権力に折れるか、科学の良心に従うか

権力に折れるか、科学の良心に従うか

「そんなデータを公にされたら、うちの立場が悪くなる。何とか改竄できんものかね」なんて話は、漫画でもなくドラマでもありません。企業でも、政界でも、データをゴニョゴニョする例は枚挙にいとまがないですから、いちいち表沙汰にならないだけで、水面下ではもっとたくさんあると思います。それが利益操作程度のものであれば、道義的責任で済むかもしれませんが、もし大勢の生命や福祉にかかわることであれば、これは非常に重大な犯罪であると思います。たとえば、高確率で異常が生じるのに、データを改竄して、安全性を強調するとか、ほんとは毒性が強い物質であるにもかかわらず、データを改竄して、「少量ならばダイジョーブ」と微妙な言い方をして売り出すとか。

だけども、科学者の良心は、経営者の利欲とは異なります。

科学は、利益よりも真実を尊ぶものだからです。

本作では、「深海で何を発見しても、見て、見ぬ振りをしろ」と、鉱山会社の社長に脅迫されます。

恋人を人質に取られ、一時は折れそうになりますが、かつての上司で、潜水艇の操縦士長から思いがけず電話があり、『深海での出会いは一度きり』と励まされます。彼もまたこの道に足を踏み入れた頃の気持ちを思い出し、「見たままを伝える」覚悟を決めます。

こうした科学者の良心によって、世界は進歩してきました。

ジョルダーノ・ブルーノしかり、コペルニクスしかり、世界を変えるのは、『それでも地球は回っている』という勇気と信念なのです。

抜粋

権力に折れるか、科学の良心に従うか

※ 自律型の海洋調査器で、資料として提出された海底写真の改竄に気付いた調査チームは、調査場所の変更を提案するが、逆にファーラーに脅迫される

だが、待ち構えていたのはロバート・ファーラーだった。彼が声を荒げる間もなく、
「話は聞いてるよ」
豪奢な船室の革張りソファで傲然と構えながらファーラーが言った。

「まったく困ったものだ。これでは何の為に高い経費をかけて有人潜航を取り入れたのか分からない」

「それは、あんたが無知だからさ」

彼は即答した。

「誰にそそのかされたか知らないが、ろくに海洋科学の専門書も紐解かず、地上の鉱山みたいに探査できると勘違いしたのが原因だ。スタッフはみな最善を尽くしてる。気持ちはどうあれ、少しでも可能性の高い方に船を進め、科学的に有為なデータを持ち帰ろうとしている志は本物だ」

「志など、どうでもいい。依頼主として、どういう了見でスケジュールや調査場所を変更したのかと聞いてるんだ」

「だから、何度も言ってるように、より興味深い対象が見つかれば、そちらを優先するのが定石だろう。南のマウンド群も、皆が寝る間も惜しんで無人機を走らせて……」

「我々が調査を依頼したのはカルデラ底だ。なぜ精査しない」

「あんたの方こそ、どうして決め手になるデータを出そうとしない? 二言目には企業秘密で覆い隠して、オリジナルの貴重な画像データまで平気で改竄する」

「メテオラ海丘に関する大半のデータが失われたのは本当よ」
ファーラーに代わってオリアナが答えた。
「コンチネンタル号の座礁で電気系統がやられ、サンプルを保存していたラボラトリの冷凍庫も、保温器も、何もかも浸水して、機能停止に陥った。研究者が個々に所有していたPCや記録メディアも大半が海中に失われ、データ復旧も叶わなかった。それゆえ、ローガン・フィールズ社の負債もいっそう大きくなったの。そうこうするうち祖父は病死し、解散した役員は我先に逃げ出して、残されたデータに見向きもしなかった。それが今、私の父を経て、表に出てきたという訳よ」

「だったら、そのように説明すればいいじゃないか。スパイごっこじゃあるまいし、何の為にそこまで機密性にこだわる? 有用な情報は積極的に情報を公開して、優秀な専門家を誘致すれば、研究開発にも弾みがつくだろう。もっと安全に鉱物資源を回収する手立てが見つかれば、重労働や鉱害病で苦しむ人も激減するだろうに」

