映画『Shine』とラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番

音楽

一人の芸術家が、一つのテーマに挑む様は、凄まじくもあり、神々しくもある。

それは生活に役立つ道具を生み出すわけでもなければ、数十億の市場を作りだすわけでもない(スターウォーズみたいにヒットすれば、そうなるかもしれないけれど)。

正直、この世に美しい曲や物語が誕生したところで、不況や国際問題が解決するわけではないし、いきなり生活が豊かになるわけでもない。音楽や小説など、あっても無くてもいいものだし、まして数分で消えてなくなるライブの演奏など、どれほどの価値があるのかと思う。相手がマルタ・アルゲリッチほどの大物で、一夜で数千万だか数億だかのお金が動いて、音楽業界もウハウハとかいうならともかく、皆が皆、選ばれたスターじゃあるまいし、そんな事をして何の得になるの?と問われたら、まったくその通り。裏の畑でも耕した方がよほど世の中の為ではないかと思うことはたくさんある。

ちなみに寺山修司はこう書いている。

詩を作るより、田を作れ

「詩を作るより、田を作れ」という思想は、根本的には政治主義に根ざしたものである。それは「役に立つ」ということを第一義に考えた処世訓であって「詩なんかなくても生きることはできるが、田がなければ生きることはできない。だから、どうせやるなら自他ともに役立つところの、田を作る方に打ちこむべきだ」といったほどの意味である。勿論、ここでいわれる「田を作る」ということは比喩であって、「目に見えた効果、社会的に有効な仕事」といったことを指しているのであろう。(21P)

実際、他人に「役に立つ詩」は存在しないかも知れない。
詩は、書いた詩人が自分に役立てるために書くのであって、書くという「体験」を通して新しい世界に踏み込んでゆくために存在しているものなのだ。
だが、「役に立つ詩」はなくても「詩を役立てる心」はある。それはあくまでも受け取り手の側の問題であって、詩の機能をうらからたぐりよせてゆくための社会性の法則のようなものである。

人生処方詩集 寺山修司

世の中、田んぼ作りの達人ばかりでは、息苦しくて生きていけない。

水車もあれば、太鼓橋もある、多彩な景色が広がればこそ、心豊かに生きていける。

人間が本当に田んぼだけを求める生き物なら、壁画が描かれることもなければ、音階が作られることもなかっただろう。

芸術家が創造しようとしているのは、魂の部分であって、肉体ではない。

だから、自身の魂を削る。

苗木のように、元となる物質があるわけではないから、音や色彩に魂を注ぐ。

その為に命を落とそうと、悔いはない。

なぜなら、我が肉体の代わりに、音や色彩がその現し身となるからだ。

映画の中でパガニーニは言った。『永遠に生きてやる

そして、永遠に生きる。

時を超えて、人の心をかき鳴らしながら。

1998年の初稿

ロシアの偉大な作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ Sergei Rachmaninovは1873年ロシアに生まれました(1943年没)。
希代の名ピアニストでもあったラフマニノフは、名曲中の名曲『ピアノ協奏曲No.2』をはじめ、『交響曲No.2』、『ヴォカリーズ』、『ピアノ・ソナタNo.2』など、様々な傑作を残しています。
その哀愁に満ちた美しい旋律は、映画やCMのBGMとしても効果的に使われており、「曲名は知らなくても旋律は知っている」という人も多いのではないでしょうか。
誰もが生涯に一度は耳にするであろうラフマニノフの美しい音楽。
ここでは私の最愛の曲『ピアノ協奏曲No.3』と、これを題材にした映画『シャイン』をご紹介します。

【 ピアノ協奏曲第三番 】について

ラフマニノフは生涯に四つのピアノ協奏曲を書き上げました。
中でも最高傑作として知られている「第二番」は、世界中のピアニストがこぞって取り上げ、演奏会でもお馴染みのプログラムとなっています。
しかし、この後に書かれた【ピアノ協奏曲第三番】は、第二番に並ぶ優れた作品であるにもかかわらず、演奏される機会はうんと少なく、多くのピアニストがこの楽曲を前に足踏みしています。
それはこの曲が余りにも壮麗で、究極の技巧を要求される至難の大曲だからです。

