音楽CDは握手券より歌詞カードとライナーノーツの充実をお願いします。

音楽CDは握手券より歌詞カードとライナーノーツの充実をお願いします。

音楽CDに挿入されたライナーノーツは、日本が誇る文化の一つと思う。
下記にも書いているが、歌詞カードやコラムなど、ご丁寧に冊子を挿入しているのは日本のCDぐらいで、他国のCDにはそんな親切なガイドブックはどこにも存在しないからだ。

私はライナーノーツで育った。
幼稚園の頃からクラシック、歌謡曲、ポップス、ジャズ、様々なジャンルの音楽に親しみ、レコードやCDを購入し(時にはレンタルし)、ライナーノーツの隅から隅まで目を通してきた。
音楽を再生する前に読むこともあれば、雑学は後!と、全て聞き終わってから目を通すこともある。
が、どちらにしても、ライナーノーツに書かれた一言一句が、アルバムに収録された音楽と地続きであり、日本に限っていえば、ライナーノーツあっての音楽文化である。

しかしながら、ライナーノーツを記述したライターの一人一人に詳しいプロフィールが掲載されているわけではない。
多くの場合、末尾に「○田○夫」と、名前が記されているだけ。
たまに「雑誌 ××」と併記されていることもあるが、それでも、多くの書物が著者の経歴を詳しく記載していることを思うと、ライナーノーツのライターの扱いは「添え書き」程度である。

というより、それがライナーノーツの書き手の美学なのだろう。

主役はあくまでアーティストであり、アルバムだ。
私はその解説をさせてもらっている、エヴァンジェリストの一人にすぎない……という、謙虚さ、あるいは矜持みたいなものが末尾の書名から伝わってくる。さながら、レンブラントの名画の右隅に、にょろっと”Rembrant”と走り書きされているみたいに。

私は、2002年に日本を出国する際、多くの私物を処分し、わずかな身の回りの物だけを持ち出した。海外発送料だけでも馬鹿にならないからだ。
荷物の大半は、本とCD。
CDに関しては、さらなる軽量化を図る為に、ディスクと冊子だけを抜き取り、ケースはすべて処分した。
そして、CDはビニールパック型のCDケースに一括して収納し、冊子は小型の収納ボックスにまとめた。CDラックにずらりと並んでいたコレクションが、ケースを取り去ったら、これだけの量だったのかと茫然とするほどだ。

それから時は経ち、CDからiTune(楽曲ダウンロード)、iTuneからYouTube(無料視聴)と、音楽市場は形を変え、現在ではSpotiryのような定額配信が主流となっている。

iPodやスマホの登場で、音楽は「鑑賞するもの」から「携帯するもの」に変移し、音楽はいっそう身近になったが、もはやCDのようなパッケージ商品は売れず、好きなアーティストがニューアルバムをリリースしても、発売日を楽しみに大手ショップに買いに走ることもない。とりあえずYouTube、とりあえずSpotify、曲が聴けたらそれでいい。私も今後、CDを買うことはないだろう。もし買うとしたら、デジタル音源ではなく、レコードが欲しいと思う。

何にせよ、時代が元に戻ることはなく、今後、若い人たちが、ライナーノーツを目にする機会も無くなっていくだろう。

そんな事を思いながら、収納ボックスにコレクトしたライナーノーツを眺めていると、なんと素晴らしい文化だったのかと改めて思う。

オリジナルの歌詞、日本語訳はもちろん、アーティストの現況、新曲が作られた経緯、アルバムの聞き所、クラシックなら楽理や歴史に至るまで、小さな冊子に分かりやすく記載され、ライナーノーツを読めば、初めて聞くアーティストでも、キャリアや特徴が一目で理解できた。それも単なる宣伝文ではない、千字か二千字のコラムには、ライターの感性がきらりと光り、専門性もさることながら、音楽に対する真摯な姿勢がひしひしと伝わって、それが楽しみでCDを買っていたといっても過言ではない。
にもかかわらず、末尾には署名だけ、ライター自身のキャリアは一言も書いてない。どこかの偉い先生かベテラン音楽ライターだろうに、文末の()の中に名前が記してあるだけ、その守護天使のような存在感がますます森厳に感じるんだな。

このまま定額配信が主流になれば、CDも楽曲が全てとなり、ライナーノーツの意義も、ライナーノーツを書く人も、だんだん稀薄になっていくのだろう。
読む人がなければ、書く力も衰えて、素晴らしい書き手も失われていくかもしれない。いや、その代わり、ウェブメディアがあるじゃないか……と思うかもしれないが、ライナーノーツのスキルとは全く別だ。ライナーノーツは、冊子の印刷面にピタリと収まるように文章を仕上げねばならず、「一記事=4000字前後」などという、アバウトな世界ではないからだ。