「君もよくよく夢見がちな理想肌だな。みなで仲良く富を分け合い、この世から貧苦をなくすのが最善だと本気で思っているのかね? 今、底辺にいる者たちが、君と同じように最新のIT機器を買い求め、高性能の自動車を乗り回し、最先端の文明生活を享受するようになったら、鉱物資源などあっという間に枯渇して、社会が成り立たなくなる。我々だって、好きで地下数百メートルの坑道に労働者を送り込んでるわけじゃない。だが、彼らにも日銭は必要だ。我々は雇用という形で彼らを救済しているんだよ。よその会社では到底相手にされない、アル中やぼんくらも含めてだ。そして、彼らも、君と同じように最新式の電話やPCを買って、快適な生活を享受したい。その為なら高温高湿の地下坑道にも躊躇せずに入る。世の中というのは、そういう矛盾があればこそ回るものだ。君のように綺麗事を並べても、誰も救われない」

「あんたは人間ってものをまるで分かっちゃない。たとえ飼い犬みたいに坑道に繋がれても、個々の自由と人生はその人たちのものだ。あんたは支配しているつもりでも、一人一人はそうは思ってない。にもかかわらず、自分はこの世の王だと自惚れているとしたら、それこそ道化だ。情勢が変われば、あんたみたいな人間から真っ先に街灯に吊される。誰もあんたに恩義も尊敬も感じてないからだ」

「そうかね」

「ともかく、明日の調査は我々に任せて欲しい。カルデラ底を調べるより、きっと価値あるものが見つかる。音響測深や音波探査ではっきりしてるんだ。あのマウンド群に海のメカニズムを解く何かが存在することが」

「何か、何かと、漠然と言われても分からんね。今回の調査は海底鉱物資源を主眼とするものだ。君ら研究員の科学的好奇心を満たす為に、数千万エルクを負担してプロテウスを投じたわけじゃない」

「分からん人だね、あんたも。同じ海底鉱物資源でも、基礎岩を覆う海台クラストと熱水噴出孔に沈殿する多金属硫化物は、性質も、生成のプロセスも全く異なる。アステリアの地殻活動もネンブロットとは全く異なるし、ウェストフィリアの火山とニムロデ鉱山は似て非なるものだ。アステリア独自のシステムを理解して初めて、探鉱の技術も飛躍的に進歩するということがどうして解らない? あの不可解なマウンド群と地下の間隙は、その謎を解く大きな鍵になるだろう。すでに活動を終えたカルデラ底よりも、科学的に有為と判断すればこそ、明日は南マウンド群を目視しようと言ってるんだ。そんなにカルデラ底を調べたければ、次の機会にやればいい。あの地形と水深ならノボロスキ社の無人機で十分に対応できる」

「では、百歩譲って君の言う通りにしたとして、何も成果が得られなかったら、どう始末をつけてくれるんだね」

「始末?」

「そうだ。我々も君らの科学的満足の為に調査船をチャーターしたわけじゃない。こちらの指示に従えぬなら、それ相応の賠償をしてもわらないと困る」

「同じように高い経費をかけて、カルデラ底の調査が空振りに終わっても同じことだろう」

「こちらの指示に従って空振りに終わるのと、自分たちで勝手に調査場所を変更して無駄に終わるのでは責任の重さが違う。その気になれば、君個人に賠償請求することも出来るんだよ。君に払えるかね、何億、何十億の賠償金が?」