「交響曲第一番」の不評から、作曲家としての自身を喪失し、強度の神経衰弱に陥ってしまったラフマニノフ。
しかしながら、彼は精神科医ダール博士の懸命の治療によって救われ、かの有名な「ピアノ協奏曲第二番」を書き上げました。
そして、その成功によって世界的な名声を得た彼は、アメリカの演奏旅行に招待され、この【第三番】の作曲に取り掛かります。

1909年、ニューヨークで、ラフマニノフ自身のピアノによって初演された【第三番】は大好評を博し、彼の名声を盤石のものにしました。
「第二番」のロマンティックで美しい世界をさらに昇華した【第三番】ですが、ラフマニノフが自らのテクニックを最高に発揮できるよう意図されたピアノ・パートは、いっそう困難な技巧が用いられ、ピアニストにとって一つの試石となっています。

現在では、ウラディミール・アシュケナージをはじめ、マルタ・アルゲリッチ、エフゲニー・キーシン、アレクシス・ワイセンベルク、エミール・ギレリス、ホロヴィッツといった世界に名だたるピアニストが、多くの優れた録音を残しています。

ギレリスのラフマニノフ

私が一番最初に聴いたのが、エミール・ギレリスの演奏でした。ギレリスの若かりし日の録音です。
ベートーヴェン弾きとして名を馳せるギレリスですが、こちらも非常に力強く、情熱的な名演です。

特に、第1楽章の独奏部――映画『Shine』の中で、デヴィッドが激しく陶酔してゆく非常に難解なカデンツァ――の怒濤のような展開に圧倒されること間違いなし。

Spotifyに全曲アップされているので、ぜひ聴いてみて下さい。ギレリスらしい真摯な響きが味わえます。

音源はこちらです。

ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』、サンサーンス『ピアノ協奏曲第2番』他 

アシュケナージのラフマニノフ

世にラフマニノフの名盤は数あれど、「第3番」に関してはこのアシュケナージ盤がおすすめ。
少女漫画のようにロマンティックでありながらテクニックは上等で安定感がある。
第一楽章の独奏部のカデンツァなどは「竜崎麗華(お蝶夫人)・花の舞」といった感じだ。
「こだわり」のある人には物足りないかもしれないが、大衆受けするムーディーな演奏であり、初心者にはもちろん、耳の肥えたクラシック・ファンにも心地よい一枚である。
構えて聴くより、BGM的な感じでさらっと聴くのがいいかも。
特に第三楽章に関しては、アシュケナージの持ち味がいかんなく発揮されて、これ以上ない美しさに仕上がっている。
カップリングの『パガニーニ』もおすすめ。

Spotify(欧州)でリリースされているジャケットは異なりますが、内容は同じです。(ハイティンク指揮)

同時収録の『パガニーニの主題による狂詩曲』はこちら。(ハイティンク指揮)
https://open.spotify.com/track/13u1OsvOcP5u2CYfzu7C91

アシュケナージのラフマニノフ『ピアノ協奏曲1~4』と『パガニーニの主題による狂詩曲』、ピアノ・ソナタ、等、ラフマニノフの全てが収録されたアルバムはこちら。
ピアノ協奏曲に関しては、ハイティンク指揮とプレヴィン指揮、両方が収録されています。なんとCD11枚組のボリュームです。

他にも、Spotifyには歴史的な録音が揃ってますので、根気よく探してみて下さい。

映画『Shine』とピアノ協奏曲第三番

ラフマニノフの【第三番】を題材にした作品として、最も有名になったのは、1997年アカデミー主演男優賞をはじめ、数々の映画賞を総ナメにしたオーストラリア映画「Shine(シャイン)」ではないでしょうか。