そうして、ライナーノーツが20世紀の遺物となり、リスナーも必要としなくなれば、私たちは何をもってアーティストのことを理解すればいいのだろう。ただ自分が心地よく感じさえすれば、いい音楽なのだろうか。
もちろん、そうかもしれないが、創作の背景を知ってこそ、アーティストや楽曲への理解がいっそう深まる部分もある。この曲を作った時、バンド内では解散の危機だったのか。前作の失敗で、世間の無理解に苦しんでいたのか。何気に聞いていたけど、この旋律にはそんな意味があったのか、etc。シャカシャカと聞いているだけでは気付かぬこともたくさんある。私たちが及ばぬところを専門的に補い、新たな切り口を開いてくれるのがライナーノーツだ。耳に心地よければそれでいい……というのは、好意に見えて、その実、愛から程遠いような気もする。

これからもスティングやラフマニノフは新たなファンを獲得し、そのベストアルバムは百年先も聞き継がれるだろうが、CDケースにセットになっていたライナーノーツが読まれる機会はうんと減るだろう。次世代は、そんなものが存在したことさえ知らないリスナーが大半かもしれない。

それを思うと、ライナーノーツで育った私としては、どんな形でもいいから、アルバムの購入者、もしくは有料会員が閲覧できるようにして欲しいと願わずにいないのだ。

音楽は、制作の背景、リスナーの体験、美しいジャケット、楽曲にまつわる幾多のエピソードを含めて『作品』という。

音楽”だけ”が聴かれる時代は便利かもしれないが、進歩の裏側で、一つの愉しみは確実に失われているような気がする。

そもそもぼくは、次のスタイル・カウンシルのライナーは絶対俺に書かせてくれ、とレコード会社に嘆願した人間であって、その裏には職業評論家に賃労働めいたスタンスの原稿を書いてたまるか、という心理があった。ポール・ウェラーが、金の成る木でもあったジャムを自らの手によって葬り、純粋な一ファンの立場で新たに音楽を制作していく事を宣言した以上、音楽的作品解説でお茶を濁すのはもはや場違いだと思っていたからである。

増井修(ロッキング・オン)スタイル・カウンシル CD『カフェ・ブリュ』ライナーノーツより

※ ライナーノーツの典型(スタイルカウンシルの『カフェ・ブリュ』より)
ライナーノーツ

※ ライター署名+社名
スタイルカウンシル ライナーノーツ

※ ライター 署名のみ
ライナーノーツ

追記:2018/05/12

2014年の投稿:歌詞カードとライナーノーツへの思い

ずっと以前、アメリカのウォルマートに立ち寄った時、突如としてマイケル・ジャクソンが聴きたくなり、衝動的にベストアルバムを購入した。

ビニールの封を開け、プラスチックのCDケースを開けた時、思わず私は唸ったものだ。

あれっ、歌詞カードが入ってへん!!

アメリカで売ってるCD=輸入盤=歌詞カードなんか付いてるわけないじゃん=あの和訳とライナーノーツが一緒になったCD冊子は日本特有のサービスなんだよ。

ということに、ようやく気付いた私。

ずっと以前からタワーレコードに立ち寄っても、どれほど輸入盤の方が安くても、常に国内盤を買い続けたのは、日本のリスナー向けに特別編集された『CD冊子』が欲しかったからだ。

そして多分、100円、200円、高くついても、国内盤を買い求める人の理由は、私と同じく冊子目当てではなかろうか。

iTuneの登場以来、海外では音楽のダウンロード購入が主流となり、最近では定額制のストリーミングサービスが興隆を極めている。

歌詞カードのないアメリカでは、CDディスクもデジタル化されたMP3ファイルも変わらない。どちらも楽曲しか存在しないからだ。

それなら、より手軽で、場所を取らないダウンロード購入を選ぶのは自然な流れだろう。

「目当ての音楽が聴けたら、それでいい」

歌詞カードに親しみのないリスナーはそれで納得する。

しかし、私のように、CD(レコード)には歌詞カードやライナーノーツが付きもの、それを読むのが楽しみでわざわざ割高な国内版を買い求めるリスナーには、「音楽だけ」のダウンロードは物足りない。CDと同じ値段でも非常に味気ないし、すごく損した気分になる。

いかにiTuneやAmazonが割引サービスや手軽なクラウド保存など、プラスアルファのサービスをくっつけても、CD冊子に綴られた味のあるライナーノーツや(クラシックであれば専門家による詳細な解説)、オリジナル歌詞の一言一句を掲載した歌詞カード、プロ手による和訳に優るものはないからだ。

