曙光 Morgenrood

第3章 海洋情報ネットワーク

-海洋情報部-

Introduction

ヴァルターとリズは海洋情報ネットワークが海洋社会の重要な情報基盤になると信じて、必死のヒアリングとPRを続ける。その甲斐あって、産業振興会のメンバーを中心に「プロトタイプを構築してはどうか」という提案が持ち上がる。願ってもない申し出にヴァルターは喜ぶが、一方、過去の薬物使用や意匠の盗用疑いについて中傷メールをばらまく者があり、不安な雲が広がる。リズは、思い詰める彼にいっそう寄り添おうとするが、彼は過ちについて打ち明けることを拒み、ますます距離を置こうとする。

産業振興会の実力者でもあるキプリング社長の好意で、ステラネットの新オフィスの一室をワーキングスペースとして借りられることになったが、そこに顔を出したのは、一流企業の社員とは思えぬ弾けた女の子、ゾーイだった。ゾーイは彼のプレゼンテーションを聞いた後、「あなたは商業ベースで何かをしたことのない人ね」と鋭い批評をする。


Quote

 ミーティングはメイファン女史の司会で行われ、まず最初にアステリアにおける海洋情報管理の在り方と、今後の見通しについて説明がなされた。 
 前からヴァルターが繰り返し主張してきたこと――過去の調査データを各企業や公的機関が個別に保管し、全球的な海洋情報サービスが存在しないこと。データの品質を評価したり、情報提供者の指導・監督を行う『第三機関』が存在しないこと。有償・無償を含めて、誰もが気軽に参照できる海のポータルサイトを構築し、海洋行政、産業、学術、区民生活など、多方面にわたる働きかけが重要でアルこと――などである。
 メイファン女史は彼が作成したフリップをモニターに映しながら、さらに説明を続ける。
アステリアも本格的に海洋開発が始まって三十年が経ちますが、未だに知的基盤としての情報行政の指針や、調査データの取り扱いに関するガイドライン、一般に広く開かれたオープンデータ・システムが存在しません。公的機関が収集するデータと民間企業の蓄積するデータがあちこちに分散し、誰が、どんな有益な情報を有しているのか、探る術もありません。また、せっかくの有益な情報も他に活用されることなく、アーカイブの中で眠っているケースが大半です。そこで今一度、アステリアの海洋行政を見直し、既存企業から末端のユーザーまで気軽に参加できるネットワークを構築することは、必ずや全体の発展に繋がるものと確信しています。これは産業や行政にとどまらず、海に暮らす人々の安全に関わる問題でもあります。先日も、セントクレア沖で個人の操縦する小型エンジン付きのボートが横波にあおられて転覆する事故がありました。トリヴィアから遊びに来て、見よう見まねで操縦を覚え、調子に乗って沖合に出たところ、突然、強い横波を被って海に投げ出されたのです。幸いすぐに救助され、大事には至りませんでしたが、このような小型船舶の事例を一つ取っても、新たな規約や免許制度の導入、正しい知識の普及など、方策が後手後手に回っている感は否めません。しかしながら、区政においては、どの部署も急激な業務拡張に追われ、話し合いすらもたれない状況ですし、企業に関しては自社の利益が最優先で、公益まで考えが及ばないのが現状です。そこで『海洋情報ネットワーク』という一つのオープンデータ・システムを通じて、アステリアの知的基盤を強化すると共に、今後の海洋行政に対する全体の理解と協力を図りたいのですが、皆様はいかがお考えですか?」
 メイファン女史が一同を見回すと、アナンド・キプリング社長が口を開いた。
「海洋に特定したデータサービスを裾野に広げて知的基盤を強固にする考えには賛成だよ。だが、ひとつの意思をもったシステムとして内外にアピールするなら、運営者の資質とぶれない指針が必要だ。それをどのように定めるかでシステムの存在意義も変わってくる」