本国はもちろん世界中で絶賛を浴び、【第三番】はもちろん、モデルとなった実在のピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの名を一躍有名にした映画「シャイン」は、ピアノとラフマニノフをめぐる彼の数奇な運命が描かれています。

STORY

オーストラリアに住む移民の子、デヴィッド・ヘルフゴットは、幼い頃より、厳格で音楽に造詣の深い父からピアノを教わっていました。
彼の才能に震撼した音楽教師は、「デヴィッドはコンクールで賞のとれる子だ。ぜひ、私に預けてください」と申し出ます。
が、頑とした信念をもつ父はこれを拒み、あくまで自分自身でデヴィッドを育てようとします。

しかし息子にラフマニノフを弾かせたい父は、ある日、音楽教師の元を訪れ、「ラフマニノフを教えてやってくれ」と頼みます。
音楽教師は、「子供にあんな情熱的な曲は無理だ。まずはモーツアルトから……」と言い聞かせ、デヴィッドを預かるのでした。

デヴィッドはめきめきと上達し、数々のコンクールで入賞するようになります。
そんな彼にアメリカの音楽学校から招待が舞い込みますが、デヴィッドを手離したくない父は、息子の気持ちなどお構いなしに、これを撥ね付けてしまいます。

青年になったデヴィッドは、親交あるロシアの女流作家の支えもあり、ついに父から離れることを決意し、ロンドン王立学校に旅立ちます。
名教授の元で研鑚をつむデヴィッドは、ピアノ協奏曲コンクールの最終選考に残りました。

彼が選んだ演目は、「ラフマニノフの第三番」。
教授は、「第三番は大曲だ。正気の沙汰じゃない」と懸念しますが、「では正気でなければいいんですね?」とデヴィッド。

コンクールに向けて、壮絶な練習が始まりました。
絡み合う旋律、嵐のようなカデンツァ。
デヴィッドは全身全霊をかけて、この大曲に挑みます。

「まずは正確に暗譜を! 指使いを覚えるのだ! 目隠ししても弾けるように! そうすれば音楽は自然にハートからあふれ出す」。
教授の言葉どおり、目隠ししてピアノに向かうデヴィッド。
彼の頭の中は「第三番」で今にも弾けそうでした。


 

コンクールが近づくと、教授はデヴィッドに、「素晴らしい演奏をした記憶は永遠に残る。次は君の番だ」と言って励まします。
デヴィッドはステージに立ち、ピアノに向かうと、その鍛えぬかれた指先からラフマニノフの世界を見事に作り出します。

もはやこの世を離れ、音楽という至上の世界に全身全霊を捧げ尽くすデヴィッド。
彼の演奏は万雷の拍手でもって称えられます。

しかし、その直後、デヴィッドは張り詰めた心の糸が切れたようにステージに倒れてしまいます。
デヴィッドは傷つき、疲れ果て、父の元に返ってきますが、父は自分から離れた息子を決して許そうとせず、冷たく突き放します。

精神を病んだデヴィッドは十年間も病院で過ごしました。
ピアノを弾くことは禁じられ、外に出ることさえ許されません。

そんな彼を気の毒に思った婦人が彼を引き取りますが、もはや普通の日常生活さえままならぬ彼と一緒に暮らすことはできず、彼は新しい身元引受人に託されます。

が、そこでも夜中にピアノを弾きまくって引受人を怒らせ、とうとうピアノの蓋に鍵をかけられてしまう始末。
それでもデヴィッドはピアノを求めて、あるレストランに飛び込みます。

みずぼらしい闖入者に野次をとばした客たちも、彼の『くまんばちの飛行』を聴くやいなや、その素晴らしさに圧倒され、心から拍手を送ります。

もう何ものにも脅かされることなく、自由にピアノを弾ける場所を見出したデヴィッドは『輝き=Shine』を取り戻し、自分の為、そして聴衆の為にピアノを弾き続けます。

やがてデヴィッドは、生涯の伴侶となるギリアンと巡り合い、結婚。
彼女の深い愛に支えられ、再びステージに立つのでした。

話を聞かせてキャサリン

映画ではラフマニノフにフォーカスされていますが、サウンドトラック自体も素晴らしいです。

青年期のデヴィッドを勇気づける作家のキャサリンとの触れ合いを描いた場面。

吹替盤では、次のような台詞が入ります。

あなたの弾くピアノって、言葉では表せない何かを完璧に表現している
神々しいわ

キャサリン、話を聞かせて。しずくの話なんかどう?