音楽好き──とりわけ、洋楽とクラシックを愛する者にとって、ライナーノーツは最初に触れる「言葉の音楽」である。

大好きなアーティストのニューアルバムを買ってきて、ビニールの封を開き、工場出荷ほやほやのケミカルな匂いを嗅ぎながら、あるいは指紋を付けるのが惜しいくらい、ねっとりと、かつ透明感のあるCDケースの感触を楽しみながら、ディスクよりも上のポジションに収められた冊子を開く時、私たちは言いようのない高揚感を覚える。

プロの評論家はこのニューアルバムをどう評しているのか。

ファーストアルバムから三年、あのアーティストはどんな風に空白の時を過ごしたのか。

海外での反応は?

噂されていた解散の真相は?

そして次なる動きは?

インターネットもなく、衛星放送もない時代、プロの音楽評論家や事情通が届けてくれるライナーノーツこそ、愛するアーティストに続くたった一つの扉だったからだ。

たとえば、こんな感じ。

*

今、わたしはマンハッタンのホテルに滞在している。
記者会見の帰りに買った赤ワインを飲みながら、待望のセカンドアルバム『●●●』に針を落としたところだ。
衝撃のデビューアルバムから四年。
今年こそ、と期待されながら、▲▲はなかなか新作に手を着けようとしなかった。
ギタリストの**との確執、次第に強まるジャズへの傾倒。
▲▲の周囲では様々な噂が飛び交い、このまま音楽市場から忘れ去れるのではないかと懸念したこともあったが、▲▲は見事に迷いをふっきり、その天賦の才をあますことなく見せつける。

たとえば、三番目に収録された「****」。この曲は夭折した天才ヴォーカリストNに捧げたものと言われている。
▲▲自身、インタビューでも答えているように、その歌唱はどこかNを意識し、二番煎じのレッテルを払拭しきれないできた。
しかしながら、このセカンドアルバムでは……

*

アメリカもイギリスも遠い海の向こうの未知の世界だった時代、『マンハッタン』という言葉を聞くだけで胸がときめいてしまう。

海外アーティストの情報も無料のプロモーションビデオも、簡単に手に入らない時代だったからこそ、憧れのアーティストに一番近い所にいる音楽評論家の言葉が何よりも有り難く、新しい世界を開いてくれる扉だったのだ。

それに加えて、親切丁寧な歌詞カード。

さっぱり聞き取れない英語の歌詞も、冊子にすべて書いてある。

その続きにはプロの手による和訳。

ああ、この英文はこんな風に訳すのか。

CDの歌詞カードこそ最良の英語の教科書だった。

国内版に限っていえば、CD(レコード)は総合芸術だ。

有名カメラマンやイラストレーターによる印象的なジャケットがあり、作り手の愛情がいっぱいつまった冊子がある。

時にはオマケのようなフォトブックも付いてくる。

これらが一体となって、アルバム『****』を形作っている。

音楽が目的でも、私たちは、目で、言葉で、アルバム全体を味わっているのだ。

ジェイ・コウガミさんのエントリー『ニューヨーク・タイムズが稀有な日本の音楽市場を紹介。未だに売上げ85%をCDが占める現状をどう報じたか?』によると、海外では『日本市場が世界とは全く異なる市場である』と評されているようだが、「マイケル・ジャクソンのベスト盤に歌詞カードが入ってない」国の人々には、『目で、言葉で、アルバム全体を味わう』という悦びは想像もつかないかもしれない。

音楽好きがどれほどライナーノーツを愛し、和訳付き歌詞カードを重宝し、あの小さな冊子の為なら数百円の差額など気にも留めない気持ちなど。

今はCDの売り上げも芳しくないという。

今もコツコツと良質な冊子を付けてくれている洋楽やクラシックはともかく、一つの手立てとして、日本の歌謡曲やポップスにも「CDでしか手に入らないコンテンツ」をもっと充実させてはどうだろうか、握手券じゃなくて。

たとえば、竹内まりやさんのベスト盤。あの名曲『駅』が作詞された背景をファンは知りたいと思うし、今振り返っての心境にもとても興味がある。

オフコースの『I LOVE YOU』。あそこに収録された英語のナレーションが「ジョン・レノン射殺の速報」というのは通の間では有名だけど、改めて小田さんのコメントを読んでみたい。