--中略--

「それに鉱業局の『MRDS(ミネラル・リソース・データベース・サービス』の前例がありますよ」
 オンラインで参加している鉱業資源調査課のナイジェルが口を添えた。
「MRDSのプロトタイプが構築されたのは一世紀も前のことですが、データシステムが順調に機能して、存在意義が広く理解されるまで、やはり数年の歳月を要しています。その間、名うての資源探査会社や鉱山会社と運営方針をめぐる意見の衝突も数え切れないほどあったそうですよ。それでも、MRDSによる鉱物資源データ共有により、鉱業行政に透明性や公正感がもたらされ、不法採掘や環境破壊といった問題摘発にも一役かっているのは周知の事実です。海洋についても、幾多の企業や行政機関、学術団体などを包括してのオープンデータ・システムになれば、それぞれの利害が絡み合い、一斉に協調するのは難しいかもしれませんが、デメリットに優る利益が実感されれば自ずと協力に向かうと思います。まずは大綱を取り決め、小さな機能でもいいから、プロトタイプの構築から始めてはいかがでしょう。アイデアが可視化すれば関心も高まり、いっそう実地に即した意見が寄せられると思います」
「しかしね、トリヴィア政府はアステリアに経済特区以上の役回りは期待してないんだよ」
 産業振興部のグレアムがこれまでの鬱憤を吐き出すように言った。
「ネンブロットみたいに、星一つ、まるまる鉱物資源のような環境ならともかく、アステリアなんて、離れ小島が二つ並んでいるだけの小さな共同体だ。これから先、何十万、何百万の、大規模な植民がなされることもない。五十年経とうが、百年経とうが、たいした発展は見込めないんだよ。だから、ローレンシア島の産業活動をアピールする為のポータルサイト作成と運営費に二百五十万エルクの予算を申請しただけでも却下される。他にも、起業相談や勉強会、専門家の講演や見本市など、年に数百万もかからない企画はたくさんある。それすら予算がおりない状況で、システム構築だけで五億だか七億だかを要するプロジェクトを認可するものかね。たとえ小さなプロトタイプでも、まとまった予算は必要だし、専門家を招致してワーキンググループを結成するにも金がかかる。活動の場所も確保しなければならないし、それなりのIT設備も必要だ。他にも資料代や印刷代など雑費も含めれば、とてもじゃないけど区の財政だけでは回らない。カネ、モノ、ヒトをどうやって揃えるかだよ、皆さん、何か即効性のあるアイデアでも?」
「トリヴィア政府には、まったく予算が期待できないのですか?」
 ナイジェルが質問すると、区政センターの財務担当は苦笑いし、
「政府はローランド島とウェストフィリアに夢中でね。支援金もどんどんあっちに流れてる。これからウェストフィリアの広域調査やインフラ整備が本格化すれば、ローレンシア島に対する補助金もばっさり切られる部分が相当に出てくるはずだ。そんな中で今すぐ必要性のないプロジェクトに幾らも出すかねえ」
「トリヴィア政府に要望書や企画提案書を送ってはどうです」
「そんなもの、いくら送っても無駄だよ」
 港湾組合の代表が吐き捨てるように言った。
「うちだって、相当に傷みがきているメアリポートの護岸整備や港湾の拡張など、数年前から申し出ているが一向に音沙汰無しだ。ローランド島のレジャー施設周辺には、最新式の船舶誘導システムを導入したマリーナが政府の肩入れで次々に建設されているのに。ここまで差をつけられちゃあ、我々もやる気を無くすよ。このままではメアリポート一帯が寂れて沈下してしまう。アステリア開発初期からあそこに根を下ろして頑張ってきた小さな町工場もたくさんあるのに、アステリア開発局といい、産業省といい、窓口などあってないようなものだ」
 すると、産業振興会の理事も頷き、
「わたしも先日、産業港の老朽化した設備の補修についてオハラ局長と話をしたが、『善処します』の一点張りで、いつ、何を、どう善処してくれるのか、具体的なことは何一つ提示されない。本当にやる気があるのかどうか、疑いたくなる」