私は人生の野に咲く草花を
あなたの為に摘みました
そしてあなたの足下に捧げましょう
それは香料でも没薬でもない
あなたはクリシュナであり キリストであり ディオニュソス
あなたの美と優しさと力
花のように

ギャラリー

デヴィッドに優しく指導する音楽院の先生。

リストの『ラ・カンパネラ』を弾きながら、一緒に足でテンポをとる場面が素敵。

凍てつくように寒いアパートの一室で、手袋の指先を切り、ラフマニノフを練習するデヴィッド。アプライトのピアノの響きも味があります。

床を叩いて、イメージトレーニング。いつも鍵盤に向かうだけでなく、理想の音を思い描くことも重要。

青年期を演じたノア・テイラーの陶酔っぷりも演技とは思えません。ここまで役柄と音楽に入り込めたら、いっぱしのピアニストといっても過言ではないほど。

映画『Shine』に関するCD・DVD

数奇な運命を辿った実在のピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴッドの半生を綴った伝記的作品。
単なるピアニストのドラマを超えて、この映画の精神的シンボルである、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番への思い入れたっぷりの作品に仕上がっています。
とりわけ青年期を演じるノア・テイラーの、ラフマニノフに陶酔していく演技が素晴らしい(とても吹き替えとは思えない熱演)。
第1楽章の難解なカデンツァに挑む場面は、ラフマニノフ・ファンにはこたえられない迫力。
また音楽の使い方も非常に効果的で、デヴィッドの弾く美しいアダージョをラジオで聴きながら、思わず涙をこぼす父親の姿には胸をしめつけられます。
ラフマニノフ・ファンのみならず、クラシックに興味のない方でも感動が胸を打つ秀作。

日本では映画音楽のサウンドトラックと、曲中で使用されたクラシック音楽の全曲集と、二つに分けて販売されていると思います。
欧州Spotifyでは、その両方を網羅したフルアルバムが配信されています。
「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」はもちろん、「子供の情景」「くまんばちの飛行」「まことのやすらぎはこの世にはなく」など、あの印象的な旋律の全曲が収録されています。

ピアノとラフマニノフ第三番をめぐる創作の抜粋

『曙光』の続編となる話です。1997年の下書き。

建築家の父親とピアノのレッスンを始めた息子の会話

「絵でも、音楽でも、自分を表現できるものがあるという事は良いことさ」と彼は息子に言った。
「人間の欲求において最高のものは『自己表現』だ。その究極の形が芸術だからね」
「自己表現ってなあに?」
「『自分らしさ』を形に表わすことだよ。お父さんはデザインの仕事をしてるだろう。あれだって、お金や地位の為にやってるわけじゃない。一つ一つの線や形に、『僕はこういう人間だ』『こういう理想や意志があるんだ』ということを表現する為にやってるんだよ」
「単に絵を描いてるわけじゃないんだね」
「お前が本当の意味で音楽を奏でられるようになったら、お父さんの仕事もきっと理解できるようになる。『自分を表現する』ということがどれほど大事で、素晴らしいかも」
「じゃあ、僕、頑張って練習するね。誰よりもうんと上手くなって、お父さんをコンサートに招待してあげる。お父さんのデザインしたコンサート・ホールで、僕がピアノを弾くんだよ!」

