2018/06/05 改訂版 「親を捨てよ 家を出よう」「大学には行った方がいいの?」「好きなことをして生きるは正解か」を追記

第一編 第二節 長男を厄介払い カネ、カネ、カネの父子関係

第一編 第二節 長男を厄介払い カネ、カネ、カネの父子関係
第一章 第二節 長男を厄介ばらい

前妻アデライーダの間に生まれた長男ドミートリィ。本来、跡取り息子ととして大事に育てられるべきだが、愛も責任感も持ちあわせない、ロシア的でたらめ親父のフョードルは、幼い息子を早々に放り出してしまう。しかも、母方の実家でさえ、孫の存在を忘れてしまうほど。

無責任にたらい回しにされた子供がどうなるか、言わずもがな。

やがて、長男ドミートリィと淫蕩父フョードルの関係は、金の執着しかない、禍々しいものに変質していく。

このような男が養育者、父親としてどうだったかは、むろん、容易に想像がつくだろう。

父親としての彼には、まさしくお察しのとおりのことが起こった。つまり、アデライーダとの間にもうけた自分の子を、まるでもうすっぽかして顧みようともしなかったのである。

それも、その子が憎いからとか、夫として受けたはずかしめを根にもってとかいう理由からではなく、なんのことはない、子供の存在そのものをてんから忘れてしまったのである。

彼が涙まじりのくりごとで みなをうんざりさせ 、一方、わが家を淫蕩の巣窟に変えてしまったところ、三歳になるミーチャ少年の世話を買って出たのは、この家の忠僕グリゴーリィで、もし当時グリゴーリィが面倒を見てやらなかったら、子供の肌着を替えてやるものもなかったにちがいない。(14P)

そんなミーチャの境遇を見るに見かねた、母方(アデライーダ)の従兄、ピョートル・アレクサンドロヴィチ・ミウーソフが救いの手を差し伸べる。

ピョートル・ミウーソフの思想面は、

彼はその後多年にわたり外国で暮らすようになるのだが、当時はまだ若干の青年で、ミウーソフ家の人々のなかでは例外ともいえる、首都じこみ、外国じこみの開けた考えの持主で、おまけに生涯を通じての西欧人であり、晩年には四十年代、五十年代の自由派(リベラル)として知られていた。

その長い人生行路の間に、ロシアでも外国でも、彼は当時の自由思想家たちと交友を結び、プルードン(フランスの社会主義者)やバクーニン(ロシアのアナーキスト革命家)とは個人的に面識をもち、その放浪者的人生の終り近くには、1848年のパリの二月革命の三日間のことをとりわけ好んで思い出話の種にしては、まるで自分自身がそのバリケード戦の参加者ででもあったかのような話しぶりをしたものである。 (15P)

ピョートル・ミウーソフの思想の特徴を、本作では、『≪教護派≫と訴訟を起こすことを、啓蒙的市民としての自身の義務とさえ心得て』と表現している。

注釈によると、教護派とは、もともとは法王、カトリック教会と結んで政治的支配をめざす西欧のキリスト教政党を指した言葉だが、自由派として西欧で教権は反対の運動に参加してきたミウーソフは、この言葉を地方の教会権力に対して用いている。正教会ではこの用語が使われたことがないので、ここには西欧的なミウーソフへの一種の皮肉も表現されている

フョードル・カラマーゾフにも記載しているが、19世紀の西欧といえば、フランス革命後の急速な近代民主化、産業革命による工業化により、旧来の社会システムが大きく変化した時代でもある。

個々が発言力をもち、身分や家柄よりも資本が物を言う。

ロシアは、西欧より遅れて、民主化、工業化が伝播しているから、ロシアの地方から西欧に出掛けて、先進的な物の考えや権利意識を身に付けた人は、さながら「意識高い系」「ハイカラさん」といったところ。

日本に喩えれば、勝海舟や坂本龍馬的な感じだろうか。

欧米の一歩進んだ価値観やライフスタイルを持ち帰り、「だから、君らは遅れているんだよ」と、地方の田舎者にひけらかす感じの人物像が目に浮かぶ。

『啓蒙的市民としての義務』というなら、現代も同じ。

正義を気取って、他人を非難したり、施策を批判する人は多い。

ミウーソフも、自分では他より一歩先を進んでいるつもり、自分の方が正しいつもり、ただし、地元民から見れば、愛すべき人物であったかどうかは定かではないが。

ところが、そのミウーソフ自身も、パリに住み着いた途端、ミーチャのことなどすっかり忘れてしまう。

再び放置されたミーチャは、その後も、あっちにやられ、こっちにやられ、四度の転居を繰り返す。

その度に、情と絆のリセット。

己の都合と感情しか分からぬ大人に育っても不思議はない。

フョードルの三人の息子のなかでは、このドミートリィひとりが、幼いころから、自分にはともかくもなにがしかの財産があり、成人に達したら独立できるという確信をもっていたことがある。