 だが、メイファン女史はかつての同僚を思いやるように、
「アステリア開発局といっても、所詮は産業省の一組織に過ぎません。二重、三重に意思決定権が分かれている以上、オハラさん一人の意思でどうこう出来ないのは致し方ないでしょう。また、そのように歯痒い思いをしておられる方は、開発局の内部にも少なくありません。だからこそ私たちの方で団結して、粘り強く働きかけるしかない、そのツールとしての海洋情報ネットワークです」
「だが、そんなものが本当にトリヴィア政府を動かす決定打に成り得るのかね」
「決定打とはいかなくても『共通の言語』にはなりますよ」
とヴァルターが言った。
「たとえば、ステラマリスには何百もの文化圏や言語圏が存在し、一つの海洋にも幾つもの経済水域が存在します。それでも海に携わる人が必要とするデータは共通しています。波高、水深、風力、水温。漁船も、海洋学者も、観光フェリーも、どこの国の、どんな職種であっても、波や潮流から受ける影響は同じだからです。たとえば、ステラマリスの全海洋観測システムと連携した『グローバル・シーネット』は、文化、言語、政治経済といった枠を越えて、世界中の何億というユーザーに恩恵を与えています。惑星規模で海洋の現象を分析し、異常気象の予測や、海洋汚染の把握や、魚介類への影響や、海洋科学の発展など、知的基盤として機能しているからです。それもまた国や企業の利益が絡み合う中、世界規模の水害や異常気象、海洋汚染といった問題に対し、もはや個々の共同体が利害にこだわり、線引きをしている場合ではない、海という一つの生命体を理解し、保護しようという国際的な呼びかけから発足したものです。アステリアもまた、ようやく形が整ったばかりの寄せ木細工です。それぞれに理想もあり、見解もあるけれど、全体に共通する目的はありません。『利益を得る』『新産業を創出する』といった目先の目標はあっても、何百年単位で語る国家の計がないのです。確かに『海洋情報ネットワーク』は即効で政府や企業の実利に結びつくものではありません。けれども、アステリアの海を解する一つのアーカイブ──多方面に役立つ情報を網羅し、誰もが閲覧できるオープンデータ・システムがあれば、人は海を理解し、役立てる方法を模索することができます。ローレンシア海域だけ、ウェストフィリア海域だけを注視し、身の回りだけ調べたところでアステリアの海洋全体を真に理解することはできませんし、理解のないところに技術も創造も育ちません。国に歴史書があるように、アステリアもアイデンティティの基礎となる体系的なアーカイブが必要です
「理想は結構だが、肝心の資金はどうやって調達するんだね。一銭の予算も組めない者が、ああだ、こうだと立派な理屈を並べたところで、所詮、絵に描いた餅だよ」
 フェレンツが棘のある言い方をすると、
「産業振興会が主体となって共同出資を募る──という方法はいかがでしょうか」
 リズの声が膠着した場に響き渡った。
「つまり『基金』ですか?」
 内部をよく知るキプリング社長が丁寧に問い質した。
「そうです。確か似たような方策で、学童を対象とした遠隔教育システムを拡充したと聞いています。二十年以上前はオンラインで受講できる学校も限られていて、アステリアに居住する学童や大学生は非常に不利な状況でした。しかし、高度なIT設備を用いた遠隔教育システムが強化されてからは学びの選択肢も広がり、高度な専門教育を受ける機会も倍増して、現在の技術開発の基盤となっています。それも自治領政府の支援は非常に乏しく、当時の既存企業が従業員家族や地元産業の将来を考えて共同出資し、ほとんどボランティアのような形で実現したと聞いております」
「覚えていますよ。マクダエル理事長が発起人となって『ローレル教育財団』を設立された。現在の高度職業訓練学校『ローレル・インスティテュート』の基盤でもありますね」

