深海調査のオファーと資源探査の意義

深海調査のオファーと資源探査の意義

なぜ深い海の底を調べるのでしょう。それも数千メートル隔てた暗黒の世界です。
私たちが『世界』として見ているのは、惑星表面を覆う地殻の、ほんの3割ほどでしかありません。
たとえば、ハワイのマウナケア山は、標高4205メートルですが、海底からの高さは10,203メートル、実体はエベレストよりも巨大な山です。しかし、大半が海面下に没している為、私たちの目には、「エベレストが世界一高い山」に映ってしまうのです。

実際、海面下には、地上の山に匹敵するような、高い海山がたくさん存在します。
もし、海水がすべて干上がってしまったら、私たちは、ヒマラヤ山脈より、もっと険しい山並みを目にすることができるでしょう。

そして、今、私たちが立っている大地の全容が、実際にはどうなっているのか、詳しく知ることが、地上の火山や地震の仕組み、果ては未来の地球の姿を知ることに繋がるのです。もし私たちが、かなりの確率で、噴火や地震を予測することが可能になれば、人命を救うこともできるでしょう。

それは果てしない道のりかもしれませんが、研究を積み重ねれば、10を20に、20を50に、高めることも可能でしょう。

全ての鍵は、果てしない水の底にあるのです。

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。
詳しくは作品詳細をご参照下さい。

概要

『One Heart, One Ocean』の標語のもと、いっそう社会に、身の回りの人に心を尽くそうという時、リズの又従妹で、ファルコン・マイニング・リサーチ社に身を置くオリアナがウェストフィリア開発公社の名代としてアステリア・エンタープライズ社に訪れ、ヴァルターに深海調査の協力を求める。最初は反発するが、ウェストフィリア探鉱が一方で社会の活性化に繋がること、また潜水艇の新人パイロットが置かれた厳しい状況を知り、渋々ながら調査を引き受ける。その見返りに、潜水艇からの実況を要求するが、オリアナは知らぬ存ぜぬで無視を続ける。
そんな彼の苦労を知り、アル・マクダエルの娘として関係者に精力的に働きかけるリズ。彼女の気遣いを見るうち、自分に足りなかったものは何か、そして『運命』とは何か、思い巡らせる。

抜粋

深海調査のオファー:安全と情報公開

※ ウェストフィリア開発公社の命を受けて、オリアナが深海調査のオファーにやって来る。

「それにしても開発公社から深海調査の依頼とは心外だね。ノボロスキ社にも三人のパイロットと、操船可能な運航部のエキスパートが何人もいる。わざわざ俺に助力を要請することもないだろう」

彼が牽制するように言うと、オリアナはファルコン・グループのロゴ『ホルス神』が刻印された革のドキュメントホルダーを取り出し、テーブルの上に『第一期ウェストフィリア探査計画』と表題のついた冊子を広げて見せた。

「皆さん、すでに聞き知っておられるように、ウェストフィリア開発公社には、ファルコン・マイニング社、ファルコン・スチール社、スタットガス、GPオイル、カメル・コーポといった金属およびエネルギー産業の大手企業が資本参加しています。探査活動は、トリヴィア産業省所轄の『金属鉱物資源・エネルギー開発機構』の十ヶ年計画に基づいて行われ、二週間後の三月十六日より、ウェストフィリア本島および近海で本格的な資源探査を開始する予定です」

「だがね、俺は『資源探査』と銘打った深海調査にはまるで経験がない。得意な分野は惑星物理学と生物学的調査だ。鉱山会社の為に潜航したことはない。海洋学者の喜ぶデータなら幾らでも持ち帰れるが、鉱山会社の社長を喜ばせるような大発見はまあ無理だ」

「だったら、なおさら、ウェストフィリアは興味深いわよ」

オリアナはビジネスバッグからタブレット端末を取り出すと、東半球の広域海底地形図を表示した。

「ウェストフィリア島の東側には巨大な海底プレートの沈み込む場所が二カ所あり、アステリアの中でも地殻の動きが非常に活発なエリアで知られています。島の北方には、西から東にかけて、大洋底にネックレスのように連なる北冠状海山列があり、全長はおよそ二八〇〇キロメートル。島の南端には全長三〇〇キロメートルに及ぶ海底山脈が連なり、いずれも平均水深四〇〇〇メートルを超える長大な海溝を伴っています。ウェストフィリア島、および大小五十六個の島々からなる南部列島は、海底山脈から続く長大な火山帯の一部を構成し、ウェストフィリア島において現在までに確認されている火山の数は一〇〇以上。そのうち二十三個が活火山で、この十年の間にも大規模な噴火が七回も観測されているます。活発なのは島周辺の海底火山群も同様で、これまでに少なくとも三十カ所で金属硫化物を伴う熱水噴出域が確認されており、調査範囲を広げれば、もっと見つかるでしょう。それで、三月の調査では、ぜひとも有人潜水調査を取り入れたいという上層部の意向なの」

