場面の一つは、シチリア島を追われた少年が貨客船に乗ってニューヨーク港に入る場面。
セリフはゼロだけど、わずか数秒に無尽のドラマがこめられている名場面だと思う。
船は貧しい移民でいっぱい。誰もが旧大陸での戦いに破れた人々たち。彼ら老若男女が、新大陸の玄関口にそびえる自由の女神を見つめるまなざしにグッときたよ。
新大陸は移民たちの過去を問わない。挑戦者を受けいれてくれる自由の国(実際はそんなに甘くないかもしれないけれど)。
いっぺん人生に負けた人たちが、もう一度やり直す決心を秘めて上陸する・・・ロマンだねえ。

映画の見所

【兄・フレドーとの確執】
父ヴィトー・コルレオーネが後継者を選ぶ際、次兄のフレドーはその弱さゆえに最初から論外で、迷わずマイケルを指名したわけだが、その事実がフレドーの心に重くのしかかり、Part2では、その苦しい心中をマイケルにぶちまける。
自らの境遇を嘆くあまり、心ならずもマイケルの暗殺計画に加担してしまったフレドーは、一度はマイケルの許しを得るものの、それはあくまで一家の手前のパフォーマンスに過ぎず、マイケルの気持ちは最初から決まっていた……。

Part2の核心とも言うべきフレドーのエピソードは、前作の家族愛の物語からは想像がつかないような展開だ。
「そこまでやるか?」と詰め寄りたくなるようなマイケルの冷酷さは、コルレオーネ・ファミリーを全米一にまで押し上げるが、人間としては彼を孤立させ、最後まで家族愛に満ち足りていた父・ヴィトーとは全く正反対の人生を歩むことになる。
その象徴的な出来事がフレドーとの確執であり、一度は絶縁しながら、妹コニーのたっての頼みで仲直りの抱擁をする場面は、後の悲劇を思えば思うほど痛ましい。
フレドーを演じたジョン・カザール の悲哀に満ちた演技も素晴らしく、彼が助演男優賞を獲ってもよかったぐらい。

【ケイとの破局】

大学時代はホットな恋人同士だったケイとマイケル。しかし、父ヴィトーの襲撃事件から否応なくファミリーの仕事に巻き込まれ、ついには殺人をも厭わぬマフィアのドンとして頂点に立ったことから、ケイの心にも変化が生じ、夫婦関係は破局に向かう。
その前に、「アポロニア」というシシリー人の若妻もいたはずなのだが、それはまあ横においといて、なるべくしてなったという感じの展開。
マイケルの「君と、家族のため」は、ケイにとっては「悪の道」でしかない。
永遠に相容れぬものになってしまった二人の運命があまりに悲しい。

それだけに、とってつけたようなPart3の後日談がイマイチしっくりこなかったりして。


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5.『ゴッドファーザー』の周辺