曙光 Morgenrood

第2章 採鉱プラットフォーム

-ミッション開始-

鉱業の完全自動化を目指せ 採鉱システム

Introduction

渋々ながらも採鉱プラットフォームの仕事を引き受けたヴァルターは、プロジェクトのサブリーダー、マードックから採鉱システムの説明を受ける。それは完全自動化された、海底鉱物資源の採掘システムだった。

だが、説明の過程で、危険な接続ミッションについて知ったヴァルターは、アルに電話をかけて文句を言うが、一蹴される。いつもの短気で屋上に飛び出した彼の目に飛び込んできたのは、もう一つの潜水艇『プロテウス』だった。

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Quote

 資料室は十二平米ほどの小部屋で、天井まで届くスチール製のキャビネットにはプラスチックホルダーに整理された資料が所狭しと並べられている。だが、これらはほんの一部で、大半のデータはプラットフォームとエンタープライズ社のサーバーに二重で保管されているそうだ。
 マードックは壁際のワーキングデスクにつくと、キーボードを操作してコンピュータシステムを起動した。二十四インチの大型ディスプレイに最初に映し出されたのは、アステリア・エンタープライズ社のロゴだ。濃紺の背景に、白抜きでギリシャ神話の「オデュッセイア」に登場する手漕ぎ帆船のモチーフが描かれている。
 マードックは指紋を用いた生体認証で管理画面に入室すると、エンタープライズ社の汎用ネットワークにアクセスした。
 汎用ネットワークは、エンタープライズ社とMIGエンジニアリング社、および関連企業の間に構築された内的なクラウディングサービスで、認証された職員なら誰でもPCやモバイル端末からアクセスできる。また汎用ネットワークの中でも、エンタープライズ社、採鉱プラットフォーム、MIGエンジニアリング社など個々の会社に限定されたイントラネットがあり、業務マニュアル、スケジュール、メッセンジャー、各種申請など、様々なオンラインサービスが利用できる。
 一方、企業機密を扱うネットワークは異なる通信プロトコルに構築されており、アクセスするにはより厳重な生体認証や電子アクセスキーが必要になる。
 マードックは採鉱プラットフォームの汎用データにアクセスすると、数あるメニューの中から「採鉱システム」を開いた。
 モニターには、プラットフォーム全体の断面図が映し出され、タワーデリックから降下された揚鉱管が水深三〇〇〇メートルの海底まで真っ直ぐに続いている。一見すると石油リグのようだが、揚鉱管の先端には幾つもの球体が縦横に連結した箱形の水中ポンプが備え付けられ、さらにフレキシブルホース、ドーザー型の集鉱機に繋がっている。そして、海底にはもう一台、ビートル(カブトムシ)型の破砕機。
「採鉱プラットフォームは、六年前の一九四年から建設が始まり、二年前の一九八年に完成した。それ以前は、中規模の作業リグ船を使って実験していたが、大半はシミュレーション技術の賜だ。僕の父はシミュレーション・チームと共同で採鉱システムの開発に携わっていた。元になる設計を書いたのは、ジム・レビンソンだ」

