愛と破滅の旋律 マーロン・ブランドの『ラストタンゴ・イン・パリ』

Jazz, マーロン・ブランド, 愛と耽美の映画

老いとは残酷なものだ。

「年老いて賢くなる」「年をとっても美しい」など言うが、現実には、肌はたるみ、お腹は突き出し、身体の節々が痛み、物覚えは悪くなり……楽しいことなど何一つない。知恵がついて生きやすくなった時には身体が思うように動かなくなっている。これで先々に希望を持てという方が無理だし、自分が生きてきた結果を目の前に突きつけられるのは辛いものだ。かといって、最初からやり直すことが叶うわけでもなく、一日一日と可能性が失われていく現実を受け止めるのみである。

ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラストタンゴ・イン・パリ』も中年男の孤独と若い女の残酷さを余すことなく描いた作品だ。
突然妻に自殺されたポールは、何の取り柄もない中年男で、財産もなければ、名誉もない。何が楽しくて生きているのか分からないような、しがないホテル経営者だ。一方、二十歳のジャンヌは生き生きと美しく、TVディレクターの恋人もある。
二人はたまたま下見に来たアパートの一室で鉢合わせ、衝動的に肉体を貪り合う。
その後も逢瀬を重ねるが、ポールはジャンヌに「君の名前など知りたくない。君も俺も名前を持たない。ここでは名無しだ。」と求め、「クレイジーだ」とジャンヌは違和感を覚える。

「君のことは何も知りたくない。
どこに住み どこから来るかも
何一つ知りたくない
外の世界はわすれて この部屋で会うんだ」

「でもなぜ?」

「理由はこうだ。
ここでは名前は必要ない
知ってることは全て忘れるんだ
知人のことや職業 どこに住んでいるかも
何もかも忘れて会う」

それはそれでジャンヌには刺激があって楽しい。
若い恋人にはない、慣れた手管もあり、「何も知らないって、素敵」と、しばらくは快楽に浸る。

しかし、次第に情事が長引くと、ジャンヌの方で不安を感じ、ポールの背広のポケットを探って何者か探ろうとする。
「どうして、私のことを何も知りたくないの?」と疑問を呈するジャンヌに、ポールは「やめてくれ。利口ぶるな。何も言うな、黙れ。辛くても我慢しろ」と傲然と言い放つ。

ところがだ。

いざ立場が逆転し、ポールがジャンヌを追う側になると、ジャンヌにとって現実は醜悪なものとなる。
気持ちの整理もつき、ようやくジャンヌへの愛に目覚めたポールは彼女に結婚を迫るが、既に若い恋人との結婚を決めたジャンヌには不快な思い出でしかない。
そして、あれほど秘密にこだわっていたポールがジャンヌに本名を尋ねた途端、ジャンヌは容赦なくピストルの引き金を引くのである。

ラストタンゴ・イン・パリ

本作は決して気持ちのいいものではないし、感動や浄化を求めて鑑賞すると肩すかしに合う。かといって猥褻だけが売りの駄作でもなく、そのトーンはどこまでも重く、哀れだ。

それだけに、いっそう最後のタンゴが心に残る。ベルトリッチ監督は、中年男と若い娘のうたかたのようなダンスシーンを撮りたくて、この物語を作ったのではないかと思うほど。

誰もがそれぞれの人生に夢を見、そして、裏切られてゆく。

それはどこまでも滑稽で、哀れだけれど、どうせ誰の人生も一場のダンスみたいなものじゃないか。

そんな哀しい調べの映画。

2010年のレビュー

1972年に公開され、過激な性描写から世界中でセンセーションを巻き起こした、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』と言えば、一般に「男と女の肉体愛を描いた作品」で知られているが、この映画が本当にテーマとしているのは、マーロン・ブランド演じる中年男の悲哀と破滅、人間の救いようのない孤独であり、”過激な性描写”はあくまで破戒のシンボルに過ぎない。

それだけに、妻に理由なく自殺され、幼少の頃から人並みな幸せなど何一つ味わったことがなく、行きずりで出会った女と肉欲のままに交わる「ポール」を演じたマーロン・ブランドが、その演技を絶賛され、ニューヨーク批評家協会賞を受賞したのも頷ける話だ。

同年公開された映画『ゴッドファーザー』では、愛と威厳に満ちたドン・コルレオーネをこれ以上ないくらい立派に演じたマーロンが、本作では、気持ち悪いほど暗く、しつこく、厭世観に取り憑かれた中年になりきっている。

とりわけ、死に化粧をほどこした妻の亡骸に、恨みとも嘆きともつかない独白をする場面は、映画史上に残る名演と言ってもいいのではないだろうか。

パリの一角の薄汚れたアパートの一室に偶然居合わせた「男」と「女」。

そこにかかってきた一本の間違い電話が、突如、二人の緊張を解き放ち、得も言われぬ欲望を掻き立てる。

まるで磁石が引かれ合うように抱き合い、立ったまま激しく交わるが、その後、二人は、互いの素性を聞くこともなく別れ、男は自殺した妻の実母が待つ我が家へ、女は婚約者の所へ、帰って行く。

