ネット民も年を取る ~世代の価値観の違いをどう乗り越えるか~

最近、目にしたネット記事から感じたこと。
(個人名は私の方でアルファベットに置き換えています。勘のいい人なら、誰のことかすぐに分かると思いますが・・)

記事のテーマは、匿名掲示板の創設者として有名なAさんは、なぜネット民から見放されたのか……という、なかなか衝撃的な内容でした。

私も、いくつかのTwitterアカウントを眺めながら、以前は、若者の代表格みたいに人気を博していた方に対する周りの見方が、ここ数年でずいぶん変わったような印象を受けたので、「ついにこういう記事が出てきたか」という気持ちです。それはまた、^^; や \(^o^)/ みたいな顔文字さえ古いと言われる初代ネット民に対する終了宣言のようにも受け取れました。

今ではモナーちゃんや流石兄弟も「何ソレ?」なんでしょうね。

近頃は「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という名言が身に染みてなりません。

さて、該当記事を読んで、しみじみ思ったのは、「ネット民も年を取る」ということです。Aさんも、「見放された」というよりは、Windows95から2000年初頭にかけて、アナログ回線+テレホーダイで遊んでいた初代ネット民(匿名掲示板の第一世代ユーザー。理解者というかお仲間)が軒並み年を取り、良き家庭人、良き社会人となって、匿名掲示板の世界観から卒業してしまった・・というのが大きいのではないかな、と。

ここで言う「良き家庭人、良き社会人」というのは、いわゆる一般庶民です。

あの頃、夜な夜なネットを徘徊し、匿名掲示板はもちろん、怪しげなアングラサイトやホームページの素材屋さんやバナーだらけのエロサイトで遊んでいた独り者も、今では妻子を養うサラリーマンであったり、子供のスマホ依存に神経を尖らせているお母さんであったり。かつては、誰も見向きもしない『○○の日記』で仕事の愚痴や好きなアニメの感想を綴る程度だったのが、今はSNSでドヤ顔しながら社会正義を語っている人も、少なからずあるのではないでしょうか。あるいは、自分も匿名で違法スレスレの事をやってたくせに、今はネットリテラシーについて熱く語り、部下のSNS使いに厳しい目を向けているとか。

誰しも、社会や家庭における責務が重くなればなるほど、「いつまでも、こんな阿呆な書き込み、してられへん」という気持ちが強くなり、どんどん尖った価値観からは卒業していくものです。いつまでも( ´_ゝ`)みたいな顔で、物事を斜に構えて見ているわけにいかない――というか、斜に構える余裕もない。「退屈な大人になった」というなら、その通り。でも、そうしなければ、組織の一員として務まらないし、子供もちゃんと育たない。

親の目を盗んでエロサイトで遊んでいた者も、いつかは自分自身が「ノートン・ファミリーセキュリティ」で子供のネット閲覧に制限をかけなければならないように、みな、立場が変われば、考えも変わるものです。

第一世代のネット民にしてみたら、Aさんを見放した――というよりは、私たちの方があの世界観から遠く旅立ったという感じです。

モナーもゲバ棒も捨てて、『良き家庭人・良き社会人』となった今は、「匿名掲示板か……何もかも、みな懐かしい」という気持ちです。

元々、Aさんと、当時の主なネットユーザー層との間には、10年から20年ぐらいの年齢の開きもあるでしょうしね。あの頃、インターネットで遊べた層って、20万円台のパソコンが余裕で買えて、自分で固定電話回線+プロバイダ契約ができて、なおかつ、IPアドレスやFTPやHTMLの概念が理解できる人に限られていましたし。(それができる親の子供も尖ってる)

一方、新規で参入してくる若手ユーザーは、ネットに対する考え方も、社会環境も、大きく異なります。記事でも指摘されているように、ネットはアングラ的なものから社会生活に必須のインフラとなりました。

現代の若者は、たとえ匿名でも、滑ったことを書いたらたちまち炎上し、下手すれば、住所も実名も晒されて、永久に消えないデジタルタトゥーが刻まれる恐ろしさも知っています。

