2018/06/05 改訂版 「親を捨てよ 家を出よう」「大学には行った方がいいの?」「好きなことをして生きるは正解か」を追記

戦後日本の宿命と社会の不条理を描く 森村誠一『人間の証明』 / 野性の証明 森村誠一

戦後日本の宿命と社会の不条理を描く 森村誠一『人間の証明』 / 野性の証明 森村誠一
八杉恭子に人間の心が残っているなら、必ず自白するはずだ。無残に刺殺された黒人ジョニー・ヘイワードと西条八十の麦わら帽子の詩の関連を追う中、棟居刑事は一夏を霧積で過ごした家族の存在を突き止める。戦争直後の混乱と貧困を背景に、人種差別や階級格差を描いた本作は、単なる推理劇にとどまらない重厚かつ社会的な人間ドラマだ。原作のあとがきには角川春樹が森村誠一に執筆を依頼した経緯や、麦わら帽子の詩との出会いのエピソードが綴られ、そちらも読み応えがある。原作の抜粋と映画の画像から、人間の証明のの心髄を解説。松田優作、岡田茉莉子、ハナ肇、鶴田浩二、三船敏郎など名優たちの演技と存在感も秀逸。

多種多様な職歴を経て、推理作家の第一人者となった、森村誠一。
「推理」そのものを楽しませるエンターテイメント作家とは一線を画し、人間の本性やドラマが描ける、実力派の作家である。
「人間の証明」と「野生の証明」はいずれも角川映画で有名になったが、映画にならなくとも、氏の名作としていつまでも語り継がれる名作だと思う。
森村氏の著作はたくさんあるが、まずは入門編としてこの二つをお薦めしたい。

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なぜ「人間の証明」は森村誠一氏の代表作となり得たのか

「人間の証明」には熱がある。

それは個人の欲や野心、「こうすればギャラリーが喜ぶだろう」といった手練手管からはかけ離れた、「一人の人間」としての熱である。

この作品の後書きで、

今から20数年前、大学の3年の終わり頃、私は一人で霧積温泉から浅間高原の方へ歩いたことがある。

なにげなく弁当を開いた私は、その包み紙に刷られていた「麦わら帽子」の詩を見つけた。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」

という問いかけで始まるこの詩に私は激しく感動した。

<中略>

もともと私は読書少年ではあったが、文学少年ではなかった。それが奇しき人生の転機から小説を書くようになり、そしてある日作家としての精進を重ねる登城、角川春樹氏にめぐり逢ったのである。

氏は私に当時創刊されたばかりの雑誌「野生時代」への執筆を熱っぽく依頼した。

一介のかけだし作家にすぎない私のもとに老舗出版社のリーダーが直接足を運んで執筆を依頼するというようなことは、めったにない。

まだ海のものとも山のものともわからぬ私の可能性に角川氏は賭けてくれたのである。

私は氏の熱意に感激し、なんとかその期待に応えられるような作品を書きたいと思った。

その時ふと心の深奥にゆらりとゆれたのが20数年前の麦わら帽子の詩であった。

霧積でその詩を知り、そのままうち忘れていたものが二十数年して浮かび上がったのである。

<中略>

『人間の証明』が一冊の本となって私の手許に届けられた時、その厚表紙で装丁された重みのある手応えを私の心の重さだと思った。
作者がそのようなことを言うのは、おこがましいが、やはりこの作品は20数年の沈着がなければ書けなかったと思う」

誰にでも「運命の一作」があるとすれば、森村氏にとってそれは『人間の証明』に他ならないだろう。

大学生の頃から心の奥に温めてきた一編の詩が、20数年後に、見えない手に導かれるように表に浮かび上がり、森村氏の名前はもちろんのこと、詩人・西条八十の存在も一躍世間に知れ渡ったことを思うと、一個人の創造力を超える力が働いたとしか思えないからである。

「麦わら帽子」の詩が森村氏を選んだのか、それとも、森村氏によって「麦わら帽子」の詩が新しい命を得たのか、それは定かではない。

ただ一つ、確信もって言えるのは、この詩の根底に流れる「母の温かい愛」――人間にとって普遍の感情の物語が、一つの奇跡を形作ったということである。

『人間の証明』を単なる推理小説として位置づけるのはあまりに勿体ないし、「どうせ犯人は分かっているのだから」と、はなから食いつかないのも大きな損失だと思う。

これほど一人一人のキャラクターが生き生きと描かれ、また、推理の「点と線」となるエピソードが、何の不自然なく結ばれていく作品も希少である。

この作品だけは、映画のことも、最近リメイクされたドラマのことも頭から離して、新しい気持ちで読んで欲しい。

そうすれば、作家・森村誠一氏に「ただならぬ力」が働いて生まれた名作だということが、きっと分かるはずだ。

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