「それならノボロスキ社に頼めばいい。熱水噴出域も場所が把握できてるなら、無人探査機でも十分にアプローチできる」

「ええ、分かってるわ。でも、水深数百メートルの試験潜航を何度か経験しただけのパイロットに、熱水噴出孔のぎりぎりまで近づいて周囲の堆積物を採取したり、噴出孔の斜め上で静止して的確に写真撮影するような芸当が出来るかしら」

「サンプリングは『芸』じゃない」

「つまり……サンプリングやホバリングを行う高度な操船技術よ。有人潜水はそれでなくても経費がかかるし、必要な人員も半端ない。いくら開発公社が潤沢な資本に支えられているからといって、『今日失敗したから、明日もう一回』と簡単にいかないのは ご理解いただけるわよね。それで、ぜひ、あなたの力をお借りしたいの。新米パイロットに実際を教える意味でも、良いお手本になるのではないかしら。ねえ、エリザベス。あなたからもお願いしてよ。まかり間違えば大事故に繋がりかねない危険な調査よ。なんといっても人命がかかっているのだし、まさか知らぬ存ぜぬなんて、ねぇ……」

オリアナがわざと「人命」を強調するように言うと、横からセスが身を乗り出し、
「それほど危険と思われるなら、パイロットが習熟するまで計画を延期してはいかがです。何が何でも三月に実施しなければならない重要な調査でもないのでしょう。六〇〇〇メートルまでの深海調査なら、ノボロスキ社の無人探査機で十分に対応できますよ」

「確かにそうかもしれません。でも『実際にその場所に潜って目視したい』という調査員たっての希望なのです。今回の海洋調査にはステラマリスの『オーシャン・リサーチ社』から名うての研究員が数名参加します。開発公社の関係者はもちろん、ステラマリスの専門家方々もウェストフィリアには興味津々ですから」

「興味津々ね。だったら、一つだけ条件がある。ウェストフィリアに興味があるのは、アステリアに暮らす一般区民も同様だ。それでなくても、ファルコン・グループには誰もが疑念を抱いているし、過酷な未開地での開発事業を問題視する声もある。それについて、開発公社は正しい情報を伝え、社会の不安解消に努める義務がある。俺に助力を要請するなら、まず第一に、情報共有と区政への協力を約束してもらいたい」

「もちろん、そのつもりよ。調査で知り得たことは、鉱業法やその他の法律に則り、公的機関にも提出します。それとも開発公社がデータの改ざんや隠匿を行うと疑っておられるのかしら」

「そうじゃなくて、俺が言ってるのは一般向けの広報だ。社会への協力だよ。ウェストフィリアがどんな島で、開発公社は何を目的に資源探査を行うのか、調査には誰が関わるのか、どんな事業を行うのか。必要な設備、調査の実際、開発のメリット、デメリット、そして可能性。できる範囲で情報を公開し、必要に応じて説明も行う。地理的に遠く離れて、情報も遮断されてるのをいいことに、既存の社会を無視して好き勝手するなということだ」

「そんなこと漠然と言われても、今すぐ方策など立てられないわ。学級会じゃあるまいし、情報共有だの、説明だの言われても、そんな簡単に実行できるわけないでしょう」

「今すぐ全ての課題に取り組むのは無理でも、今日からでも出来ることがあるだろう」

「具体的にどうしたいの?」

「潜航調査の様子を実況させろ」

「なんですって?」

「インターネットでも、公共の電波でも、何でも使って、調査の模様をレポートするんだ。ウェストフィリア海域がどのようなものか、海洋調査に必要な機材や手法、海底の様子など、大勢に見てもらうんだよ。その中で、アステリアの方向性と可能性を探る」

「そんなこと、許されるわけがないわ」

「どうして? データの一から十までオープンにしようというわけじゃないんだよ。プロテウスも調査船も『ただの船舶』だ。内部を公開したからといって、困ることなど何もない。まさか潜ったその日に海底からざくざく金銀財宝が出てくるわけでもあるまい」