だが、肉体の余韻に誘われるように、再びアパートを訪れる二人。

それから名も知らず、素性も分からない、奇妙な逢瀬が始まる。

女は自己紹介しようとするが、男は、「名前は言うな、聞きたくない。ここでは外のことは一切忘れて、ただの男と女として交わるんだ」。

そんなスリリングな状況に最初は心を躍らせるが、女は「何ものにもなれない」ことに不満をつのらせ、男はやり場のない気持ちを持て余すようになる。

そんな時、恋人からのプロポーズ。

一度は、仮縫いの花嫁衣装を着けたまま、「やっぱり別れられない」と男に取りすがるが、現実にかえり、魅力的に見えた男が、ただのルーザーであることに気付いた女は、「もう終わりにしましょう」と冷たく突き放す。

だが、こうなってはじめて真実の愛に気付いた男は、必死に彼女の後を追いかけ、真心を打ち明けるが、女のとった行動は思いがけないものだった──。

この映画の最大の見所は、孤独と絶望にうちひしがれ、「この世にいいことなど何一つない」と捨て鉢だった男が、最後の最後にやっと愛に目覚め、人生に希望をもった瞬間、その夢がもっとも残酷な形で絶たれてしまうことである。

「もうイヤよ、終わったのよ」と突き放す彼女に、恐らく、今まで誰にも感じたことがない、まして本気で口にしたこともない、聖なる言葉『I Love You』を告げるポールの顔は、まるで天の光に浄化されたように真摯で清らかだ。

童話なら、感動のうちに抱き合い、永遠の幸福にいたる場面だが、ベルトリッチは容赦なく人生の現実を突きつける。

幼少時から家族愛に飢え、家畜の糞にまみれるような貧しい生い立ちの男と違い、立派なお屋敷で、将校の父親と貴婦人の母親に大事に育てられ、将来有望で優しいフィアンセもある若い女には、妻に自殺された45歳の、生殖能力もない男が夢に描く田舎暮らしなど、とても魅力的には思えない。

かといって、上手く言いくるめて疎遠にできるほど大人としての知恵もなく、「イヤよ」と言って逃げ回るだけだ。

小娘の放った一撃を浴び、男はようやく人生の真実を悟る。

人は孤独から逃げようがなく、誰一人として、本当に分かり合うことなどないのだ、ということを。

そして、おそらく、彼女は自分の罪を最後まで言い逃れるだろう。

「しつこく私を追い回して、レイプしようとした。名前も知らない男よ」

周りも納得し、美しい花嫁としてバージンロードを歩く。

ハンサムな夫との幸せな結婚生活が待っている。

昨日までの出来事は、悪い夢。

何でもないこと、だと。

若い女には、無限に広がる未来があり、チャンスがある。

だが、人生半ばに達した男は、新しい道を行くことも、後に戻ることも叶わない。

この温度差が、人間の悲哀をいっそう色濃く浮き上がらせる。

そして、恐るべきは、人間の辛い真実を、30歳のベルトリッチが見事に描ききったことだ。

神の救済までも突き放すような監督の鋭い眼差しは、キリスト教において固く禁じられているある種の「性行為」を通じて、人間の救いようのない不幸と無力さを観客にとことん突きつける。

それは、性表現がいっそう派手になった21世紀に見直しても、下品で、破廉恥で、宗教的感情を逆撫でするような場面ではある。

だからこそ、肉欲にまかせた触れ合いの中で、神の助けも借りずに真実の愛に目覚めたポールが、いっそう神々しく映らずにいないのである。

『ラスト・タンゴ・イン・パリ』。

紳士淑女が集う高級バーの片隅で、二人は最後の杯を飲み交わし、酔いにまかせてダンス・コンテストの会場に転がり込む。

そして、下品きわまりないタンゴを披露し、審査員に叱責され、上品ぶったおばさんにお尻の穴を見せて去って行く。

哀愁に満ちたタンゴをバックに、無邪気に絡み合う二人の姿は、幸せそうな恋人同士にしか見えない。

そして、若い恋人ともう一度、新しい人生を生き直したいというポールの願いは、あまりに残酷な仕打ちで返されてしまう。

それでも「愛」は愚かだろうか。

希望は常に裏切られるのだろうか。

否──。

この世のことも、人が生きることも、それほど単純ではないことをベルトリッチは教えてくれる。

ポールが最後に辿り着いた『I Love You』の想いと、すべてを納得したような静かな死に顔。

一見、マリア像を後ろから陵辱するような作品に見えて、実は、人間の内なる『神』を描いているように思えてならないのである。

記:2010年4月24日

スクリーンショット

造花の付いた黒い帽子、白いロングファーのコート、ミニのワンピースという着こなしも素敵。

ラストタンゴ・イン・パリ

情事が終わって、憑き物が落ちたようにすっきりとアパートから出てくる男。

ラストタンゴ・イン・パリ

大変な事をしてしまったと恐れおののく女。この対比が素晴らしい。

ラストタンゴ・イン・パリ

ポールは若い娘に何を夢見ていたのか。

ラストタンゴ・イン・パリ

二人のラストダンス、一瞬、ジャンヌが見せる笑顔が素晴らしく可愛いだけに、その後の悲劇が胸に刺さる。
タンゴの旋律がどこまでも哀しい。

ラストタンゴ・イン・パリ

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・ガトー・バルビエリと『ラストタンゴ・イン・パリのテーマ』
・マーロン・ブランドと『バター』
・マリーナ・ショーの歌唱