建築と社会とCivilizasion 人工島の海洋都市と社会の未来図

小説

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。詳しくは作品詳細タイトル一覧をご参照下さい。

Introduction

マリン・ユナイテッド社で働く施工管理士のマックスとフリーの建築士エヴァの招きで、ヴァルターはアステリアのもう一つの島、ローランド島を訪れる。平坦なローレンシア島と異なり、島面積の80パーセントが山地で占められ、険しいリアス式海岸で囲まれたローランド島では局所的な観光化が進み、商業施設の建設が急ピッで進んでいた。
西側の拠点、ポートプレミエルに近い住宅地サマーヴィルの自宅でくつろぐ傍ら、マックスはポートプレミエル最大の商業複合施設ハーバータウンと高級リゾートホテルの建設現場を見せ、施工管理の面白さを説く。そのダイナミズムに魅せられる一方、東側のペネロペ湾にもロイヤルボーデン社が進出し、フランシス・メイヤーと組んで、壮麗な海上都市『パラディオン』の建設を画策していることに愕然とする。再建コンペも過去の出来事と割り切り、見て見ぬ振りで通り過ぎようとするが、結局、講演に訪れたメイヤーと鉢合わせ、切っても切れない因縁を実感する。
一方、トリヴィアへの帰還を控えたマクダエル父娘に衝撃の出来事が起きる。二人を助けにきた伯母ダナ・マクダエルから聞かされたのは意外な言葉だった。

Quote

エヴァはからから笑いながら駐車場に案内し、白いファミリータイプの乗用車のトランクを空けた。彼は意外に大きいトランクスペースにアーミーバッグを置くと、助手席に乗り込み、「これ、OPERA(オペラ)だね」と目を細めた。
「そうよ。倹約所帯には一番のおすすめ。燃費もいいし、耐久性もある。町中でも小回りが利くしね」
「俺の父もOPERAが好きだったよ。中古の赤で、十年ぐらい乗っていた」
「堅実なマイホームパパね。あなたを見てると、どんなお父さんか目に浮かぶわ。ハンサムだけど格好には無頓着、毎日判で押したような生活をして、野鴨の親子みたいにいつも家族でくっついてる。余計なことにお金は使わないけど、自分の好きなものには惜しみなく時間とお金を注ぐタイプよ」
「よく分かったね」
「建築デザインも要は人間相手のサービス業だからね。一目でどんなタイプが見抜かないと仕事がやりにくいの。クリエイティブな仕事と言われるけど、依頼主のニーズを満たしてなんぼの世界だから。自分の思い通りにやれることの方が少ないわ」
「ローランド島のリゾート開発も似たようなものだろうね」
「そうね。極彩色あり、奇抜なデザインありで、過剰にモダンなのは認めるわ。あなたみたいに吹きさらしの海の近くに育った人には悪趣味にしか映らないでしょう。でも、トリヴィアから来る観光客の多くはこういうのを求めてるの。平凡な日常を忘れさせてくれる、おもちゃ箱のような海洋空間。島全体が夢を売るテーマパークと思えば納得がいくでしょう。でも、派手な建物ばかり作ってるわけじゃないのよ。永住者のための住宅地も開発してるわ。もっとも一般人には高嶺の花だけど」
「じゃあ、短期で働きに来ている人や一般の区民は何処に住んでるんだ?」
「公営の集合住宅やタウンハウスよ。でも戸数が十分とは言えなくて、水上ハウスに済んでいる人も多いわ。コストが安いから」
「水上ハウスって、小型船舶を改装したもの?」
「たとえるなら、水上の箱物ね。工場で生産されたムーバブルハウスを丸ごと沿岸に運んで桟橋で連結するの。海洋リゾートも裏に回ればそんな光景がごろごろしてるわ。私たちは沿岸のタウンハウスに住んでるけど、短期で出稼ぎに来ている人や、金銭的に余裕のない層はたいてい水上ハウスに住んでいるわ。もちろん、水上ハウス=底辺というわけじゃないけど、住環境としては欠点も多いわね。子供や身体の不自由な人、高齢者には桟橋は危険だし、海水による腐食や浸水の恐れもある。火事や倒壊に見舞われたら、脱出できずに命を落とす人もあるでしょう。陸地の住居の方が絶対安全というわけではないけど、危険性は水上ハウスの方がはるかに高いでしょうね」
「改善の余地はないのかい?」
「難しいわね。ローランド島はキュウリみたいに細長い上、八割が山岳でしょう。道路の敷設だけで莫大なコストがかかるし、造成地に向かない箇所も多いわ。にもかかわらず、インフラの整った用地や見晴らしの良い一等地はオフィスや観光、高級住宅に優先されて、一般向けの住宅地は後回し。ローランド島には現在、一時雇いの労働者も含めて三万二千人が居住してるけど、永住者はたったの三割、大半は企業関係の短期滞在者や長期出張者とその家族で仮住まいだから、行政も雇用者も定住を目的とした一般居住地の整備に本腰を入れないのよ。仮住まいの人たちも『二、三年のことだから』と問題視しないしね。でも、アステリアの海洋開発が進めば、ここに永住する人も増えるわけだから、今のままでいいはずがない」
「じゃあ、現在開発中の住宅地というのは……?」
「大半が高級住宅の分譲地よ。もっとも、そこに本当に住宅が建つかどうかは不明だけど」
「どういうこと」
「土地だけ買うのよ、投機目的で。これから土地価はまだまだ上昇するから、今がお買い得というわけ。その上、アステリアは経済特区で様々な優遇制度があるからね。通常、トリヴィアの市民権を持たない者が領内の土地を購入するには不動産取得の制限があるけど、ローランド島はハードルが低いの。不動産の仲介手数料は無料だし、税金も安い。自分が住まなくても、商業物件として人に貸し出すことも可能だし、購入から一年以内に建築着工の義務もない。買うだけ買って遊びが利くから、トリヴィア外部からの投資も非常に多いのね。用地だけが次々に転売される現象も起きているわ。本当に住まいが必要な庶民は住宅不足で困窮してるのに」
「それは改正されないのか?」
「これだけ投資に湧けば、政府も直ぐには規制したがらないわ。問題は知っていても、もう少し様子を見て、その間に儲けようって腹でしょう。不動産や関連株の投機に夢中になってるのは、むしろ政府高官という話よ。ここは属領で、アステリア独自では何一つ決められないから、やりたい放題。政府や企業としてはもっと観光客や富裕層を呼びたいから、当面は今のままでしょう。仮に経済成長が軌道に乗って、一般住宅地の整備に資金が回るようになっても、何年、何十年先の話か。でも、その頃には住民層も二極化して、別の問題を抱えているでしょうね