誰もが日記サイトや匿名掲示板に、社会に対する疑問や会社のワルグチを気軽に書き込んで、仲間内でクスクス笑えた時代は終わりました。

今では、互いに互いの書き込みを監視し、面白おかしく晒すのが当たり前になっています。(以前は、他人のウェブサイトを閲覧することを「遊びに来ました」「ご訪問、ありがとうございます」と言ってたんですよね。他人様の家に遊びに行くのだから、お行儀よくしなくちゃ、という感覚でした。で、ドアを開けて、自分の期待するものと違っていたら、そっとドアを閉ざして、静かに去って行くという……)

また、ネットの芸風も、粋なブラックジョークで不特定多数の笑いを誘うより、身内で格好よく目立つ方が好まれます。「思いや創意を吐き出す為の実験場」から「自分を高く売るためのツール」になったのも、時代の流れとはいえ、ちと淋しい気がします。一つ、売れるテンプレが現れると、皆がどっとそれに乗っかって、似たようなフレーズ、似たようなコンセプトがネットに溢れ出す。壁紙やアイコン素材を見ただけで、管理人のセンスが窺い知れた「ホームページ・ビルダー」の世界も、今では遠い昔です。これだけ没個性・均一化されていくと、見る方もすぐに飽きて、はい次、はい次、はい次と、刺激の強いものを求めて歩くクリッカーでしかありません。
今ではYouYubeの15秒動画でさえ長く感じるようになりました。

一時期、話題になっても、どんどん飽きられ、捨てられる、ネットの新陳代謝の速さを思うと、誰であっても、ネット民の人気や支持を長く繋ぎ止めるのは難しいです。

そんな中、思い出すのは、ある漫画家さんの言葉です。

「長く愛されたければ、読者と一緒に年を取るしかない。今は少女漫画に夢中の読者も、いつかは大人の女性になり、経済誌や育児情報誌を手に取るようになる。自分がいつまでも少年少女の恋を描いている間、彼女たちは、そんな世界からとうに卒業して、現実社会を歩み始めるのだから」

彼女たちが卒業した後には、新しい少女が、新しい読者として、やって来るのですが、次に訪れる新世代の少女には、もう昔の恋愛観は通用しません。

そこで自分の作風を変えるか、自分も彼女たちと一緒に大人になって、大人の女性向けの漫画を描き始めるか……という話です。

少女漫画に限らず、歌曲だって、そうです。

私は、ユーミン(松任谷由実)が歌詞に綴った恋する乙女の心情は、今でも十分通用すると思っていますが、昭和も遠くなり、たくさんの若者が低収入や閉塞感に喘いでいる現代、「彼氏の車でドライブデート」とか「恋するゲレンデ」とか、どこの夢物語? みたいな感じでしょう。
「急カーブで、あなたの肩にもたれてみたら……」なんて情景すらピンとこないかもしれません。そして、情景の伝わらない歌詞は、どれほど真摯なメッセージが込められていても、共感の得にくい世界になっていくのです。

漫画史に残る傑作や日本歌謡界の名曲とされるものでも、それぐらい時代感覚がズレてしまうのですから、ネットの流行など言わずもがなです。

ネットにおいては、たとえ嫌われても、存在を知られているだけでも、凄いことです。
「飽きた」とけなされるより、忘れ去られる方がもっと痛い。

その点、記事でも引き合いに出されているBさんは、良き家庭人・良き社会人となられて、上手に読者と一緒に年齢を重ねられた感があります。匿名のアルファブロガーの頃より、今の実名・顔出しBさんの方が好きという人も少なくないのではないでしょうか。

どんな世界も、自分のスタンスを保持しつつ、長く続けるのは大変です。

変に迎合すれば変節漢と呼ばれ、いつまでもそのままだと「お前の芸風はもう飽きた」と言われる。

中高年なら誰もが直面するターニングポイントを、どう乗り越えていくのか。

ただ一つ言えるのは、あの頃、私たちが笑い転げたおバカなインターネットの世界は二度と帰ってこない、ということです。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。1998年よりホームページを運営。PCと車が大好きな80年代のサブカルファン。WordPressとは10年以上の付き合い。普段はぼーっとしたお母さんです。小説より漫画とアニメに詳しいヲタで、昭和の名作漫画は大半の台詞を空で言うことができます。東欧在住。本を買ってくれたら喜びます。

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