*

「君、興味があるなら、プロジェクト・マネジメントの勉強をしてはどうだ」
「プロジェクト・マネジメント?」
「そうだよ。海洋情報ネットワークのようなプロジェクトを効率よく管理するスキルやノウハウを身に付ける」
「それは資格ですか?」
「そうだな、一口にプロジェクト・マネジメントと言っても、国際的なライセンスから、分野の限定された修了証書みたいなものまで内容もグレードも様々だ。もっとも資格は資格に過ぎず、取得したからといって、すぐさま管理職に取り立てられるわけではないからね。逆に、無資格でも立派な親方はたくさんいる。だが、自身の経験だけで動くのと、理論を習得して実地に活かすのではまったく違うはずだ」
「でも、何の為に?」
「何の為? アイデアを具現化して、人を動かす為だよ。まさか君一人で企画、営業、制作、財務管理まで一手に引き受けるわけではないだろう。わたしだって、社長といえど一から十までITに精通しているわけじゃない。特にこの世界は、十も二十も年の離れた若い世代の方がはるかに進んだ知識やセンスを有している。だから、その差を素直に認めて、互いの資質を活かせる関係を築くんだよ。その上で必要な作業を分担し、各部署の達成度を見ながら効率よくプロジェクトを推し進めてゆく」
「でも、俺は元々潜水艇のパイロットで、経営管理の経験は皆無ですし、いきなりプロジェクト・マネジメントと言われてもピンとこなくて」
「だが、君のやってきた事はそのものだろう?」