*

湾岸道路を北に向かって十分も走ると、左手に開発中の『ハーバータウン』が見えてくる。一・五平方キロメートルの敷地には何基ものタワークレーンが天高くそびえ、槌音が軽快に響き渡っている。また縦横に張り巡らされた作業用道路には、建築資材を運ぶ大型トラックやパワーショベル、ロボットアームを備えた双腕重機や杭打ち機が土煙をあげながら絶え間なく行き交っている。
マックスの話では、ハーバータウンは「娯楽」「宿泊」「コミュニケーション」「オフィス」「住まい」の五つのブロックに区画され、港湾のターミナルビル周辺はもう八割方、完成しているという。
売り物は人工河川に囲まれた高層の「ハーバーグランドホテル」と、ショッピングモールやコンベンションセンターを併設した「ハーバーセンター」だ。「水と緑の臨海タウン」「家族にやさしい町」のイメージ通り、初夏の太陽みたいに溌剌としたデザインで、豊かなグリーンとオープンスペースが設けられている。

–中略–

「施工管理の仕事は面白い?」
「面白いとか、面白くないとかの問題じゃない、『やらねばならぬ』の世界だ。一つ一つに莫大な金が掛かってる。設計と違って、いったん施工したものはやり直しが利かないからな。ひと度現場を任されたら図面通りに仕上げるだけだ」
「どうしてこの仕事を?」
「単純な話さ。オレが子供の頃、街の裏手に広大な裸地があった。サッカー場が幾つも作れるほどの空き地だ。それが土地開発の対象になり、あっという間に集合住宅やショッピングセンターが建てられた。わずか数年の間に何百という人が移り住み、一つの町が生まれたんだ。その様をつぶさに見ながら思った。これこそまさにcivilization(シビリゼーシヨン)だと。これだけ大きなプロジェクトを誰がどんな風に管理するかにも興味が湧いた。十五になったら、ほとんど迷わずにその道を行ったよ。まるでブルドーザーに導かれるみたいに」

*

「問題は、一日も早くデータを揃えて分析し、徹底した建築基準を設けることだ。今のように『なあなあ』では、五年後、十年後、どんな災害が起きるか分からない。水上で漏電でもしてみろ、どんな悲惨なことになるか容易に想像がつくだろう。電気設備に限らず、浄水、防食、建材、杭の打ち方から安全柵の寸法に到るまで、全てにおいて発展途上だ。エヴァが聞いた話では、予算が足りないと浄化装置を取り付けず、生活排水を海中に垂れ流している水上ハウスもあるらしい」
「行政の指導や調査は全く入ってないのか?」
「年に何回かは住宅やメーカーに調査が入ってるらしいが、どこまで詳細に調べているかは分からない。ああいうムーバブルタイプの水上ハウスが登場してから、まだ七年ほどしか経ってないからな。今の建築基準で本当に十年、二十年と持ち堪えるのか、未知数の部分も多い。いずれ海上生活者が倍増すれば、監督機関も重い腰を上げるだろうが、それもいつのことやら。とにかく周りは開発一色だ。十年先、二十年先の事など何も考えてない。一つ一つデータをアーカイブ化して、適宜、分析に回してるのはうちの会社ぐらいだよ」
「アーカイブ化?」
「そうだ。ありとあらゆる問題を画像、ビデオ、テキストなど、いろんな形で記録してアーカイブ化する。今すぐ役に立たないデータでも、長年、蓄積して分析すれば、未来の技術に活かせるというのが、うちの社長のポリシーだ。七年前から現場で義務化されてる。今では関連会社も品質管理の一貫として手法を取り入れているよ
「見所のある社長だな」
「というより、示唆したのはアル・マクダエル理事長だ。それに社長が賛同して、ノウハウを真似している。『転ばぬ先の杖の杖』らしい。ともかく、オレの現場に案内しよう。まずは目玉のハーバーグランドホテルから。世にリゾートホテルは星の数ほどあるが、魚のいない海と向き合ってるのはここだけだ」

*

「これだけの規模の建設現場を一元管理するのは大変だろうな」
「馴れたらそうでもない。他の業種と一緒だ。管理部長がいて、各部署の責任者がいて、それぞれが持ち場を指揮しながら縦横の連携を図る。それに今は『CoManager』という高機能な施工管理システムがあるから、たいがいのことはオンラインで解決できる。各部の工程表や進行状況、建設コスト、稼働中の重機や作業員数などがリアルタイムで表示されるので、いちいち現場に問い合わせなくても、パソコン一台で全体の状況が把握できるんだ」
「なるほど」
「それに設計図の変更や細かい部分の修正も、各自が所有するPCやタブレット端末で同時に確認できるし、オンラインでの共同編集やミーティングも可能だ。昔に比べれば信じられないほどマネジメントシステムが進歩している。唯一コントロールできないのは天候ぐらいだ。雨が降ったら、ひたすら止むのを待つしかない。まあ、そこいらが人間の限界というやつさ」