すると、黙ってやり聞いていたリズも初めて口を開いた。

「オリアナ。私も情報をオープンにできないという理由が分からないわ。テレビや新聞であれほど海台クラストの採鉱を批判しながら、どうしてウェストフィリアの海底鉱物資源を欲しがるの? だって、海底の堆積物を採掘するとなれば、プラットフォームと同じように海上基地を構えて、掘削機や集鉱機を稼働しなければならないのよ。その過程で廃棄物も生じるし、オペレーターには海上生活を強いることにもなるわ。それとも、海台クラストの採鉱は害悪で、海底熱水鉱床の採鉱は正当とする根拠は何なのかしら。もし、開発公社の資源開発を社会に受け入れてもらいたいなら、企業として広報に努め、少しでも多くの理解を得るのが正しい姿勢ではなくて」

「あなたの言い分も分かるけど、開発公社にも独自のスタンスがあるの。MIGやエンタープライズ社のような民間企業と違って、公金と国際企業の合同資本で成り立っているのよ。情報公開うんぬんも、幹部や政府と協議してからでないと対処のしようがないわ」

「じゃあ、何の為の『公社』だよ。公金を使って資源を掘るなら、情報開示や広報に努めて、社会の合意を得るのが第一だろう。税金を使って、そこらじゅう掘り返して、出てきた宝はオレのもの、後は山火事になろうが、洪水になろうが、知ったことじゃないというなら、宇宙の果てでやればいい。それでなくても君たちの会社は評判が悪い。ライバルと同じフィールドで闘わず、場外でフーリガンに襲わせて、弱ったところを後ろから禿鷹みたいに突っつく企業だと聞いている。でも、これから社会との関わり次第で、いくらでもイメージは変えられるはずだ。だから、俺が企業PRに貢献しようと申し出ている。たいそうな設備など必要ない。カメラとネットワーク環境さえあれば十分だ」

「では、そのように幹部会に伝えておくわ。それだけ『社会正義』を唱えるからには、自分の要望が通らなくても、深海調査には協力していただけるんでしょうね。どのみち有人潜水調査は実施されるし、そうなると、経験の浅いパイロットが操縦桿を握ることになる。水深数千メートルで実際のオペレーションを目にしたこともない人達よ。もし、あなたが個人的な理由で協力を拒むなら、大口を叩くだけの偽善者と見なすわよ」

「どうぞ、みなしてくれて構わないよ。だが、本当にアシストが必要かどうかは、君ではなく運航部のフーリエに確かめる。返事をするのはそれからだ」

「……いいでしょう」

深海調査と鉱物資源:鉱山会社の思惑

※ 調査のオファーに疑問を感じ、有人潜水艇プロテウスの整備を手がけるフーリエを訪ねる。

彼が声をかけると、整備士の一人が携帯電話で連絡し、ほどなくワークステーションの間仕切りの向こうからフーリエが顔を出した。
以前と同じパン屋のおじさんのようなニコニコ顔で寄ってくると「俺の可愛いシュシュ(キヤベツちやん)じゃないか、元気にしてたか」と彼の肩を叩いた。

「ウェストフィリアだ。深海調査の応援を要請された」

「やっぱり来たか」

フーリエは予期していたように頷いた。

「一月の予備調査で、開発公社の関係者から何度もパイロットの技量を尋ねられた。どれくらい潜れるのか、ビデオ撮影やサンプリングの習熟度はどの程度か、エトセトラ。三人の見習いは熱心に勉強しているが、まだ試験潜航の域を出ていない。そもそも深海調査の依頼自体がないのに、実地で経験のしようがないだろう。珊瑚礁のダイビングツアーじゃあるまいし、一回の潜航にどれだけの人手と経費を要すると思ってるんだ──と噛みついたら、相手も憮然としながら帰って行った。そんなに熟練のパイロットが欲しけりゃ、政府で本腰を入れて、パイロットを含めた高度技能者を養成すればいいんだ。整備士、航海士、ナビゲーター、調査機器オペレーター、水中音響技術開発……全てにおいて絶対的に不足している。データを読める人間はどうにか集められても、肝心の実行部隊が経験不足では的確な場所に計測器を設置することすらできん。連中はそれが分かってない。なのに、いきなりやって来て、海底火山の有人潜水調査をしろなどと、無知、無理解にもほどがある。そもそもプロテウスはマクダエル理事長が自費で建造して、タダ同然でノボロスキ社に払い下げたものだ。用船料だって、一銭も受け取っていない。それを開発公社で使いたいというなら、せめて運航スタッフの養成費ぐらい補助すべきだと思わないか」