今一度、本当に音楽を愛する日本のファンに向けて、楽曲以外に語りかけてくれないものだろうか。

あるいは、その歴史をよく知る人が総括的なライナーノーツを寄稿されても興味深いと思うのだけど。

「今さら日本の歌謡曲の歌詞カードなんて無意味」と考える人も多いだろうけど、サザンとかユーミンとか、詩集にしてもいいくらい素敵な歌詞を改めて冊子にしても新鮮な味わいがあると思うよ。YouTubeで何となく聞き流すのと、「歌詞」として改めて意味を確認するのでは、五感に訴えるものが全く違うから。

思えば、私が中学生の頃、ライナーノーツの書き手は音楽ファンの憧れの的だった。
「FMステーション」のような音楽雑誌の読者Q&Aに「ライナーノーツを執筆するのが夢です。どうしたら書き手になれますか」という質問に対し、「残念ながら、ライナーノーツを書く資格や会社はありません。何所に行けばなれますという道筋はないのです。まずは音楽関係の仕事に就き、研鑽を積み、その世界で実力で認められて、云々」みたいな回答がなされていたのが今も印象に残っている。

もし音楽産業が完全にデジタルに移行してしまったら、ライナーノーツの書き手も、ライナーノーツそのものも、需要が無くなってしまうかもしれない。

それは音楽のみならず、文筆業にとっても大変な損失ではあるまいか。

楽曲と一緒にPDF版をダウンロードさせてくれるならいいけれど、そんな手間のかかることはどうせやらないでしょ、企業さん?

そんな流れの中、世界的には少しずつではあるがLPレコードへの回帰が始まっている。

私も近所のメディアショップでかなり大きなLPレコード・コーナーを見た時、懐かしいというよりは、今さらそれを珍しがる人の心理が蓄音機時代みたいに不思議だった。

しかし、ダウンロード購入の「音楽以外、何もございません」という合理的商品に飽きた人たちが、総合芸術としての「レコード」に魅せられ、あのプツプツとした針の飛び具合にアーティストの息づかいを感じる気持ちは非常に理解できる。

日本の音楽業界も、この際、特異な日本のリスナーに集中し、「数百円割高でも国内版を買い求める音楽愛好家の気持ち」に活路を見出していただきたい。

女は生まれながらに空白の部分を持っている。女の人生は、それを満たす為の旅である

この一文から始まるライナーノーツを寄せたのは、確か湯川れいこさんだったと記憶する。

私がもっとも印象に残っているライナーノーツの一つである。

入っていたのは、ジャニス・ジョプリンのベスト盤(LPレコード)。

購入したのは中学2年生の時だった。

「女は生まれながらに空白の部分を持っている」

これが何を意味するのか、理屈では解ったが、『女性』としてはさっぱり実感が湧かない。

その頃の私は当然のことながら処女だったし、恋と呼べるほどのときめきも知らず、仲の好い男友達とガハハと笑いながらアイドル歌手の物まねをしたり、腕相撲に興じたり、猿がセーラー服着てるような「学年でも特に発達の遅い」女の子だったから。

それでも「女の中の空白」というのは中学生の心にも強烈に残り、ことあるごとに思い返した。

お兄ちゃんみたいに慕ってた先輩に失恋した時。

みんな彼氏がいるのに、私だけ「ぼっち」な時。

最初の交際で玉砕した時。

泣いても泣いても涙が尽きないほどショックで、淋しくて、心がばらばらになりそうな時、いつでも頭の片隅で「自分の中の空白」を感じてた。

大人になってからは、身体の中でも。

だが、不思議と女性である自分に嫌気が差さなかったのは、「女の人生は空白を満たす為の旅である」という湯川女史の言葉にいつも励まされ導かれしていたからだろう。

時にそれがバカみたいな片思いであっても、女である自分を楽しみ、慈しみ、生まれながらの空白ととことん向き合って、正直に生きてこられたような気がする。

レコード(CD)に収められたライナーノーツは、単なる「解説」や「オマケ」ではない。

時には目的の音楽よりも鮮烈に心に響くことがある。

目の覚めるような一文と共にジャニスのLPレコードに針を落とした時の印象は、定価2000円を遙かに超えていた。

私たちはそんな『感動の一瞬』を求めてレコードショップを旅する。

その人生は、魂を満たす為の旅である。

*

ジャニス・ジョプリンについては、こちらのサイトで詳しく解説されています。

酒と薬と男と女 そしてブルースとともに- ジャニス・ジョップリン

*

私が強烈に惹かれたのが名曲『サマータイム』。
ジョージ・ガーシュウィンの作曲で、ジャズのスタンダードナンバーとしても有名。

独特のハスキー・ボイスと、なんともいわれん哀愁に惹かれた。
いつも部屋の電気を消して、目を閉じながら聴いてたわ。
「女の空白って、ナニ??」と中学生の頭で考えながら。


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