*

 ヴァルターはキプリング社長の立ち会いで、ゾーイを含む十名の若手社員を対象に海洋情報ネットワークのプレゼンテーションを行うことになった。先日、産業振興センターで基金設立の話し合いを持った際、一般人の意見も参考にした方がいいというキプリング社長の提案があったからだ。
 これまでは海洋関係の専門家ばかりを相手にネットワークの必要性を説いてきたが、実際に運営するとなれば一般ユーザーの使い心地も考慮しなければならない。内外に公共サービスとしての必要性を示すなら、ゾーイのように海洋分野とは全く無関係で、なおかつ将来社会の中核を担う一般層の支持を取り付けることは必至、というのがキプリング社長の意見だ。
 三階のミーティングルームに集まった十名はいずれも二十代から三十代前半のIT技術者や事務員で、海に関しては「遊び」以外の関心はない。
 彼がモニターボードの前に立つと、十名の若手社員はめいめいのタブレット端末にメモを取りながら彼のプレゼンテーションに耳を傾けた。
 ゾーイはいつもの穴あきジーンズに『All pain, No gain (骨折り損のくたびれもうけ) 』と大きくプリントされたジョークTシャツを身に着け、ブルーのマスカラで色付けした長い睫毛をぱちぱちさせながら、冷やかし半分に彼の話を聞いている。
 十五分ほどでプレゼンテーションを終えると、ゾーイが開口一番に言った。
「で、それがアステリア全体の発展にどう繋がるの?」  
 ゾーイがケロリと言った。
だって、一般人には、海の水がどれぐらい塩辛いとか、沖合の海底地形がどうなってるとか、全然知ったことじゃないもン
「知ったことじゃないって、君たちの暮らしに直接関わる話だぞ」
「そんなこと言われたって、全然実感ないわよ。ディンギーヨットで遊ぶ時、私が気にかけるのはせいぜい降水確率と波の高さぐらい。それ以外は、あってもなくても同じ。だって、専門的な用語をずらずら並べられても理解のしようがないし。『市民の暮らしに直結するネットワーク』とか『アステリア全体の公益』とか力説されても、え、何それ? ぐらいにしか思わない。一体全体、何がしたいわけ? あなたの説明では全くイメージが掴めない。イメージできないものは、いくらメリットを強調されても自分で積極的に利用しようという気にならないわ。勝手にやれば、って感じ。正直、PCのレビュー・サイトの方が有り難いぐらい」
 彼は唖然とし、後方に座っているキプリング社長に視線を遣ったが、キプリングも肩をすぼめて苦笑いするだけだ。
 すると、ゾーイの隣の若い男性社員が挙手し、
「僕はまだアステリアに来たばかりで、海のこともよく分かりませんが、海洋情報ネットワークの全体像は何となくイメージできます、学生時代、IT会社で研修して、地質データベースの構築を手伝いましたから。地図や地名で検索すると、すぐにその場所の地質データが呼び出せる。分析レポートや調査した会社の情報などもです。それの海洋版ですね。でも、扱う分野がより広範な気がします。悪く言えば、漠然とし過ぎて、具体的に何を目的としているのか分かりにくいような……」
「プロトタイプでは、海上安全局が提供しているような汎用情報と、特に社会的関心の高い海洋鉱物資源のデータを重点的に取り扱う考えだ」
 ゾーイがすかさず言葉を返した。
「だから、その『汎用情報』という意味からして分からないのよ。専門家同士はツーカーかもしれないけど、私たちは何をもって『汎用』というのか、そこから付いて行けない。それは波の高さ? それとも水温?」
「だから、海上安全局が無償で提供しているような内容だよ」
「そんなの、見たことない」
「だったら、見ればいいじゃないか。海でヨット遊びするなら必須だろ」
「ええ、そうかもしれない。でも、一般人は、そんなこと気にも留めないわ。だって、水温が二十度でも、二十五度でも、ヨット遊びには大して影響ない。晴れの日にクルージングするのに、いちいち海上安全局のホームページを開いて一から十までデータをチェックする人間がいるの? 海を見て凪いでいたら、誰だって今日はOKだと思うし、ヨット仲間のブログを見てたら、風速十五メートルでも乗りこなしたと自慢げに書いてある。一般人の認識なんてその程度よ。そんな素人を相手にあなたが口をしょっぱくして必要性を説いたって、みんな、ぽかんと聞き流すだけよ」
 さすがに彼が返事に詰まると、ゾーイはストロベリーブロンドの髪を掻き上げ、
「きつい言い方してごめんなさい。でも、あなたと何も知らない一般人の間には相当な温度差があると思うわ。あなたは『海を知る』というけれど、私たちヨット仲間の『知る』感覚とずいぶん違うもの。喩えるなら、あなたは海洋科学の専門書を素晴らしいと思い、私たちはヨットのシート捌きに感動する。あなたが水温だの地形だの気にしている傍らで、私たちは浜辺でバーベキューを楽しむのよ。その感覚の違いがある限り、あなたがどれほどネットワークの重要性を叫んでも、一般人には理解し難いと思うわ
「俺の話はそれほど複雑怪奇か?」
「複雑とか何とかの話じゃないの。あなたはネットワークの意義が一般にも広く理解されて、アステリアでも絶対に機能すると確信があるようだけど、大多数にとってはそうじゃないってことよ」