フーリエが一気にまくし立てると、ヴァルターも頷き、「ノボロスキ社の見解はどうなんだ」と尋ねた。

「ノボロスキ社の上役と開発公社の関係者が何度も協議して、ともかくプロテウスを出そうという話になった。三人の見習いもそれに併せて訓練を重ねているが、CGシミュレーションと実際の深海は違うし、実験用プールでマニピュレーターを操作するのと、水深数千メートルの環境で熱水噴出孔に接近し、堆積物を採取するのでは、条件も感覚も全く異なる。ベテランのパイロットに付いて経験を重ねるならともかく、いきなり見習いだけで現場に行かせて、あれも採ってこい、これも撮影しろ、は、いくらなんでも負担が大きすぎるだろう。そもそも、ウェストフィリア近海の本格的な海洋調査も、年明けからやっと始まったばかりだ。ステラマリスみたいに蓄積されたデータを基に潜航するのとは訳が違う」

<中略>

「じゃあ、彼らの狙いはニムロディウムに限った訳ではないんだな」

「以前から天然資源の宝庫と目されている。今は道路も港もないが、インフラが整い、内地にも機材や専門家を送り込めるようになれば、いろんな発見があるはずだ」

「だが、それなら、ネンブロットでも十分間に合うんじゃないか。まだ人の手の入ってないエリアがたくさんあると聞いている。インフラも何もないウェストフィリアを一から探査するより、すでに鉱区として開かれているネンブロットで探鉱に取り組む方が技術的にも商業的にもはるかに効率的だ」

だから、何かあるんだよ。ウェストフィリアにしか存在しない『何か』だ。ニムロイド鉱石に匹敵する高品位の鉱物、希少価値の高い金属鉱床、宝石、あるいは未知の鉱物とか

彼は思いがけない何かについて想像してみる。

たとえば、マンガン団塊のように、水深数千メートルの海底に散在する鉱物の塊。

高温の熱水噴出孔の周囲や地下に大量に堆積した金属成分。

大噴火によって地中深くから押し上げられ、河の流れに運ばれた海岸の漂砂鉱床。

あるいは山中の地層に埋もれたままの原石や、温泉の周りで塩のように結晶した化学成分。

「だとしても、商業的に採算が合うのかね。たとえ有望な鉱床が見つかったとしても、厳冬期の操業は困難だし、インフラを築くだけでも大仕事だ。輸送コストだけでも馬鹿にならないだろう」

「それは採れる鉱石の質にもよるさ。同じ一〇トンでも、鉄鉱石の一〇トンと、白金の一〇トンでは市場価値が違う。もしもだよ、ウェストフィリアから、従来の希少金属とは比べものにならないようなものが見つかったら、巨額の資本を投じても採鉱する価値がある。二〇〇年前、ニムロディウムが宇宙航空産業で実用化され始めた時、ニムロイド鉱石があり得ないほどの高値で取引されたのと同じ理屈だ。それに一度インフラが整えば、二の手、三の手で事業も拡張できる。今後、ますますアステリアが栄えることを考えれば、決して無駄な投資ではない」

大衆の良心が世論を動かす

※ 調査の実況の要請を拒むオリアナに対し、実況の意義を説く

「ともかく、一笑されるかかどうかは話してみなければ分からないし、一笑されたところで君が恥をかくわけでもない、開発公社の担当者と話ぐらいさせてくれてもいいだろう」

「無理ね。部外者とは話さないわ」

「俺は部外者じゃない」

「部外者よ。社員でもなければ、市民でもない。紙切れ一枚で雇われたアル・マクダエルの飼い犬でしょ」

「飼い犬にも物を言う権利はある」

「あなたって、本当に世間知らずね。陰で笑い物にするだけならともかく、本気で潰しにかかる人間だっているのよ。人ひとりが破滅する様を見て、心を痛めるどころか、よくぞ消えてくれたと手を叩いて喜ぶ本物の悪党。あなたの立派な正義も、あの人たちにとってはただの雑音に過ぎないわ。あなたが顔を真っ赤にして叫べば叫ぶほど、馬鹿な奴だと嗤うだけよ」

「だが、それもマスになれば、黙殺できなくなる」

「どういう意味」

「俺の故郷の話だ。住民の合意もなしに臨海都市の建設が行われることになった。基礎工事が始まって、ボランティアが何年もかけて植樹した所を数台の重機が掘り返そうとした時、それまで静観していた人までプラカードを手に駆けつけた。さすがにオペレーターも作業を続けられなくなり、工事も中断した。それを国内の有名なジャーナリストが取り上げたことで再び世論が動き、ついに臨海都市計画そのものが覆ったんだ。そんな風に、大勢が団結すれば強い流れも変えられる。いくらマイニング社が大企業でも、鉱区の労働者が一斉にストライキを起こせば、ファーラー社長だって大上段に構えておれないだろう」