建築家の父親と恋人の会話

「あの子には本当に才能が有るんだろうか?」
彼はレイアに聞いた。
「才能が無ければ、音楽の勉強をしては駄目なの?」
「駄目とは言わないよ。でも、音楽学校では音楽しか教えないだろ」
「好きな勉強ができるのなら、それで十分じゃないの」
「だが、社会に出た時、『音楽しか知りません』では通用しないと思わないか?」
「その他の事は、後から学んでも間に合うでしょう。意欲が有る時に好きな勉強をさせた方が、あの子の為だと思うわ」
「……だがね」
「あなた、まさか反対するつもりじゃないでしょうね」
「……」
「好きな道を志すのがどうしていけないの?」
「趣味でやる分には良いさ。だが、芸術として音楽を極めるとなれば話は別だ」
それがどれほど険しく、苛酷な道であるか、彼は知っている。建築の世界でも、音楽の世界でも、王道を目指して敗れ去り、悲嘆と絶望のうちに人生を終えた者がどれほどたくさんいることか。
芸術――それを志す者は多い。だが、天恵を受け、栄光をつかむのはほんの一握だ。
いったん至高の光を目指し、王道を登り始めたら最後、世俗的な仕合せは捨て、絶対的な孤独の中で己の極限に挑み続けねばならない。
もし道半ばで切り捨てられたり、自分に天恵が無いことを思い知らされた時には、時の骸と永久の渇きをひきずって、一人暗がりの道を下って行かねばならないのだ。
それでも、建築の世界は資格が有るだけいい。
たとえ王道から外れても、資格さえあれば、どこででも仕事は続けられるし、一生の助けにもなる。
実績を積めば、それなりに世間の評価が得られるし、内容に見合った報酬を受け取ることもできる。
少なくとも、自分が学び、努力した歳月を、形に代えて未来に還元することができる。
だが、音楽の世界には何も無い。
才能が無ければ、それで終わりだ。
きちんと教育を受け、あるレベルにまで達すれば、それなりに活躍する道も開けるだろうが、それでも恵まれた境遇にあるのは僅かだ。
人に『上手いね』といわれる程度では、実社会に直結しないのが現実なのである。
中途半端に終わるくらいなら……人に『上手いね』と言われる程度で終わってしまうのなら、我を忘れてのめり込む前に見切りをつけた方が良い。
それこそ世界に名を馳すような大ピアニストになるならともかく、 音楽しか知らない、人間的にも社会的にも偏った大人に育った日には、父子そろって世間のいい笑い者ではないか。