*

湾の最大幅は十五キロメートル、湾口部は十三キロメートル。
湾内の平均水深は二五メートル、湾外周辺も全体に遠浅で、海底地形もなだらかなことから、島の東岸では真っ先に開発の始まったベイエリアだ。
沿岸ではオフィスや商業施設の建設が勢いよく進み、その半分は既にオープンして、夕闇に華やかな明かりが灯っている。
わけても目を引くのが『スカイタワー』と呼ばれる高層の複合商業施設だ。高さ一二七メートル、地上三十二階、地下一階のメインビルを中心に左右対称の二層の低層ビルが翼のように広がり、一大エリアを形成している。
三つの建物にはオフィス、カンファレンスルーム、イベントホール、ホテル、レジデンス、ショッピングセンター、フィットネスなど様々な商業施設が入居する予定で、既に七割のテナントが売約済だ。
またビルの周辺も豊かなグリーンで囲まれ、噴水広場、イベントステージ、遊歩道など、憩いの場としても申し分ない。また専用マリーナの水路は内側にも延長され、運河のようにエリア全体を取り囲んでいた。
あと数年は開発ラッシュが続くだろう。問題はその後だ。果たして見込み通り金と人が集まるのか。用地でも、エネルギーでも、アステリアの資源は限られている。箱だけ増やして肝心の人が居着かなかったら、あっという間に衰退してゴーストタウンだ。ステラマリスでも類似のケースがあるだろう。優遇政策を追い風に投機的に開発を推し進めたものの、途中で情勢が悪化して、建設途中で開発がストップするケースだ。人も住まず、土地価も暴落して、巨大なスクラップだけが残る
「どっちに傾くと思う?」
「それはウェストフィリア次第だ。あそこが天然資源の供給地になれば、ペネロペ湾が後援拠点となる。湾の南側にオールインワン型の宇宙空港と工業団地の建設が進んでいるのもその為だ。ウェストフィリアで採掘したものを半加工し、ダイレクトに輸出する」
「オールインワン型?」
「自動車道、係留施設、飛行機の発着場、倉庫などが一体となったシームレスの複合ポートだ。陸海空の輸送ラインを一本化し、コンテナの積み替えや集荷の手間を削減して効率化を図る。積荷の検査や追跡もデータ管理を一元化するので、業者間で無駄なやり取りをする必要がない。間違いや不正の防止にもなる。都市作りを一から設計しなければ出来ないことだ」
「よほど手慣れてないと難しいだろうな。それもマリンユナイテッド社が手がけたのかい?」
「違う。お前が一番よく知ってる人間だ」
彼は弾かれたように顔を上げた。
「そう、フランシス・メイヤーだ。オールインワン・ポートとスカイタワー周辺の都市設計を請け負っている。聞いた話では、数年前からペネロペ湾開発公社に助言を行っているそうだ。ターミナルビルやスカイタワーなど、個々の建物の設計は別のデザイナーが手がけているが、ベイエリア全体の構想はメイヤーのアイデアがベースになっている。いけ好かない奴だが、製造・輸送・管理が一体化したオールインワン・ポートや、水際を活かしたスカイタワー周辺の町作りは流石という他ない。そして今、メイヤーが大手と組んで猛烈にアピールしているのが『パラディオン』だ。ペネロペ湾を埋め立て、直径七キロメートルの円環の海上都市を作り出す。『洋上のヴェニス』だ」

–中略–

「オレは、ある意味、お前がステラマリスを出てきたのは正解だと思ってる。今もステラマリスに居たら、再びフェールダムに舞い戻り、工事のゴタゴタに首を突っ込んでいただろう。そして、どうなる? 下手すれば示談の不履行で被告席だ」
「……」
不条理に感じるだろうが、世の中には銀のスプーンをくわえて生まれてきて、あれが欲しいと言えば、海でも山でも手に入る人間がいる。フランシス・メイヤーなんて、その最たるものだ。持って生まれた才能もあるが、メイヤー&パーマーという桁違いの資本と政治力に支えられている。親族の結婚式には一国の首長も招待されるほどだ
だから不正にも目をつぶれ――故郷を踏みにじられても我慢しろと?
だから、そういう世間知らずみたいな事を口にするなと言うんだ。お前の仲間が横断幕を掲げて反対運動するくらいは許容範囲だろう。ロイヤルボーデン社もその手の抵抗には馴れている。だが、いったん示談書にサインして自身の権利を取り下げた者が、取り決めに逆らって表に出てくれば話は別だ。本意、不本意にかかわらず、お前は法律上、『不作為の模倣』を認め、『二度とロイヤルボーデン社の利益を侵害しない』ことを約束したんだからな。サインした時点でお前の権利も『緑の堤防』もジ・エンドだ、なぜそれが分からない