「あなた、左巻きなの?」

「そうじゃない。誰もが心の奥底では識ってるんだ。何が大切で、自分たちがどう振る舞うべきかを。世の中は醒めた人間ばかりじゃない。ただ声に出して主張しないだけで、心の奥底では、正しいこと、美しいことを求めている。そうでなければ、映画や偉人伝やサッカーのファインプレーに心を動かされたりしない。そして、いつか、そうした大衆の義心が世の中を動かすようになる。今、誰も異議を唱えないからといって、十年後、二十年後も、誰も抗わないと思ったら大間違いだ。どんな栄華にも終わりは来る」

『面白くないこと』の先も見てみよう

※ オリアナとの押し問答を知ったゾーイが、なぜそこまで実況にこだわるのか、疑問を投げかける

「ね、どうして、そこまで実況にこだわるの。ウェストフィリアに関する広報ならともかく、潜航調査の実況なんて、誰も興味を示さないわよ」

「どうして」

「だって、真っ暗なんでしょう。水族館みたいに色んな魚が泳いでるわけでもない。『ハイ、ただいま水深一〇〇〇メートルです、窓の外は真っ暗です。タコもイルカもいません』、そんなこと延々と聞かされて、視聴者が手を叩いて喜ぶと思う? 人食い鮫でも登場するならともかく、夜闇みたいな深海を何時間も見せられても退屈なだけだよ」

「何も無いことはないよ」

「じゃあ、真っ黒な水以外に何があるの? 私、一度だけシュノーケルで磯場に潜ったことがあるけど、岩がごろごろしてるだけで、何も無かったわよ」

「それは君が岩しか見てないからだよ」

「どういう意味」

「全てのものには意味がある。そこに存在する理由がね。岩一つといえど、生成するのに何百万年、何千万年の時間がかかってる」

「言いたい事は分かるけど、一般人には面白くも何ともないわよ」

「そうかな」

「ええ、そう。誰もが詩的に生きてるわけじゃないもの。海底に転がった石塊を見て、いちいち数百万年の時の重みを噛みしめる人がどれほどいるというの。それより、他にも楽しい企画はいっぱいあるでしょう。未来の水中ロボットとか、調査船の厨房拝見とか。私ね、ヨットクラブの仲間に声をかけて、『オーシャン・ポータル』に掲載できそうな写真をいっぱい送ってもらったの。朝焼けの海、青空に映えるディンギーヨット、月の輝く入り江、どれもプロ級の素晴らしい作品ばかり。気を取り直して、トップページに掲載するメッセージでも考えなさいよ。今日からでもコンテンツを作成しないと、調査に間に合わないわよ」

<中略>

「俺が潜航調査を実況したいのは、君が二言目には『くだらない』『面白くない』と言うからだよ」

「どういうこと?」

「君は海のことをよく知ろうともせず、『面白くない』と切って捨てる。『面白くないこと』の先は見ようとしない」

「それを私に知らしめるために、わざわざ実況を企画するわけ? 関係者にけんもほろろに断られても?」

「そうだよ」

「冗談でしょう」

「本気だよ」

「どうしてなの?」

「君は前に言ってたな。どんなに一所懸命に生きても、自分は決して日の当たる場所で栄光に浴することはない。幸せではない人間にとって、生命がどうだの、生きる価値がどうだの、そんなことはどうでもいい、と。でも、価値観も揺るがすようなものを目にしたら、多少は見方が変わらないか」

「それと深海調査にどんな関係が?」

「深海の生き物を見れば分かる。意味が無くても、名無しでも、その存在に未だ気付かれなくても、みんな生きてる」

「それはステラマリスの話でしょう。ウェストフィリアの海に潜っても、何も無いと思うわよ」

「何も無いことはない。ウェストフィリアの海だって生きてる。生きているから、ここには地熱があり、雨が降り、深海にも様々な鉱物が生成される」

「それで私の価値観が変わると本気で思ってるの?」

「一度は見せてやりたい。君にも幸せになって欲しいから」

「……どうして?」

「君に多少なりと愛情を持ってるからだよ。affection ってやつさ」

Product Notes

海底には不思議な地形がたくさん存在します。もし海水が全て干上がれば、素晴らしい光景を目にすることができるでしょう。

日本のすぐ側にこれほどダイナミックで美しい火山列島があるのですよ。なかなか行く人も少ないけれど、地学的には非常に興味深い箇所です。

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