*

「システムは大きく分けて三つのパートからなる。海底の集鉱機と破砕機。海中の水中ポンプと揚鉱管。そして、タワーデリックを中心とする海上オペレーションチームと選鉱プラントだ。各機の操作とモニタリングはすべてタワーデリックのオペレーションルームで行う。オペレーションチームは全部で四十名。集鉱機、破砕機、水中ポンプ、無人機など、それぞれに専属スタッフが付いている。格納庫で整備やセッティングを行う運航部と連携を取りながら、子チームが一台をケアする『ワンマシーン、ワンチーム』体制だ。もちろん状況に応じて柔軟に対処するがね」
 続いてマードックは巨大なティターン海台のデジタル画像を映し出した。深度に応じて七色にグラデーションされたカラフルな立体画像だ。深度の浅い海台の頂部が赤色で、深度の深い基底部が青色で表示されている。
「最初の採鉱区となるティターン海台は、ローレンシア島とローランド島の間に広がる巨大な谷間にある。谷といっても、幅一〇〇キロメートルから二〇〇キロメートルに及ぶ地溝のようなものだ。だが、なぜテティス・プレートの真ん中にこのような地形ができたのか、谷間が年々拡大しているのか、メカニズムは分かってない。この巨大な谷間には、高さ数百メートルに及ぶ海山や海丘が六つある。未だ確認されていない数メートル程度の高まりも含めれば、もっとになるだろう。そして、僕たちが採鉱するのは、ティターン海台の頂部から肩に掛けて被覆する『岩石の皮(クラスト)』だ」
 マードックは画像を切り替え、ティターン海台から採掘されたクラストの写真を表示した。
 写真は断面図で、厚さ十センチほどの黒っぽい岩石がメロンの皮のように黄土色の基礎岩を覆っている。拡大すると、黒皮の部分には大小様々な粒子が含まれ、一部には目立つ金属光沢がある。
「この銀粉を散らしたような輝きが硫化ニムロディウムだ。ネンブロットのニムロデ鉱山や、その他の陸上の鉱区に存在する『酸化ニムロディウム』と異なり、海台クラストのニムロディウムは硫化物として存在している。これまでニムロディウムは酸素と強固に結びついた『酸化物』しか存在しないと言われてきたが、アステリアで採取された硫化ニムロディウムがその定説を覆した。硫化ニムロディウムは、ティターン海台の他、ローレンシア海域の様々な場所で発見されているし、ウェストフィリア島の火山にも存在する。なぜネンブロットやその他の地域では酸化物しか存在せず、アステリアにだけ硫化ニムロディウムが存在するのか、正確なところは分からない。ただ一つ確かなのは、この硫化物は、化学液による処理と、微生物を使った生物冶金(バイオリーチング)の技術を用いれば、比較的簡単に高純度のニムロディウムを精製できるということだ。真空直接電解法のような高エネルギー装置も必要なく、鉱山の地下を人手で掘り抜くこともなく、高純度のニムロディウムが比較的簡単に精製できるとなれば、鉱業にどんな影響を及ぼすか分かるだろう?」
「喩えるなら、世界最大の鉱山も、それを採掘する会社も、もはや用無しというわけ?」
「用無しとまではいかないが、現在七十パーセント以上と言われるニムロデ鉱山への依存度が半分以下になるだけでも市場は大きく変わる。その上、完全自動化された採鉱システムで、より安全にニムロディウムを含む鉱物を採掘できるようになれば、ファルコン・マイニング社の存在意義も変わる。今日明日にも激変することはないが、十年、二十年とかけて、地軸が引っくり返るような大変動が起きるのは確かだ」
「またまたタヌキの理事長はボロ儲け?」
「そうでもないよ。アステリアの鉱物資源は基本的にトリヴィア政府のものだ。ティターン海台の鉱業権はトリヴィアから借り受けるリース方式だから、営業利益に応じて二〇パーセントから二十五パーセントのロイヤルティを支払わなければならない。さらにそれを出資者に分配するから、理事長の懐に入る分など微々たるものだ」
「しかし、二〇パーセントから二十五パーセントというのは大きいな。通常、鉱山のロイヤリティといえば、営業利益率の数パーセント、高くても二〇パーセント以下だろう」
「その代わり、法人税や所得税の減免、特殊産業支援金、重機の無料貸与など、いろんな優遇を受けている。それを差し引きすれば、そこまで不利ではないらしい。もっとも、その駆け引きにマクダエル理事長も相当粉骨されたがね」
「そうだろうね」
「ニムロディウムはアステリアの至る所に存在する。陸地、海底、海水、火山性ガス。惑星そのものが『ニムロディウムのプール』といっても過言ではない。だが、ニムロディウムが高度に濃縮して、商業的に価値のある場所は限られている。ウェストフィリアの*40火道や噴気孔周辺に広がる鉱脈、そして海底の基礎岩を覆うクラストだ。今のところ、氷雪に覆われたウェストフィリアの火山の奥深くまで侵入して採掘する技術はない。有望なエリアは噴火と大地震を繰り返して、地質調査もままならない状況だ。しかし、ティターン海台に広がるクラストに関しては、かなり詳しいことが分かってきている」