建築士の父親と息子と音楽

「何描いてるの?」
「美術館だよ。文化庁から依頼があってね。契約がまとまれば、来年の三月頃には着工する」
「へえ。これ、美術館なの? 僕には落書きにしか見えないや」
白い製図用紙に描かれていたのは、形を成す前の線の束だったからだ。
「“形”は頭の中。これから、ここに立ち上げる」
「お父さんには見えてるの?」
「右も左も、外も中も、全部、はっきりと」
「どんな風に?」
「鮮明な写真を見ている時もあれば、一本の映画のフィルムが頭の中で回っている時もある。いろいろだね」
*
「建築の仕事は楽しい?」
「楽しい時もあれば、辛い時もある」
「でも偉いんでしょ」
「最初から偉かったわけじゃない。人に認められ、理解と協力を得られるようになるまで、時間はかかる」
「お父さんも、人に馬鹿にされた事がある?」
「あるよ。若い時はしょっちゅう」
「どんな風に?」
「『建築馬鹿』」
*
「今でこそライン・トラストも体質が変わったけれど、昔は、施工中心の総合建設業で、設計も『施工の為の設計』だった。いかにコストを安く上げるか、工法を簡素化し工期を短縮するか、会社に利益をもたらすか、損得計算ばかりで、設計者はみな『製図マン』と化していた。もちろん施主の事を考えれば、限られた予算の中で最大限に良い物を提供する事が重要だし、会社の不利益になるようなことも極力避けなければならない。だからといって、デザインの本質を歪めるような物を作ってしまえば、施主にとっても、周りに住む人々にとっても、都市全体から見ても、目に見えない形で損害を与える事になる。
建築は、音楽や絵画と違って、『公共の芸術』だ。
自分一人で勝手に楽しむ為のものじゃない。
建築士はそうしたことを十分認識した上で設計を行わなければならないんだよ。
でも、お父さんみたいに『こだわりだらけ』の設計者は、ライントラストには不要だった。
自分の『個』を打ち出そうと思えば、当然、上部と対立するし、周囲からも浮き立つ。
『ライントラストに”芸術家”は要らん』と、面と向かって言われた事もあるよ。
賞をとった後も、『サラリーマン建築家』と罵られたし、『伯母の七光り』と中傷された事もある。
でも、お父さんは負けなかった。
とことん自分の理想と信念を貫いてきた。
『たった一人で始めた事でも、それが本当に意義の有る事なら、一人、また一人と後に続く者が現れる』――ヴァルター・フォーゲルの言葉をいつも胸に繰り返しながらね」
「止めたいと思った事は?」
「一度も無いよ」
*
「“形”はどうやってお父さんの頭の中に生まれるの?」
「ある日、突然、結晶するんだよ」
「“結晶”?」
「そう。ニーズ、コンセプト、立地条件、周囲の景観、予算、工法……様々な要素を頭の中の鍋釜に入れ、想像力という匙で掻き回しながら、朝夕かけてじっくり煮込む。やがて材料がどろどろに融けあって、十分に煮詰まったら、 しばらく火を止めて様子を見る。その後、真っ暗闇の中で、深く、静かに、息を潜めて待っていると、徐々に輪郭が現れる。点と点が引き合い、一つの線を織り上げるように、くっきりと頭の中に浮かび上がるんだよ」
「いつからそんなことが?」
「子供の頃から立体を描くのが好きだった。線と線を重ね、奥行きをもたせれば、平らな紙に空間が生まれる。まるで内なる世界を構築するようだった」
「すごいね」
「お前も習いたければ、教えてやるよ」
「いらない。俺、美術は万年“C”なの、知ってるだろ」
「建築も音楽も同じだよ」
「そうかな」
「建築は、一つ一つ線を重ねて、形を成してゆく。音楽は、一つ一つ音を連ねて、巨大なうねりを作りだす。どちらも無から世界を構築することに変わりない。元は一つだよ」
*
「ラフマニノフはこの曲を作る前、交響曲を批評家に酷評され、失意と絶望からひどい神経症に罹ってしまったんだよね」
「でも、ドクターの献身的な治療により、再び創作に向かった。そして不滅の名作、ピアノ協奏曲第二番が誕生したわけだ」
「人間って、そんなに強くなれるものなの?」
「そうだね。人間も強いけど、芸術に向かう気持ちはそれ以上だ」
「芸術に対する気持ち?」
「そう。お前の“ピアノを弾かなかったら窒息する”という気持ちとはまた少し違う。絶対的な美への憧れと崇拝、創造をもたらす霊的存在、あるいは霊的経験に対する驚きと敬虔さ、創造への飽くなき欲望と情熱、絶え間無い魂の希求と創造的活動……本物の芸術家は、自分の全存在をかけて創造の極限に挑む。その先に至高の光を掴むのは、ほんの一握りだ」
「僕にも出来ると思う? ラフマニノフやショパンみたいに、不滅の響きを残す」
「お父さんにはお前の音楽の才能がどの程度かは解らない。お前が本当に芸術として音楽を極めたいと望むなら、無理に止めはしないよ。ただ、それは何よりも厳しく、険しい道であることを覚悟しなければならない。できれば、己の極限に挑むような生き方を選んで欲しくないがね」
「だけど、僕は音楽無しに生きられない。たとえ極に辿り着けなくても、音楽に満たされて生きていたい」
「芸術は非情だよ。才能の無い者には容赦なく大鎌を振るい、光の片鱗も見せない。彼が破滅しようが、血を流そうが、お構いなしだ。そして希求が激しければ激しいほど、振り落とされた時の絶望は地獄より深い。狂気の中に一生を終えた人間を、お父さんはたくさん知ってる」
「それでも目指すと言ったら?」
「そうなる前に、安全な巣に逃がす」
*
「僕の好きな第一楽章のカデンツアだ。この悪魔的な響きに魅せられる。いつか僕がこの曲に挑み、大舞台に立つ日が来たら、お父さんは前列左側の席で僕の指の動きを見ていて。 己の極限を突破した瞬間を、必ず見せてあげる」
息子の熱弁に、彼は穏やかに微笑むしかない。
「僕がピアノに向かうのは一種の狂気だ。この世を離れた無意識の作用がそうさせる。お父さんの頭の中で光が“結晶”するのと同じだ。「『紙切れ一枚の縁』だけど、僕の中にもお父さんと同じものが存在する。お父さんがしてきたように、僕も世界を構築したい」