*

「君がマックスと結婚したのは正解だよ。ヴァルター・フォン・シュトルツィングよりハンス・ザックスの方が百倍いい男だ」
「何のこと?」
「『ニュルンベルクのマイスタージンガー』だよ。俺の父がとても好きだった」
「ワーグナーの楽劇ね。それであなたの名前も『ヴァルター』なの」
「本当はジークフリートにしたかったらしい。でも、祖父に『後ろから槍で突かれて死ぬ英雄など縁起でもない』と言われて、考え直したそうだ。でも、俺にはその方が有り難い。父には悪いけど、それだけは勘弁願うよ」
「どうして」
「どう見ても名前負けだ」
「そんなことないわ。あなたも一所懸命にやってると思うわよ。故郷大事といっても、畑違いの再建コンペに挑むほどの勇気と行動力を備えた人は希有だもの。それに、どんな親も大なり小なり、我が子には夢を見るものよ。私の母も、将来は有名大学に通って、お金持ちのぱりっとした紳士と結婚して、主婦向けの雑誌に出てくるような優雅な奥様になって欲しかったみたいだけど、現実は全く逆。私がヘルメットをかぶって工事現場に出入りする姿を初めて目にした時は絶句してたわ。マックスを紹介した時もね」
「君はどうして建築デザイナーに?」
「よくある話よ。中学生の時、バレーボールの試合中に膝を痛めたの。手術自体は簡単だったけど、退院してからが大変。高さ一〇センチの間仕切りさえ足につかえるし、たった五段の階段の上り下りも一苦労。バスルームでは身体を支えるだけで精一杯だし、トイレで便座に掛けるにも何分とかかってしまう。それまで何気なく暮らしていた家が一転して障害物の箱になったの。それを機に、デザインって何だろうと考えるようになった。その翌年には祖父が脳梗塞で倒れて、左半身に軽い麻痺が残り、家の中を移動しやすいようにリフォームすることになってね。担当の設計士がとてもいい方で、毎日話を聞くうちに自ずと進路が決まったわ。大変だけど、やり甲斐のある仕事よ。人の暮らしに直結することだしね

–中略–

私には、あなたがわざと嵐の中に身を置いているようにしか思えない。でも、それは本当にお父さんの望みかしら。私が親なら、今手にしているもので幸せになって欲しいと願うわ。お父さんが不幸な亡くなり方をしたからといって、あなたまで不幸になる必要はないのよ。それとも幸せになるのが怖いの?
「楽しいことだけ考えて、安らかに暮らしたい気持ちは皆と同じだ。何かあっても見て見ぬ振り、自分とは関わりの無い事と割り切って生きていけたら、どれほど楽かしれない。だが、それは俺の生き方ではないし、父の教えとも違う。そこから離れたら、自分自身でなくなってしまう」
だが、エヴァは頭を振った。
あなたは新しい価値観を恐れているのではない? 幸せになるということは、新しい考え方を受け入れることよ。『こうあるべき』という先入観をリセットして、今まで考えもしなかった生き方を選択するの。それはあなたにとって不安を伴うかもしれないけど、もしかしたら、その中にこそ本当の救いがあるかもしれない。あなたにとっても、お父さんにとっても。少なくとも、嵐の記憶にがんじがらめになって一生棒に振ることは望んでないはずよ」
「父さんは俺の指針だ。忘れるなんてできない」
「ええ、分かってる。でも『忘れずにいること』と『その中に閉じてしまうこと』は別でしょう?」