「……」

「マイニング社が良質なニムロディウム鉱床を求めるのは、自社の利益が全てではない。供給がストップすれば、宇宙船も飛ばないし、トリヴィアの地熱ジェネレーターも数週間でダウンする。宇宙植民地に暮らす何十億が瞬時に死に絶え、数世紀かけて築いたインフラも水泡に帰する。人の世が続く限り、ニムロディウムはどんな手を使っても供給されなければならないのだ。我々も社会的使命を帯びている。それゆえのウェストフィリア開発だ。仮に計画が暗礁に乗り上げ、各方面に多額の損害が生じれば、君はどうやってそれを補填する? 君自身が表に立って、理事会に弁明できるのか。君が何を主張しようと、現実は救えない。所詮、安全な立場で理想論を語っているだけだ。君はプロテウスのパイロットとして海洋調査に打ち込んでいるのが一番似合ってる。功を上げたければ、海洋科学の世界で腕を振るえばいい。そうすれば、誰の恨みも買わないし、大切な人が争いに巻き込まれることもない。マクダエル社長を見たまえ。なまじ海台クラストに手を出したばかりに、至る所、敵だらけだ。魅力的な令嬢は一人で町も歩けない。君だって、いつかは彼女と幸せに暮らしたいだろう? 海の見える家で、可愛い坊やを育てて、仕事に手応えを感じながら、良き市民として生きていく。だが、それも『人の恨みを買わなければ』の話だ。畑違いのことに首を突っ込むと、後々まで禍根を残すことになる。君も自分の身の回りの幸せを一番に考えて、身の丈に合った生き方をすればどうだ。それが君の為だし、君の大切な人の為でもある」

だから『黙ってろ』と――何を見ても聞いても、知らぬ存ぜぬで通せと言いたいのか

「君は物分かりのいい青年だと聞いている。今時珍しいほど真面目で熱心だ。わざわざ自分から火種を背負い込むような真似はせず、その優れた能力を他のことに活かせはどうだ」

だが、プロテウスのカメラが捉えたら、知らぬ存ぜぬでは通らぬこともある

「たとえカメラが捉えても、『誰も見なかった』ものは存在しない。違うかね?」

科学者に魂を売れと?

学説も金で買える時代だよ

宇宙の片隅の一期一会

※ 元上司で、パイロットの先輩でもある、ランベール操縦士長との会話。

「歯痒い思いをしてるのはステラマリスの科学者も同じだ。予算がなければ調査船も出ない。それでも皆、生涯のテーマと定めた研究に懸命に取り組んでいる。お目出度いかもしれないが、人間の情熱に優るものはない。明日の潜航はどうだ? 面白いものが見つかりそうか?」

「興味深いものはあっても、潜航の機会を生かせそうにありません」

彼がロバート・ファーラーとのやり取りを脳裏に浮かべると、

やりにくいことがあっても、その場に行けるのは『一度きり』だよ

ランベールは静かな口調で言った。

深海の珍しい生き物も、熱水が勢いよく噴き出すチムニーも、その場で出会えるのは一生に一度だ。もしかしたら、この数世紀のうちに、それを目にする人間は世界中で君一人かもしれない。それくらい稀少で、宇宙的スケールの出会いを、わたしたちは日常的に体験することができる。そうだろう?

彼は頷き、これまで目にしてきた壮大な深海の世界を瞼に浮かべた。

「時には何の成果も得られず、公費の無駄使いと揶揄されることもある。だが、深海に存在するものに無意味なものなどあるだろうか。水深数千メートルの海底に転がる一つの石塊にも数百万年の時の重みがあり、惑星の生い立ちや海のメカニズムを紐解く情報が詰まっている。君が初めて操縦席に座った時、何を見ても『同じ』にしか見えないパイロットにいい仕事はできない、とわたしは教えた。そして、君はその言葉の意味を正しく理解したと今も信じている。学術的にめぼしいものが有ろうと、無かろうと、深海での出会いは『一度きり』だ。その重みを思えば、答えは自ずと導き出されるんじゃないかね

彼は顔を上げ、かつての上司を初めて正面から見た。

「わたしは今でも君が十六歳の時のことを鮮明に覚えているよ。潜航を終えて、ハッチから出た途端、わたしの腕を掴まえて『どうやったらパイロットになれますか』と尋ねた。狭き門と知って、えらく落胆してたから、どうせ一時の感傷だろうと高を括ってたら、その年の冬休み、本当にプルザネまでやって来た。それから二度、三度とやって来て、どうしてもこれの操縦がしたいと皆にあれこれ聞いて回り、しまいには女性職員がショコラとマカロンを振る舞うほどだった。商船学校を卒業したら、即こちらに来るのかと思っていたら、海洋学部に進学して、ああ、本気なんだと分かったよ。あそこまで食いつかれて、足蹴にできる人間もない。それだけに、もう少し打ち解けて、あんな後味の悪い辞め方をさせるべきでなかったと悔いばかりが残る。プロテウスの廃船が決まった今となっては余計にね」