ピアノ協奏曲第三番と父子の賭け

「来年の事だがね。ウェクスフォードを卒業したら、やっぱり音楽院に進むつもりなのかい?」
「当たり前だろ。解りきったことを聞くなよ」
「なあ――お前も来年は十八だ。十八になったら、この世界では一応“大人”とみなされる。今までみたいに、何でもお父さんと一緒、という訳にはいかなくなる。音楽をやりたいお前の気持ちも解るが、何度も言ってるように、お前は宗家の跡取りだ。いつまでも家の事は“知らぬ存ぜぬ”では通らない。これからは、お父さんやルネに付いて、家の事を少しずつ覚えていってくれないか」
「今だって、ちゃんと父さんに協力してるじゃないか」
「知ってるよ。お前はお父さんの代わりにちゃんと挨拶もできるし、客人の接待もできる。自分の務めはちゃんと果たしていると思ってる。だが、十八になったら立場も変わる。むろん人の見方もだ。それなりに家の事が出来なかったら、今度はお前が笑われるんだぞ」
「……俺には向かないよ」
「やる前から何を言ってる」
「じゃあ、もし俺が失敗したら、その時はどうなるの? どうせ皆で俺をこき下ろすんだろ。ほら、見たことか、得体の知れない養子なんぞ拾ってくるからだ、と」
「そうならないようにお父さんがちゃんと見てる。一から十まで間違いのないように。だから何も心配しなくていい」
「――馬鹿馬鹿しい」
「何が馬鹿馬鹿しいんだ」
「『エル(=至高者)』と呼ばれる父親をもつ息子の気持ちがお父さんに解る? 何をやっても完璧で、家柄、容姿、才能、三拍子揃った、天才と呼ばれる父親をもつ子供の気持ちが? 俺は御免だ。父さんのようにはなれない」
「“同じになれ”とは言ってない。お前はお前のやり方で、きちんと務めを果たしてくれればいいんだよ。皆だって、それで十分認めてくれるはずだ」
「俺はこの一年、ローレル・インスティテュートの仕事を手伝ったり、父さんと一緒に社交場を回ったりしながら、いろいろ考えた。自分の事、家の事、父さんの事。でも、どんなに考えても出来ないものは出来ないし、向かないものは向かない。俺は父さんの生きてる世界とは相容れないんだ、解るだろう?」
「お前はお前なりに、ちゃんとやってるじゃないか」
「それは父さんに恥をかかせたくないからさ。俺にだって誇りがあるからね。みすみす自分や父さんを貶めるような事はしたくないから、父さんの言い付けに従ってきただけだよ。でもそれが限界だ。俺は自分の心に嘘はつけない」
「そう感じるのは、お前が“子供”だからだよ。お父さんだって昔はそうだった。嘘やおべんちゃらの世界が嫌でたまらなかった。それでも、その中で生きてきた。それが自分の努めであり、宿命だったからだ」
「その『宿命』ってやつを、勝手にいじくったのはどこの誰さ? 俺が寝てる間に、俺の名前を変えたのはどこの誰だよ」
「またその話か!」
「父さんには『またその話』でも、俺には一生の枷さ。『養子』にならなきゃ、俺にはもっと別の人生があった。別の人生なら、もっと違う生き方ができたのに」
「では、聞こう。僕の養子にならなかったら、どんな人生があったというんだ。お前の望む『別の人生』とは何だ? 毎日ピアノを弾いて暮らすことか?」
「……」