*

怪訝な気持ちでホールを見回し、ふと上体を捻った時、演台の向かいの壁に大きく掲げられたCG画に目を見張った。
これがマックスの言っていた海洋都市パラディオン。
直径七キロメートルの円環状の浮体構造物を幅広の十字型メインブリッジで四つに区画し、完璧なシンメトリーを作り出す。さらに四分割された扇形のスペースにはL字型のサブブリッジを三連に組み合わせ、洋上の都市空間を作り出す。
浮体構造物に作られた建物は、住居もオフィスも公共施設も色彩や形状が統一され、まるで精緻な建築模型を見るようだ。上空から見れば、誰もがそのジオメトリックな美しさに目を奪われるだろう。
斬新なのはデザインだけでない。
ブリッジ間は跳ね橋や連絡船で移動し、住民はヨットやペダルボートを気軽に楽しむことができる。昼間は噴水アートが街を彩り、夜には水際が華やかにライトアップされ、まさに「海のヴェニス」と呼ぶにふさわしい趣向であった。
彼はその華麗な意匠に目を見張り、自身の『リング』など足元にも及ばないと痛感した。
たとえメイヤーが『メイヤー&パーマー・グループ』の御曹司で、桁違いの資本やコネクションに支えられているにしても、それだけで数々の建築賞を総なめにできるものではない。メイヤー自身も卓越した才能の持ち主であるのは疑いようがなく、こんな大人物に真っ向勝負を挑むなど、確かに身の程知らずに違いない。
だが、もう済んだ話だ。
ここに来てまで争う理由はないし、メイヤーがアステリアに何を作ろうと彼には関係ないことだ。何も見なかったことにして、すぐさま立ち去ろうとしたが、演台の向こうから数人の話し声が聞こえてくると、彼は足を止めて様子を窺った。
最初に警備員が姿を現し、続いて秘書のような若い女性と恰幅のいい中年紳士が談笑しながらこちらにやって来る。最後にメイヤーが姿を見せると、彼はその場に固まり、息を呑んだ。
一行はそのままホールを突っ切って中庭に行きかけたが、途中で警備員がCG画の前に突っ立っているヴァルターに気付くと、「君、イベントはもう終わりだよ。ここはまもなく閉館するから、退出してくれたまえ」と声をかけた。
一瞬、メイヤーと目が合い、彼は決まり悪そうに下を向いたが、以前のような激しい感情はなく、むしろ再建コンペを一緒に闘った戦友みたいな懐かしい気持ちさえする。
彼は勇気を出して一歩進み出ると、
「フランシス・メイヤーさん。少しお話できませんか」
以前とは打って変わって丁寧な口調で話しかけた。
だがメイヤーは眼鏡の奥から彼を睥睨すると、「誰だね、君は」とまったく素っ気ない。 彼は少しプライドを傷つけられながらも、
「ヴァルター・フォーゲルです。フェールダムの再建コンペで『緑の堤防』を提案しました」
と正直に答えた。
すると、たちまちメイヤーの顔付きが険しくなり、
「その事なら結着したはずだ。こんな所まで追いかけてきて、一体、わたしに何の恨みがあるのだ」
と激しい口調で言った。
「失礼は百も承知です。でも、あなたに一言だけ、お伝えしたいことがあるんです。どうか聞いていただけませんか」
「何をだね」
「フェールダムの事です。あなたのデザインが非常に素晴らしいことは理解しています。だけども、住民の願いは……」
「無知な田舎者と話す事などない。ただでさえこっちは大迷惑してるんだ。コンペだけならまだしも、工事現場に横断幕を掲げて大挙して押し寄せるとは、どこまで野卑で恥知らずなんだ」
「荒っぽい手段に出たことは謝ります。ですが、デンボンメルの森はボランティアグループが汗水を流して土壌を整え、植樹した場所です。他にも汚泥を浚い、瓦礫を片付け、政府も誰も見向きもしなかった頃から粉骨して……」
