一人の作家を愛することから始めよう ~小説を書き始める前に

昔から、小説を書くよりも、「小説の書き方」について書いた方が、人気が出るものです。

多くの場合、他人の書いたものを読むより、「自分の書いたものを読んでくれ」という人の方が多いからです。

だから、「もっと彼氏に愛される10の方法」とか「三ヶ月でモテる女になる!」みたいなノウハウを読み漁るように、「「人気の出るブログの書き方」や「文章術」を身につけようと必死になる。

しかし、あなたが誰をも愛さないように、誰かもあなたを愛することはありません。

何故かといえば、読者が書き手のどんなところに惹かれるか、自分自身が体験してないと、読む人の気持ちも理解できないからです。

たとえば、立派なことを書けば愛されると思う。

正しいことを書けば、人気が出ると思う。

目立てば、注目されると思う。

こういう思い込みは、誰をも愛したことがない証です。

自分が本気で一人の作家を愛したことがないから、読む人の気持ちが分からず、「こうすれば愛されるだろう」という自分本位な期待を押しつけてしまう。

いわゆる「自分に酔っている」というのは、上記のような思い込みの結果だと思います。

たとえば、私は○○さんの大ファンですが、○○さんは決して名文家ではありません。

どちらかといえば、紋切り型で、どの作品も社説を読んでいるような感じです。物語のオチも大体同じです。

しかし、言葉の端々に、現実社会に対する怒りや、やるせなさが滲み出し、「私が書かねば、誰が書く」という強い使命感を感じます。

一般人なら、「それが現実。どうしようもない」と開き直るところも、登場人物の立場で、徹底的に方策を考え、一つの答えを提示します。

それも演説や説教ではなく、胸にぐさっと突き刺さるような老人の独り言であったり、傲慢な主人公の凋落であったり、いろいろです。

一つのテーマに対して、必ず答えを用意する。

それが正解であれ、間違いであれ、登場人物と一緒になって、必死に考える姿に、作家としての気概や高い志を感じるんですね。

そのあたりを読み取れない人は批判もするけれど、誰がどのようにケチをつけようと、私にとっては最愛の作家の一人に違いないし、その作家のどこが好きなのですか? と問われたら、「文章」でも「筋書き」でもない、「原稿に向かう姿勢」「言葉(情報発信)に伴う責任感」と答えます。何故なら、全ては、そうした精神性から生み出されるからです。

すると自分自身が書く時もこう思う。

読む人は、美文とか、知識とか、「上手いこと言うな」みたいな捻りが読みたいのではない(現代なら、そんなものはブログやSNSに大量に存在します)

作者自身を感じたいのだ、と。

時に間違い、落ち込みもするけれど、一つのテーマに向かって突き進む姿とか。

私が書かねば、誰が書く、といった気魄です。

しかしながら、「知識を披露すれば、尊敬される」とか、「上手いこと言えば、人気が出る」とか、表面的なことだけ追いかけていると、読み手はすぐ、その『あざとさ』に気が付いて、すっと離れていきます。

「書くの、上手いね。それで?」みたいな。

それよりも、自分に忠実であること。

何より、それを書く自分自身が魅力的であること。

あなたが好きな作家の雑なところも、ワンパターンなところも愛するように、読む人も、あなたの繊細な人柄や、おっちょこちょいなところを愛するようになるのではないでしょうか。

それが作家と読者の絆です。

上手く書こう、目立とうとするよりも、まずは、あなた自身が一人の作家を心から愛して、「読者愛」を理解すること。

作家への愛は、回り回って、あなたの文章を高めてくれるものです。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。1998年よりホームページを運営。PCと車が大好きな80年代のサブカルファン。WordPressとは10年以上の付き合い。普段はぼーっとしたお母さんです。小説より漫画とアニメに詳しいヲタで、昭和の名作漫画は大半の台詞を空で言うことができます。東欧在住。本を買ってくれたら喜びます。

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