*

「ティターン海台のクラストは、ニムロディウムの他、銅、亜鉛、金、銀、プラチナなど、様々な金属元素を含んで皮膜状に基礎岩を覆っている。生成の機序は、おそらくステラマリスのコバルトリッチクラストやマンガン団塊などと同様だ。海水中に含まれる様々な金属成分が海台の基礎岩に堆積し、皮膜状の鉱物となった。オレンジジュースを放置すれば、ボトルの底にオレンジの成分が沈殿して、もろもろした塊になるのと同じだ。オレンジと異なるのは、なぜティターン海台の頂部や肩の部分にだけ特異な金属成分が凝集し、皮膜のような鉱物を形成するのか、百パーセント確実なことが分からない点だ。また、ティターン海台には存在するのに、隣り合う海山にはほとんど見られない。それも不思議だろう。ちなみに、海台クラストに含まれる硫化ニムロディウムの含有量は一〇パーセントから三〇パーセント。パーセンテージではニムロデ鉱山のニムロイド鉱石より少ないが、採掘の手間や人件費、製錬コストなどを鑑みれば、はるかに割安だ」 「だが、硫化物だろう? 通常、海底の硫化物の鉱床は、熱水噴出孔(チムニー)のように火山活動の活発な箇所に沈殿する形で存在するはずだが」 「これもいろんな説がある。ウェストフィリアと地続きだった時に、ステラマリスでは起こりえないような地学現象によって生成されたのではないか。あるいは、非常に微細な熱水噴出孔のようなものが存在するのではないか。微生物が形成したという仮説もある」 「微生物?」 「ウェストフィリア火山で、硫化ニムロディウムを栄養源に繁殖する微生物が確認されている。製錬工場の生物冶金のプロセスでも実際に応用している。だが、一辺一〇〇キロメートルもある海台を覆い尽くすほどのクラストを形成しようと思ったら、物凄い数の微生物が必要だ。しかし、現在採取されているクラストからは、そうした痕跡がまったく見当たらない。あるいは、褐鉄鉱鉄の酸化鉱物のように、テティス・プレートが海面上に突出していた時代に異常に繁殖して、硫化ニムロディウムの層を作り出した可能性もあるが、それもあくまで想像の域だ」 「それなら他の場所にも濃縮した硫化ニムロディウムの層があるかもしれない?」 「その通り。規模は非常に小さいが、テティス・プレートの至るところで見つかっている。ウェストフィリアの近海にもあるらしい。もっと広範囲に調べれば、ティターン海台に匹敵する高品位のクラストが発見されるかもしれない。今はそこまで予算も技術も及ばないがね」

*

「採鉱事業の最大のポイントは、鉱業的価値のあるクラストをいかに効率よく基礎岩から引き剥がし、海上のプラットフォームに回収するかだ。どれほど精密な機械を使っても、海底では余計な基礎岩まで削ってしまうし、クラスト自体も、どこに、どれだけ存在するか、正確に把握しなければ、機械の空回りで終わってしまう。そこでプロジェクト・チームは二手に分かれて研究に取り組んだ。一つは、採鉱システムの機械設計。もう一方はクラストのマッピングだ。機械設計チームは、基礎岩から良質なクラストだけを剥がし、効率よく回収するオペレーションシステムの開発に取り組んだ。ジム・レビンソンが考案したのは、ビートル型破砕機と集鉱機を使った二段階方式だ。できれば一台に集約したオール・イン・ワン型にしたかったが、どうしても技術的に難があり、皆で話し合って二段階方式を採択した」
 マードックはビートル型破砕機とブルドーザーのような集鉱機をモニターに映し出した。
「まずビートル型破砕機が基礎岩からクラストを剥がし、その後、集鉱機が掃除機みたいに破砕物を回収する。ビートル型破砕機の大きさは、全長八メートル、高さ三・五メートル、幅四メートル。キャタピラ式トラクターで、自走機能と遠隔操作の二つを兼ね備え、傾斜十五度の斜面でも走行可能だ。車体から突き出たカブトムシのようなヘッドの長さは四メートル。ヘッドの先端には二つの球状のカッターが取り付けられていて、表面は長さ二〇センチから三〇センチの棘状のドリルピットに覆われている。このピット付きカッターは地図データと連動で稼動し、クラストの厚さや形状に応じて微妙に角度を調整する」
「地図データはどうやって作成するんだ?」
「至近距離から音波や超音波を発信し、その反射音を分析して、クラストの厚さや形状を詳しく計測する。もう一つ併用しているのが、レーザー光だ。ニムロディウムには特定の波長の光を強く反射する特性があって、至近距離からレーザー光を放射して、およその含有量を計測する。これは宇宙航空の分野で使われているコーティングや冶金設計の技術を応用したものだ。企業機密というなら、マッピング技術と地図データが最たるものだよ。機械のコピーは容易だが、どこに、どれだけの良質なクラストが存在するかは簡単には調べられない。計測装置や解析の手法はトップレベルの知的財産だと理事長が言ってた」