だから幾千と金のかかった計画を水泡にし、他人の名誉を汚しても構わないというのかね。植樹は後々、臨海公園に移し替える予定だった。何も根こそぎ燃やして灰にしようという訳じゃない。それを何だ、まるで環境破壊の悪鬼のごとく騒ぎ立て、工事を中断させたばかりか、ジャーナリストまで担ぎ出して、国民ぐるみでデモンストレーションだ。どれだけ多くの企業や関係者に迷惑をかけたか分かっているのかね。だが、もういい。これ以上、田舎者と話しても不愉快なだけだ。君らの望み通りになったんだから、満足だろう」
「望み通り?」
「臨海都市計画は廃案になった」
「それじゃ、再建案は……」
「ロイヤルボーデン社のジオグリーンだ。『緑化堤防』と言えば分かるだろう」
彼は信じられないような思いで目を見開いた。
「フェールダムの再建は、ロイヤルボーデン社の主導でジオグリーンと堤防のインプラント補強が行われることになった。君の望み通りだ。『おめでとう』。いや、残念賞と言うべきか。盗作したのがバレたな。卑劣というなら君の方だよ。他社の意匠をそっくり真似て、よくも自分の作品などとコンペで主張できたものだ」
「……俺は盗んでない」
「だったら、なぜ示談に応じた。やましいことがあるからだろう。なんにせよ、わたしはあの一件から手を引いた。田舎の干拓地がどうなろうと、もはや知ったことではない。関係者に拝み倒されて再建案を提示したのに、田舎の素人集団に環境破壊の親玉みたいに突き上げられて、わたしの方こそいい迷惑だ」
「田舎の素人集団って、どういう意味です?」
「身の程知らずが専門分野に口を挟むなと言ってるんだ」
「専門家でなければ意見してはいけませんか」
「君に何が分かる」
あなたこそ、フェールダムの何を理解しているというんです? 何百年とかけて水を治める技術で土地を拓いてきた。あれは天から授かったものではなく、ネーデルラントの先人が営々脈々と築き上げてきたものです。ゴールドコーストにホテルを建てるのとは訳が違います
「だから、普通のやり方では再興は難しいから、人と金の集まる商業地のプランを案出したんだ。わたしが何の考えもなしにデザインしたとでも思っているのか」
「ですが、水と緑で栄えてきた海岸線を埋め立ててまで建設する価値があるのですか」
「いい加減にしたまえ。復興対象地域に勝手に入り込んで掃除や植樹を始めたのはボランティアの方だろう。だいたい、植樹と放牧だけであれほど甚大な被害を受けたエリアを復興できるものかね。君たちはあまりに現実を知らなすぎる」
数十年もすれば老朽化して、地元のお荷物になるような商業施設に巨額の予算を投じるより、緑化堤防を再建した方がよほど安上がりです。それに、もう一度、同じ規模の豪雨と高潮に見舞われたら、あなたは率先して堤防を守りに行くんですか。あの程度の構造物ならもって百年、その間も莫大な施設の維持費を要します
「では、緑の堤防なら絶対安全と言い切れるのかね」
「絶対とは言いません。しかしながら、海や河川の状態に合わせて嵩上げし、十分な強度と高さを確保することができます。締切り堤防のインプラント補強も同様です。都市の景観を損なうという理由で、ぎりぎりに高さを抑えた防潮壁よりよほど信頼できます」
メイヤーは屈辱に顔半分を歪めながらも、
「ともあれ、わたしにはもはや関係のないことだ。牛を飼おうが、木を植えようが、君たちの好きにすればいい。あいにく、堤防に命を懸けるような正義感は持ち合わせてないのでね」