 すると、一番左端に座っていた男性社員がゾーイの方を見、
「ちょっと待てよ、ゾーイ。そんな言い方では何の価値もないみたいじゃないか。つまり、フォーゲルさん、ゾーイが言いたいのは、あなたがこちらの側に立って話してない、ということだと思います」
「こちらの側?」
「そう。専門知識も持たず、情報管理にも何の関心もない、いわば普通に生活している人たちの側でよ。あなたの言葉を借りれば、『一般ユーザー』です」
 先ほど発言した男性社員も再び口を開き、
「僕も地質データシステムを手掛けて、つくづく思ったのですが、同じデータを扱うにしても、メインユーザーを誰に絞るかでインターフェースもサービスも全然違ってきます。一口に『地質』といっても、不動産業者と地学者では求めるデータも目的も全く異なるでしょう。海洋情報ネットワークの場合、『専門家も、一般ユーザーも』というコンセプトは共感しますが、実際にサービスを提供するとなれば、対象が広がりすぎではないですか。そして、あなたは専門家も一般ユーザーも同じように必要性を理解し、同じ動機や目的意識をもってネットワークを利用するように期待しておられるけども、実際問題、それは有り得ないと思います。それこそゾーイの言うように、一般人はそこまで専門的なデータを必要としませんし、そもそも何の役に立つかも解りません。海水浴に行くのに、いちいち塩分濃度や海底地形を調べる人がありますか? ヨット乗りだって、そこまで詳しく調べ上げる人は少数派でしょう。頭では必要性を理解しても、現実には必要としない、その感覚の差異をゾーイは言ってるのだと思います」
「そう、一言で言えば独善的なの」
 ゾーイは穴あきジーンズの膝を叩いた。
「あなたはもっと自分以外の価値観も推し量るべきよ。皆がどんな気持ちでディンギーヨットを繰り出すか。皆が皆、深海調査で海に出るんじゃないのよ」
 すると、皆のやり取りを黙って聞いていたキプリング社長が「もうその辺でいいだろう」と割って入った。
「皆の意見は率直で、それぞれに耳を傾ける価値がある。こういう話はどうしても分かる者同士だけで討議がなされ、それ以外の視点や感覚はなおざりにされやすいからね。ヴァルター、君も専門知識も関心も持ち合わせない一般人を相手にプレゼンテーションをしたのは初めてだろう。だが、一般人の感想はこんなものだ。それも頭に入れて、今後の参考にしたらいい」
 そして参加した社員らの顔を見渡すと、
それにしても君らの認識はそんなものかね。海に暮らして、天気予報以上の関心はないと? アステリアには海台クラストの採掘プラットフォームもあるし、海水や波力エネルギーを利用したユニークな技術開発も急ピッチで進んでいる。他にも、洋上発電プラントや人工漁場、海中ホテル、可動式フローティングハウスなど、世界でも稀に見る海洋都市が開かれようとしているんだよ。金属、建設、化学、エネルギー、あらゆる分野で何が起きつつあるか、まるで知ろうという気がない?
 だが若い社員らは互いに顔を見合わせ、
「そんなニュース、日常的に見聞きしないから」
「どれほど革新的なのか、数値やイメージで示してもらわないと、ピンとこないです」
「正直、今の生活レベルで十分、かな」
「花火やクルージングのイベント情報は気になるけどね」
 最後にゾーイが口を開いた。
「そもそも、こんな小さな島で何が出来るの。産業界や学術界がどれほど頑張っても、せいぜい数十万人が暮らすので精一杯でしょう。いずれ飽和状態で頭打ちになる島にどんな未来が開けてるというの? 観光に来る人や事業で儲かる人は楽しくていいかもしれないけど、ここで一生を暮らさなければならない人間にはとっくに先が見えてるわ。エルバラードに匹敵するような立派な大学が設立されるわけでもなければ、ギガントの飛び回るような工業団地が建設されるわけでもない。スポーツの世界大会や文化的催しも夢のまた夢、せいぜい観光客目当ての安っぽい野外コンサートが開かれるぐらいでしょう。正直、トリヴィアの友人が羨ましい。勉強や仕事の環境は最高だし、これからまだまだ発展するのが手に取るように解る。遊びだって、こことは比較にならないくらい色んな楽しみがあるし、ファッションだって最先端。アステリアなんて所詮、大都会から切り離された絶海の孤島だもの、チャンスもなければ選択の余地もない、私たちはね、オギャアと生まれた時から天井を見てるのよ。これ以上高くならない、どん詰まりの天井。そりゃあ、いつかは発展するんでしょうけど、その頃には私もよぼよぼのお婆ちゃんよ、こんな離れ小島に生まれ落ちたことを一生不運に思いながら過ごすんだわ」
 ゾーイが日頃の鬱憤をまき散らすと、
「君らの『行き詰り感』は理解できるよ。うちの娘も同じことを言い続けて、結局、ステラマリスに帰ってしまったからね」
 キプリング社長もしみじみと言った。
「だったら、なおさらこの海の可能性を探り、誰も見たことのないようなサービスやコンテンツを創り上げたいとは思わないかね。だが、それには『海を知る』ことが不可欠だ、専門家のみならず一般市民にも広く親しまれるような情報サイトを作ろう、というのがヴァルターの主張だよ」