*

「次に集鉱機だ。こちらは路面清掃機みたいに、車体の底部にバキュームと、棘状のピットに覆われた直径四メートルの回転ドラムを備えている。破砕機で細かく砕いたクラストを直径二センチ以下の細かな粒子に粉砕し、バキュームの中央取り組み口から海水と一緒に吸い上げるんだ。バキュームの先はフレキシブルホースに繋がり、さらに水中ポンプによって揚鉱管に運ばれる。この集鉱機も小回りの利くキャタピラ製で、全長九メートル、高さ五メートル、幅六メートル。当面、一日の目標採鉱量は三〇〇〇トンから四〇〇〇トン、操業が安定すれば六〇〇〇トンを目指す」

「集鉱機から海水と一緒に吸い上げられたクラストの粉砕粒は、泥漿(スラリー)となって揚鉱管からプラットフォームの選鉱プラントに移送される。全長三〇〇〇メートルを超える長大なチューブウェイだ。揚鉱管は大きく三つのパートから成る。採鉱機に繋ぐ柔軟性の高いフレキシブルホース、採鉱機から吸い上げた泥漿を海上に輸送する鋼製のライザーパイプ。そして、水中リフトポンプだ。フレキシブルホースは特殊樹脂を混合した繊維強化プラスチック製で、最長一五〇メートル、その先端はコネクターによって採鉱機上部の吸引パイプの出口に接続される。揚鉱管の幹となるライザーパイプは流体ドレッジを利用した二重管で、泥漿を吸い上げるメインライザー管の直径が三十六センチ、海水を循環させるインジェクションパイプの直径が十八センチだ。パイプ一本の長さは二〇メートルで、これをタワーデリックで一つ一つ連結させながら海中に降下する。揚鉱システムの要となるのは、フレキシブルホースとライザーパイプに連結部に設置する水中リフトポンプだ。十二個の球体チャンバーから水圧をかけて海水を循環させ、破砕したクラストを海上に引き上げる。チャンバーを収めた格子型メタルフレームの大きさは、縦横六ートル、高さ四メートルだ。外側は特殊合金のフレームで防護し、内側は球体チャンバーがパイプや電源ケーブルと接触しないよう、十分にスペースを空け、樹脂やコーティング剤を使った絶縁処理を施している」
「動力はどうやって供給するんだ? 海上から電源ケーブルで給電?」
「当面はその予定だ。破砕機と集鉱機は電源ケーブルとは別に燃料電池を備えていて、定期的に海上に引き上げメンテナンスを行う。リフトポンプについては、外付け式のリアクターを有索無人潜水機で接続して電力を供給する」
「なぜリフトポンプだけ外付けのリアクターなんだ?」
「構造上、燃料電池を内蔵するのが難しい。しかも揚鉱システムの要だから、非常な高圧電流を必要とする。安全性やメンテナンスの容易さを考えて、外付けリアクターをインストールすることにした。万一、トラブルが生じても、リアクターだけ自動停止するので、システム全体に影響が及ばない」