*

「お前は再建コンペについて彼からどれくらい聞かされた?」
「故郷の仲間と堤防の再建案を提示して、一般投票で一位になったけど、最終的には別のプランが採択されたと」
「それだけか」
「それだけよ」
「ならば、わしも余計なことは言わないでおこう。問題はパラディオンだ。それが実作されれば、住居、オフィス、公共施設が一体となった、新たなゲーテッド・コミュニティとなる。海と空からしかアクセスできない、離れ島のような富裕層向け居住区だ。ペネロペ湾では、トリヴィアの治安悪化と飽和状態に嫌気の差した富裕層が早速触手を動かし、湾岸の高級物件を抑えにかかっている。パラディオンの建設が本決まりになれば、有利な用地と利権を求めて巨額の金が動くだろう。それが呼び水となって、いっそう強固で閉鎖的なコミュニティが出来上がる。その後はトリヴィアと同じだ。同じ顔ぶれ、同じ資本がアステリアに跋扈し、構造も仕組みも固定される。そうなれば、小さな企業も果敢にチャレンジできた自由公正の気運も失われ、同じ過ち、同じ悲劇が繰り返される。一度、力で押し切られたら、あとはドミノ倒しだ。そう簡単には覆せなくなる。そうなる前に皆が結束することだ。今のように個々がばらばらの方を向いて、どちらに走ればいいか分からない状況では、指揮官のない船団みたいに、あっという間に蹴散らされる。だが、一つの指針と目的に導かれた大船団になれば、無敵艦隊も撃沈できる。要は誰がその絵を描き、大衆に納得させるかだ。パラディオンの目くらましにも決して左右されない、確固たるビジョンだよ