*

 ゾーイはトマトソースのパスタをフォークに巻きながら、「さっきは気を悪くした?」と、しおらしく訊ねた。
「いや、別に。君たちの意見は興味深かったよ」
「本当に?」
「本当だ」
「その割に、ずいぶんショックを受けたように見えたけど」
「面と向かって酷評されれば、誰だって固まるさ。今まで何度も同じことを説明してきたが、君らのように面と向かって『解りません』と言われたのは初めてだ」
「だって、解らないものは解らないんだもの、解ったような顔で頷いても、あなたの仕事の為にはならないでしょう。私ね、あなたのことが好きだから、正直に感想を言ったのよ。嫌いな奴なら適当におべっかつかって、『ブラボー、すごい、天才ですね!』で終わりよ」
「その気持ちは分かるよ」
 彼が頬を緩めると、ゾーイもマスカラの睫毛をぱちぱちと瞬き、
「私ね、小学生の頃からプログラムを書き始めて、高校時代には『アプリパーク』や『デジタルコマース』で自作のアプリケーションを販売していたの。アプリといっても、女の子向けのアドレスブックやメモ帳の類いでね。たいした儲けにはならなかったけど、ヴィンテージのジーンズやパソコンを買うには十分だったわ。だけども、カスタマー相手って大変。自分では『使い方なんて見れば分かるだろう』と思うけど、これが案外通じないの。グリーンの吹き出しにメッセージを書き込むとか、メイルをくわえた小鳥のイラストをフリップすれば送信されるとか、簡単に思うけど、通じない人には本当に通じないのよ。そしてカスタマーレビューには『使い方が難しすぎます!』『インターフェースがイマイチ』なんて文句を書かれる。えっ、どうして? こんな簡単な操作がなぜ分からないの? 私の方が首を傾げたくなるぐらい。でも、ユーザーってそういうものよ。同じ人間だけど、知識も思考回路も全く違う。右に回すものを左に回したり、黄色いものが緑に見えるような人もいるわ。そういう体験を通じて、万人に通じるものを作るのがいかに難しいか、骨身に染みたの。だから余計であなたの話がお目出度く感じたのよ。立派なシステムを作れば、誰もが同じように機能を理解して、使いこなせると信じ込んでいる。でも、私に言わせれば、それこそ大きな間違い。ぱっと見て内容をイメージできないものは、その一秒で大半が価値を失うのよ」
「どういうこと」
「あなたがいかに完璧なオープンデータ・システムを構築しても、大衆が理解しないものは利用されない。そして利用されないシステムはいつか廃れて、赤字の元になる」
「じゃあ、君ならどうするんだ」
「さあね、それこそ専門家じゃないから、分からないわ」
「君だってその場の思いつきを並べてるだけじゃないか。文句を言うだけなら小学生だってできる」
「自身の見解がなければ批評してはいけないの? レビューを書いてる人たちをごらんなさいよ、まさにクレームを並べるだけ、自身のアイデアなんてありはしない。でも、私はそれを謙虚に受け止めてるわ。中には箸にも棒にもひっかからないようなのもあるけど、『操作が分かりにくい』と感じている人がいるのは事実だからよ。そして、これからあなたが相手にするのは、そういう一般大衆。あなたの提供する情報サービスをちらと触っただけで、一斉に批評を始めるのよ。『分からない方がおかしい』なんて態度をとったら、理解されるどころか反感を買うだけ。分からない人には説明書きを添えたって分からないのよ」
「だが、分からないなら、理解するための努力も必要だろ」
「そうね、まさにその通り、でもあなたなら、アプリケーションのバグに遭遇した時、自分でプログラムの一から勉強して、自分で解決しようなんて考える? 製品の開発元にクレームを入れるか、使用を中止するか、どちらかでしょう。海洋情報ネットワークも同じよ。ちらと見て、意義もメリットも理解できず、ただ専門用語が羅列されているだけのサイトを見ても、関心すら持たないわ。それなら私の友人が運営してるマリンスポーツのハウツー・サイトの方がよっぽど為になる、少なくとも『理解するための努力』なんてユーザーに求めないから」
 だんだん彼の表情が険しくなると、ゾーイも少し躊躇したが、最後にとどめを刺すように言った。
あなたは商業ベースで何かに取り組んだことがない人ね。立派なレポートを仕上げれば、それだけで褒めてもらえる学生レベルの経験しかない。分からない人や努力しない人は蚊帳の外に置いてきぼりで、逆になぜ『分かろうとしないのか』なんて責めるのよ。でも、そんな情報サービスが広く普及すると思う? 私たちが相手にするのは九割以上の『分からない人、努力しない人』なのよ


Product Notes

プロジェクトマネジメントは事業のグローバル化、IT化、リモート化などに伴い、これからますます必要とされる技術です。
情報としてはこのあたりが参考になるかも。

SI Object Browser PM プロジェクトマネジメント管理ツール
プロジェクト管理の重要性や機能について詳しく説明されています。

Think!MANAGEMENT マネジメント(課題管理)、ロジカルシンキング(論理思考)、ファシリテーション(合意形成)を軸に、みなさんの“ゴールをカタチに、毎日を確かに”する活動に役立つ情報をお伝えします。

プロジェクトマネジメントの極意は「一人の優秀なリーダーが睨みを利かせて、ぐいぐい統括する」ではなく、「同時進行で作業にあたる複数グループをいかに結束し、現状把握に努め、コストや作業の無駄を省いて、大きな成果を上げるか」の一言に尽きると思います。いわば、人間力、俯瞰力が大いに求められる仕事であり、たとえば、ITネットワークのプロジェクトマネジメントにあたっては、必ずしも人より抜きん出たITのスキルが必要というわけではない、要は自分より優れたスキルを持つ人々をどう動かし、効率よく仕事を進めるか、という事なのですね。
キプリング社長がヴァルターに「やってみれば」と勧めたのは、彼自身、突出した土木やITの知識技術があるわけではないけれど、仲間や協力者を集め、それぞれの長所を活かして、まとめあげる力があるからです。そして、社長自身も、自分より優れたスキルをもつ若手社員を上手に動かし、利益につなげる才覚があるのです。

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