少年時代、青年時代は、ちゃらんぽらんに過ごした。高等中学を中退して、その後、ある軍関係の学校に入り、やがてコーカサスに行って、そこで任官し、決闘騒ぎを起こして降等され、また復官するといった調子で、さんざ放蕩を重ね、金もずいぶん使った。

フョードルから仕送りを受けるようになったのは、成人に達してからだが、それまでの借金が相当な額になっていた。自分の父親であるフョードル・パーヴロヴィッチのことを知り、はじめて顔を合わせたのも、成人に達して後のことで、そのときは自分の財産のことで父親と協議するため、わざわざ当地を訪ねて来たのだった。

父親に対しては、もうそのときから好意をもてなかったらしく、わずかの期間親もとに逗留しただけで、父親からいくらかの金を引き出し、領地からの今後の収入の受け取り方について父親とある種の取り決めを結ぶと、早々に引き上げてしまった (16~17P)

「自分にはともかくもなにがしかの財産があり」というのは、成長のどこかの過程で、”小地主”の父親の存在と、『長男』という位置づけを知り、無条件に金持ちと思い込んだことを意味する。

ドミートリィに限らず、自分の父親がそこそこの金持ちと知れば、いつかはそのおこぼれに預かれると期待するのは、現代でも同じ。

この父子の場合、情だの責任感だのは一切なく、カネ、カネ、カネと、執着心がその一点に集約されるのが特徴的。

しかし、ドミートリィの立場で考えれば、根っからの遊び人というより、淋しさもあったのかもしれない。

子供時代に生活環境を何度もリセットされれば、心にも大きな影を落とす。まして、真の愛情が得られないとなれば、金銭で他人の歓心を買うことも覚えるだろう。根っからの遊び好きというよりは、ぱっと散財して、周りを喜ばせ、孤独を紛らわせるタイプ。現代でも、夜の世界には、こうしたタイプもあるだろう。金はあるけど名誉はない、成金親父の豪遊によく似ている。

「父親からいくらかの金を引き出し ~ 早々に引き上げてしまった」と、すでに父親がATM化している模様。

幼い頃から離ればなれで、大事にされた思い出もなければ、父親など札束にしか見えないだろう。

そして、フョードルも、面倒は金で解決するタイプだ。まともに話し合ってこじれるより、札束を切る方がはるかに楽である。
激情家の息子も、金さえ握らせれば、こちらの都合良く懐柔できると思ったのだろう。

そして、金勘定に関しては、フョードルに一日の長がある。

書き手いわく、フョードルは、「ミーチャが自分の財産について誇大で誤った考えをもっていることを、そのときただちに見抜いてしまった

能天気な跡取り息子が、実際の資産より多く見積もるのとよく似ている。あの親父なら十億ぐらい持っているだろう……みたいなノリだ。

その時には、ミーチャは一文無しで、「自分の資産の総額をすでに現金の形でフョードルから引き出してしまっており」、どうにもならない状態だったが、ミーチャは、父親が自分を騙しているのではないかと疑い、逆上する

そして、このことが、後の悲劇に繋がる。

お金が絡むと、親子だろうが、親友だろうが、修羅場になるのが古今東西の共通事。

善心はマンモン(金の悪魔)より強し。

ところで、『カラマーゾフの兄弟』も、カネ、カネ、カネと、金の話が多いが、作中に登場するリーブルは幾らぐらいなのだろうか。

帝政ロシアの通貨事情に詳しい解説がある。

フョードル M.ドストエフスキー Фёдор Михайлович Достоевский, 1821-1881 が活動した19世紀後半のロシアにおける市民の生活感覚と貨幣価値の関係について、亀山訳 『罪と罰』 では巻末の 「読書ノート」 の 「8 ロシアのお金」 で明快に解説されている。 その中で、ラスコーリニコフが質草として金貸し老女のもとに持ち込んだ 《父親の形見》 の銀時計の質値が 「利子天引きで、一ルーブル五十コペイカ」 であったことに対して、「当時の一ルーブル五十コペイカは、現在の日本の貨幣価値に照らして、どの程度の額なのだろうか」 と問い、その答えとして 「一ルーブルを約千円と想定していただいておおよそまちがいない」 と説明されている。

上記の計算に基づくと、父子トラブルの元凶となる3000ルーブル=300万円。

結構、はした金で揉めてないか (゚_゚) と日本人には感じるが、ポーランドも2000年代初め(EU加盟の頃)の庶民の平均年収は200万円にも満たなかったことを考えると(私の知り合いの医師の給料は一ヶ月5万円ほどだった・公立病院。今は日本の貧困層を余裕で上回っているが)、300万なら、1~2年は余裕で遊んで暮らせるほどの額だったろう。

若いミーチャにしてみれば、一年以上遊んで暮らせるほどの金額は相当に魅力的だ。

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