*

「アステリアに新しい指針が必要なのは分かるわね。このままだとファルコン・グループや有力者に食い荒らされ、せっかく芽吹いた自由公正の気運も死に絶えてしまう。ここなら存分に腕試しができると、技術力のある会社や有望な起業家が次々に集まり、本当の意味で切磋琢磨できる市場を開拓してきたけど、それも悪しき資本と政治力が結託し、新芽を摘みにかかれば、二度と萌え出ることはないわ。それもこれも『属領』『経済特区』という曖昧な位置づけゆえ。区民も違和感を感じても、自治権も選挙権もなければ為す術もない。だけども、アステリアにも百万人が暮らす海洋都市の建設が可能と分かれば、個々の意識も変わってくる。その絵を示せるのが彼だと、アルは言いたいのよ
「絵にそれほどの力があるの?」
「採鉱事業計画をMIG執行委員会で初めてプレゼンテーションする時、アルは採鉱プラットフォームのイメージをマルティン・オイラー氏に描かせたの」
「オイラーさんに?」
「水深三〇〇〇メートルの海底から鉱物資源を採掘しますといっても、予備知識のない人には何の事かさっぱり分からないでしょう。でも、採鉱プラットフォームのイメージを見せれば、人は瞬時にその概念を理解する。オイラー氏も専門ではなかったけど、ステラマリスで実際に稼働していた採鉱システムを参考に、アルのビジョンを具象化して見せた。それで執行委員会もアルが成したいことを理解し、話が前に進んだの。リングも同じよ。どれほど海の可能性や独立を説いても、言葉で伝えられることには限界がある。でも、理念を如実に表わす絵があれば、人は瞬時に理解する。建築パースやCM動画みたいに。かといって、実現不能な絵を示しても大風呂敷の夢想家と笑われるだけ。まして直径十五キロの二重ダムなど、誰が真に受けるの。そうではなく、きちっと技術検証を行い、実作可能と分かれば、人々の受け止め方も全然違ってくる。アルが密かに専門家を雇い、基礎設計や構造計算を依頼したのはその為よ。何も彼のアイデアをまるまる盗んで、自益とするのが目的ではないのよ」
「それでも難しいわ。誰も彼の話に耳を傾けなかったらどうするの」
「それも機運によるわ。物事にはそれを成す絶好の機会があって、そこに乗れば、案外すんなり行くものよ。ここ最近のウェストフィリアやペネロペ湾の動きを見る限り、世論が動くのもそう遠くない話でしょう。ここまで来てハヤブサ頭を見たくないのは誰しものことだから」
「だったら、尚のこと、本人と正面から話し合うべきでしょう。あの人は事情が解れば協力してくれる人よ」
「そうね。でも『人に頼まれたから』では駄目なのよ。自分で腹の底から必要性を実感しなくては。MIGでも企画を形にして成功に導く人には共通点がある。みな自分のアイデアに確信を持っていて、何が何でもこれを製品化したいという情熱があることよ。自身のアイデアを具現化する為なら、勉強や実験に五年十年とかかっても労苦を惜しまない。そういう強い動機と気概をもった人だけがアイデアを形にすることができるの。アルに頼まれて、「じゃあ、やります」程度の気持ちでは、到底世界の潮流を変えるようなものは生み出せないし、周りの人の心も動かせない。まして、あの人は二年後にステラマリスに帰るかもしれないのよ

Product Notes

未来の建築デザインも見ていて飽きないですよね。
『絵』としては、どれも斬新で、ユニーク。
絵だけなら、どんどん描けます。
だけども、実際にそこに住み、地元の経済や社会や環境にどんな影響を与えるか……となれば、別次元の問題です。
そのあたりが個人の芸術作品との大きな違いです。

Kindleストア