「では、本当なのですね」

「そうだ。いつかこの話が出るかと思っていた。それこそ時代の流れだよ。今はそれぞれに異なる機能を持つ、複数の自律型無人機を組み合わせて、より高度な深海調査が可能になった。宇宙探査の技術が海洋科学にフィードバックされるとは、なんとも皮肉な話じゃないか。人類は未だ深海の全てを目にしたことがないのに。こちらはプロテウスの廃船が決まって、皆、ショックを受けているよ。よそに移れる人はいいが、それが難しい人もある。先月も上層と大論争だ。一度は決定が覆りかけたが、金銭の話をされては誰も逆らえない。結局、君が一番運がいい。ごたごた揉める前に抜け出すことができた」

「人に誇れるようなことではありません。あの態度は間違いだったと自省することしきりです。ランベールさんはどうなさるんですか?」

「わたしはこれを機に辞表を出すことにした。引退するにはちょっと早いが、何十年と外洋に出ずっぱりで、少々、疲れたこともある。残りの人生は、知り合いの海洋研究者を手伝いながら、時々、海に出る暮らしを楽しもうと思っている」

「淋しくなりますね」

何にでも終わりはある。わたしだけが特別長生きして、好きな仕事を続けられるわけではない。だが、そこにプロテウスがあると聞いて、不思議と心が慰められる。どんな所かは知らないが、宇宙の彼方でこれからもプロテウスが活躍するとは嬉しい話じゃないか。いつか機会があれば会いに行きたいぐらいだよ

「よかったら、数週間でもパイロットの指導に来て頂けませんか。船はあっても、指導できる人が無いんです。実地の機会も少ないし、理論は学べても、
みな不安に感じてる。ランベールさんが来て下さったら、きっと励みになります」

「それも面白そうだね。一度、考えてみるよ」

「きっとですよ」

「それにしても、君も相変わらず熱心だね。潜航が終わった後も、いつも遅くまで格納庫で勉強していた。誰かが君が居るのに気付かず格納庫の鍵を閉めて、一晩閉じ込められたこともあったな。君は携帯電話も持ち歩かないから探しようもなくて、まさか海に落ちたのではないかと本気で心配していたら、ワーキングステーションの隅っこで毛布にくるまって眠ってた。まるで深海魚みたいだと、皆で噂していたのを思い出す。だから、君が海に潜ると、未知の生物が岩陰から顔を出して『コンニチハ』をするんだろうね」

彼が苦笑すると、ランベールも頬を緩め、
「ともあれ、もう一度、君と話せてよかった」
深い皺の刻まれた目元を潤ませた。

明日の調査も、『何かある』という勘は大事にすればいい。理屈が全てを解き明かすわけじゃない。何十年とかけて、これだけ潜っても、まだ真実の大半は海の底だ。なんと果てしない宇宙かと、つくづく感嘆せずにいない。アステリアの海にも、きっと豊かな生命の世界が広がっているだろう。だが、それは感じる人にしか分からない。何を見てもただの石塊にしか見えない人には、たとえ目の前に別の宇宙が開けていても、それとは気付かぬものだ。発見はいつでも己の内側からやって来る。Bonne(ボン) chance(シヤンセ), Wally. .明日も素晴らしい出会いがあることを祈ってる

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Product Notes

作中にも繰り返し書いていますが、深海には「一体、何の為? 何を食べて?」というような不思議な生き物がたくさん存在します。

しかも、人間の目で確認されているのは、一部でしかありません。

深海の隅々までくまなく探せば、何百種、何千種の、未知の生物が存在するとも言われています。

それこそ、誰の目にも触れることなく、生まれて、生きて、死んでいく生物が大半でしょう。

それでも一所懸命に生きている。

それをテーマにしたのが、次章の『人間の存在理由と深海の生き物 宇宙の片隅の一期一会』、本作の核となっている部分です。

口だけ、とか、ハラワタ丸見え、とか、一体、どこから、何の為に、このような生物が生み出されたのか、人間には到底計り知れません。

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