*

 作業台座に固定された船体は海洋技術センターと全く同じ、全長九メートル、幅二・七メートル、高さ三・五メートル。ツェッペリン飛行船のような形状で、鮮やかなクロムイエローの船体には黒いゴシック文字で『PROTEUS』と刻まれている。恐る恐る船体に手を伸ばすと、炭素繊維強化プラスチックの懐かしい手触りが感じられた。もう二度と目にすることはないと諦めていただけに、嬉しいというよりは不可思議な気分だ。
 思えば、道を決めたのもプロテウスなら、活路を開いたのもプロテウスだ。
 あれほど故郷に帰りたいと願ったにもかかわらず、その機会も脇に置いて潜水艇の仕事に打ち込んだのは、故郷と同じくらい深海に魅せられていたからだ。
 デビュー戦は、惑星を南北に貫く北大西洋中央海嶺。入職から八ヶ月、必死の努力が認められて、試験潜航の機会に恵まれた。アイスランド北部で大地震があり、震源地の海底プレートを観察し、堆積物のサンプルを持ち帰るミッションだ。あの日の達成感と高揚感は今も鮮明に覚えている。
 深海調査も、自立型無人潜水機(AUV)や遠隔操作が可能な有策水中無人機の著しい発達により、大部分が無人機に取って代わられ、お金も手間もかかる有人潜水調査の意義について取り沙汰されることが多い。
 それでも、実際に人が潜って深海底を目視する経験は格別だ。
 水中カメラや音波探査でも詳細なデータを得ることはできるが、人間のふとした「気付き」や「勘」が思いがけない発見をもたらすこともある。また、無人機では侵入の難しい複雑な地形も、有人潜水艇なら臨機応変に進路を変更し、深部まで近付くことができる。
 無人機がどれほど発達しようと、有人潜水が完全に無くなることはあり得ず、熟練のパイロットはもちろん、通信ナビゲーター、クレーンのオペレーター、支援船を運航する乗務員の存在は大変貴重だ。

 とはいえ、調査の主役はあくまで研究者であり、彼もいくら海洋学を修めたとはいえ、その分野の権威とされる科学者から見れば、一介のパイロットに過ぎない。危険を呈して海底地形の複雑な所や、溶岩の流れ出す火口に接近し、学術的に非常に貴重なサンプルを持ち帰っても、その手柄は研究者のものであって、彼のものではない。
 多くはパイロットの働きを心からねぎらい、「次もよろしく」と言ってくれるが、中には「言われた通りに操縦すればいい」という横柄な人もある。「今時、大学生でも自家用潜水艇で海底火山を見に出かけるじゃないか」などと失礼な事を言う人も。
 大学生が自家用潜水艇で海底火山を見に出かけたからといって、それが何だというのだろう? 見るだけなら誰でも出来るが、「観る」となれば次元が違う。覗き窓の向こうをぼんやり眺めて、溶岩が流れ出す様を手を叩いて喜ぶ物見遊山とは根本から異なるのだ。
 それに大深度の潜航では何よりも安全性が求められる。物見遊山の深海ツアーと学術調査の違いは、前者は前もって安全が確認されたコースを回るが、後者は未知の深海に赴き、必ずしも安全は保証されていない点だ。いろんな安全対策が施されているとはいえ、深海で自船の位置を見失い、身動きがとれなくなれば、生命の危険を伴うし、深度が大きいほど救助される可能性も低くなる。一三〇時間を過ぎれば、酸欠と低体温で間違いなく命を落とすだろう。
 また、超水圧の深海では、些細な亀裂でも瞬時に船体を破損する恐れがあり、部品や電気系統のトラブルに対して的確な処置が出来る能力も必要とされる。大学生が自家用潜水艇で海底火山を見物に行く時代になったからといって、誰もが水深数千メートルに潜航できるわけではないのだ。
 彼は非常に高いプロ意識をもって仕事に取り組み、器用にマニピュレータやプローブを使って、学術的に価値のある生物や堆積物のサンプルを数多く持ち帰った。動きが不安定な中、対象にぎりぎりまで近付いて、熱水活動や泥火山などのビデオ撮影もやってのけた。
 心底から海を愛し、一つ一つの潜航に己の矜持をかけたからこそ、異例の早さで潜航回数一二〇回を達成したのだ。
 アル・マクダエルの言う通り、自分が何ものかを思い出すのはいつも海の上だ。その想いがあればこそ、採鉱プラットフォームに来て、もう一度、人生をやり直そうという気にもなった。
 それがどうだ。ここまで来てみれば、海洋調査ではなく揚鉱管の接続という。 

