2018/06/05 改訂版 「親を捨てよ 家を出よう」「大学には行った方がいいの?」「好きなことをして生きるは正解か」を追記

Novella

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戯曲『星の王子さま』(寺山修司)現実社会で星はいかに輝くか

崇高な星の輝きは、現実に藻掻き苦しむ大人を決して見捨てたわけではない。 それらは確かに私達の真上に存在し、強い輝きを放っている。 それに気付けば、酔っ払いにも、落ちこぼれにも、星を掴むチャンスはあると分かるはずだ。 もしかしたら、童話の中で見つめる星よりも、勝利の輝きに満ちているかもしれない

能力の商品化 ~やりたい事と将来の選択(寺山修司の言葉より)

若い人が進路を選択する時、一番重要なポイントは「失敗したくない」の一言に尽きると思います。(飢えて、荒野に散ろうとも、オレは漫画家を目指す! みたいな熱血は除く) 日夜、メディアに踊る「○○議員、引責辞任」「○○会社、倒産」「芸人○○、どん底の今」「エリート一家に何が? 息子が父親を刺殺」「低所得に […]

人生以上、人生以下 寺山修司の『邪宗門』

この箇所で一番好きなのは、『人生以上でも、人生以下でもない』という表現。 存在の虚しさ、他者との関わりの空疎さを、一言で表せば、人生以上でも、人生以下でもない、となるだろう。 悲しい時に笑ったり、女房に相手にされないので人形相手に暮らしたり、現実にそういう暮らしをしている人は少なくない。

懐かしのわが家(遺稿)

ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう 青森市浦町字橋本の小さな陽あたりのいい家の庭で 外に向かって育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを

『おまえの時代』など永遠に来やしない 『ああ、荒野』寺山修司

新次が少年院を出て来て最初に耳にした「音楽」は村田英雄の「柔道一代」であった。 若いうちだよ きたえておこう いまにおまえの時代がくるぞ 泣きたかったら講道館の 青い畳の上で泣け それをききながら新次はパチンコ屋の地獄の雑踏に背中を洗われながら、じぶんのあまりにも早すぎた人生の挫折について、しみじみ […]

孤独とは慣れるのではなく、利用するもの 『ああ、荒野』より

人は子供の頃から「たくさん友達を作ろう」「人付き合いを大事にしよう」といったことは教えられても、「孤独を楽しみましょう」「一人の時間を大切にしましょう」といったことはほとんど教えらない。 学校=友達。 青春=友達。 良い人の条件=友達。 友達の数こそ人徳のバロメーターみたいに語られるから、「何が何で […]

去年の汽車に ことしのおいらが乗るってことはできないだろう

戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている (角川文庫) 時は足早に過ぎ去る。 自分は何も変わらないのに、世界の物事は物凄い勢いで傍らを走り去っていく。 過ぎ去ったものに、憧れても、悔やんでも、どうすることもできない。 それを諦念とするか、後悔のままとどめ置くかはその人次第。 ただ一つ、確かなのは […]

寺山修司の『ポケットに名言を』

言葉に、殺されたい──と思う。 それまでの世界も、自分自身も、粉々に砕け散って、真っ白な光に洗い流されるような衝撃の中で。 私にとって、寺山修司さんの言葉は、確実に殺してくれる一つだった。 キレイ事はいっさい書かない。 常識とも無縁。 なのに気高く、真実を突いている。 一番感銘を受けたのは、今はもう […]

母と息子の歪な愛 寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』

寺山修司と母・はつの親子関係を彷彿とさせる戯曲の抜粋と考察。「お互いに母子そっくり、幻滅しあい、にくみあいながら生活しているんですよ」といった親子の葛藤に併せて、「うそよ、臆病なのよ。世界を見るのがこわいのよ。いつもドアをそっとあけてそうのすきまからしか人生を覗き見できない自分が、みじめじゃない?」という美少女の台詞に代表される青年の自立も描いている。

文学か、自己啓発か 寺山修司 編著『人生処方詩集』

こんな詩を読んで慰むことができるような悩みなど、本当は病気というほどのものではあるまい。大体、生きることに自信を失いかけている者に「世界は円い。それにくらべるとおれたちはスラリとしている」という薬剤の処方をするドクトル・ケストナーはひどい食わせ物なのではないだろうか?

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