「人間、好きな事だけやっていけたら苦労はないさ。僕だって、叶うものなら一日中設計の仕事をやっていたい。だが、人間それでは通らない。雑事もあればノルマもある。嫌な人間と顔を突き合わせるのも仕事のうちだ。 その中でいかに自分の人生を打ち建てていくかだろう? あれは嫌、これもしたくない、いつまでもそんな甘えが通ると思ったら大間違いだぞ」
「だったら価値観の相違だね。俺は父さんとは違う。自分が納得できない事は、たとえそれが世間の常識であっても、俺には論外だ。俺は自分が納得できる道をとことん探す。たとえ一生かかっても、だ」
「お前は世の中のことなど何一つ解ってない」
「父さんだって、俺のことなど何一つ解ってない」
彼は怒りを堪えながら息をつくと、「いったい何が望みなんだ?」と、息子の顔を見据えた。
「ピアノか?」
「父さんは俺なんか大した器じゃないと思ってるだろ」
「――そんなことはない」
「じゃあ、もし俺が音楽院に落ちて、ピアニストにもなれなくて、何一つ結果を得られなかったとしても、父さんは俺の納得いくように生きさせてくれる?」
「どういう意味だ」
「俺には生きたい生き方がある。たとえ誰に認めてもらえなくても、俺は全力をかけて自分の好きな道を行く」
「だからピアノは趣味として続ければ良いって言ってるじゃないか」
「そうじゃなくて! ピアノに限った話じゃなくて!」
「?」
「俺はこのまま父さんと同じ道を行きたくない。そりゃ父さんは立派だと思うし、尊敬もしてる。でも、このまま父さんの後を付いていっても、何の為にもならないような気がするんだよ」
「そんな事はやってみないとわからないさ。お前が友達を見て、焦りや迷いを感じる気持ちは解る。でもお前と友達では立場が違う。背負っているものもだ。別にお前がお父さんと同じ道を歩いたって恥じゃない。お父さんの後を継ぐのも立派な自立だと思うけどね」
「そういう意味じゃなくて! 俺は人間としての生き方の問題を言ってるんだよ!」
「お前、いつからそういう高尚な問題に触れられるようになったんだ?」
「父さんは俺の気持ちなんか全然解ってない!」
*
「六月に学生を対象にした新人音楽コンクールが開かれる。もし俺が最終予選に残り、上位に入賞したら、俺を認めて欲しい」
「コンクールを賭けに使うのか?」
「“賭け”じゃない。挑戦だ」
「コンクールに勝てば、“己の極限を突破できる”とでも思ってるのか?」
「俺は必ず最終予選に残る。最終予選に残ったら、『三番』を弾くつもりだ。もし、見事に弾きこなせたら、俺を認めて欲しい」
「つまり、“お前の好きにさせろ”という事か?」
彼はチラシを突き返すと、「そんな賭けには応じられない」と答えた。
「どうして?」
「入賞しても、しなくても、お前が僕の息子である事に変わりはないからだ」
「だったら変えてみせるさ」
「どうやって?」
「コンクールを見に来て。前列左側の席で、俺の『三番』を聴いて欲しい。最終予選で、もし俺が父さんを感動させられなかったら、その時はあっさり敗けを認めるよ」
「自信が有るのか?」
「もちろん」
「『三番』なんて、子供に弾きこなせる曲じゃない」
「俺だっていつまでも子供じゃない。その気になったら、いつだって父さんを踏み越えてみせる」

……from My Private Edition ’97
初稿:1998年秋
第二稿:2010年5月2日