 

*

「まあ、落ち着けよ。刑務所の電気椅子じゃあるまいし、接続した途端、高電圧を流すわけがないだろう? 通電するのは君たちが海上に揚収され、オペレーションルームで十分に安全を確認してからだ。万一漏電したら、数万ボルトの高電圧が揚鉱管を伝って採鉱プラットフォームを直撃するんだからね。それに、当日は管制室やオペレーションルームから四十人以上のスタッフがフォローする。一カ所でトラブルが起きても、すぐさま全体に波及することはない。ステラマリスの深海調査もそうだろう。落ち着いて考えれば、みな分かることだ」
 彼はプロテウスの船体にもたれ、宙の一点を見詰めていたが、「情けないな」と口を尖らせた。
「以前の俺はもっと泰然としてた。あそこに行け、ここに行けと言われても、動じなかった。それだけ自分の技量に自信があったからだ。だが、今は以前のような気持ちになれない」 「君も完全主義だな。プラットフォームには今日来たばかり。接続ミッションはさっき聞いたばかり。それで自信満々にやれる人間がいたら、そいつは優秀じゃなくて、ただの無知だ。君は確かな知識と技術があるから、海中作業の危険性が理解できるんじゃないか。誰も明日から完璧に操作するなど期待してない。でも、君は自分が許せないタイプなんだな。世間ではそういうのを『完全主義』って言うんだよ」
「完全を目指しているつもりはない」
「だが、自分の弱さや欠点が許せないだろう。今日からでも完璧に操作できなければ、自分は駄目だと思い込む。理事長に突っ掛かるのも、本当は怖いからだ。でも、自分で認めたくないから、理事長の対応が悪いと言い張ってる。まあ、事前に十分説明しなかったのも本当だろうがね」
「……」
「怖いなら怖い、出来ないなら出来ないでいいじゃないか。さっきも話したように、僕らにはオール無人機という選択肢もある。これから六週間、全力を尽くして、君がどうしても無理と判断するなら、それでいいんだよ。完全主義も上手に生かせば、人より優れた仕事が成し遂げられる。良い風に考えれば、それだけ向上心があって、努力家ということだからね。とりあえず中に入ってみないか。物を見れば、君も納得するはずだ」


Product Notes

今、世界中で、様々なプロトタイプが作られていますが、形状は大体同じ。海底鉱物資源を含む堆積物やクラストを砕く破砕機と、それを回収する集鉱機、水中ポンプ、揚鉱管からなります。重機が二つになるとメンテナンスも大変なので、オールインワンタイプのアイデアもあるようですが、やはり技術的に難しいようです。

採鉱システムの海上基地は、船型と、半潜水型のオフショアリグと、二通りあるようですが、本作では後者を採用しています。

洋上施設での生活はこんな感じ。まあプロモーションビデオだから、演出もあるだろうけど、皆さん楽しそう。女性エンジニアやマネージャーも活躍されています。本作でも、「独身者はみなここが好き」という設定になっています。毎晩酒盛り、ゲーム三昧、唯一の不満は女の子と知り合う機会が少ないこと、でも、それもオンラインデートを利用して、みな上手にやっている、という話です。

ちなみに洋上施設の作業がどれくらい危険かといえば、こんな感じ。ほんと、タラバガニに漁船でなくても、死にます。
それでも笑いながらやってるのがスゴイ。

      B! 

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