2018/06/05 改訂版 「親を捨てよ 家を出よう」「大学には行った方がいいの?」「好きなことをして生きるは正解か」を追記

キリスト教

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第5編 ProとContra 注釈

第五編のProとContra(原卓也訳では『プロとコントラ』)について ラテン語で「賛成と反対」「肯定と否定」などの意味をもつ。この変はドストエフスキー自身が長編の頂点をなす編と呼んでおり、またドストエフスキーの創作方法の本質がこの言葉に含まれているとする見方も多い。祠宇濾布スキーにはこの言葉のロシ […]

第五編 第4節-1 人間は近づきすぎると愛せない

『ぼくはこの神の世界を認めないんだ』というイワン。長兄のドミートリィに『墓石(無口)』と呼ばれ、一見、心の冷たそうなイワンだが、アリョーシャに対しては兄弟らしい情を示し、聞き上手なアリョーシャを相手に、素直に自身の考えや葛藤を語る。 「ぼくは身近な人間をどうして愛することができるのか、どうやってもわ […]

第五章 第五節ー1 真理は人間を自由にするはずだった → 自惚れから悪魔の側へ

殺した者と殺された者が互いに抱き合い、『主よ、汝は正し、汝の道の開けたればなり』と言うことができるのか。 現実的な視点から教えの矛盾を説き、「神の国への入場券を慎んでお返しする」というイワンとアリョーシャの対話は、叙情詩『大審問官』でクライマックスを迎える。 江川氏の注釈によると、大審問官とは「中世 […]

第六編 第一節-1 俗界で生きよ ~何が人間を強く、賢くするのか

死の床にあるゾシマ長老は、心から慕う若いアリョーシャに、「家族のもとへは行ったのだな、兄には会ったかの? あすも行くのじゃ、あとのことはほうり出しても、いそぐがよい。ことによると、まだいまなら恐ろしいことが起るのを防げるかもしれぬ。わたしは機能、あの人の大きな未来の苦しみの前に頭を下げたじゃ」と、将 […]

第五編 第四節-2 無垢な涙の上に万人の楽園を築けるか?

虐待される子供の悲劇を目の当たりにして、イワンは無神論へと傾いていく。それは神を皮肉る虚無ではなく、神の創った世界(規範)の中で生じる理不尽に対する憤りであり、子供への憐れみの気持ちだった。 それでも、信仰心の篤いアリョーシャは、「反逆です」とイワンの理に異を唱える。 「それは反逆です」 アリョーシ […]

ゲッセマネの園 イエス・キリストの苦悩

十二人の弟子たちと最後の晩餐を終えたイエスは、弟子のペトロ・ヤコブ・ヨハネを連れて、ゲッセマネの園に向います。イエスは天の父に祈りました。「父よ、できるなら、この杯を私から取りのけて下さい。しかし、私の望みからではなく、あなたの御心のままに」。自らの運命を知るイエスの決意と葛藤が感じられる名場面です。

死刑制度をどう考えるか 映画『デッドマン・ウォーキング』

死刑囚の精神的アドバイザーを務めるシスター・ヘレンは、死刑宣告されたマシューと面会するうち、死刑が本当に解決策なのか疑問を抱くようになる。一方、我が子を殺された遺族は激しい憎悪をつのらせ、死刑にすべきとの態度を崩さない。死刑囚と遺族感情の間でヘレンは苦悩しながらも、最後までマシューに寄り添うことを決意する。

映画『ベン・ハー』~聖書とキリスト教の物語~

大きな十字架を背負い、刑場へと向かうナザレの人を見て、ベン・ハーは叫びます。「この人は、僕に水と生きる力をくれた人だ。この人が一体何をしたというのだ?!」「この方は、人類のあらゆる苦痛を一身に背負うために、この世に生を受けられたのだ。ご覧、あの十字架に、人間のあらゆる罪が重くのしかかっているようではないか。これは終わりではない。始まりだ。いずれ、世界中の人々がこの方に付き従って行くだろう」

ドストエフスキーの名作『罪と罰』米川正夫(訳)の抜粋 / 『謎とき 罪と罰』江川卓

超個人主義に徹する貧しい大学生ロジオン・ラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』 『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という論理のもと、強欲な高利貸の老婆を殺害し、奪った金を有効に使おうとする。不朽の名作を米川正夫訳で紹介。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と蠍の火 ~まことのみんなの幸のために

どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください、こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。

神は言葉なり 真理が世界を支配する『ザ・ウォーカー』

人間の本性が善でなければ――あるいは、欺瞞よりは誠実を、混沌よりは秩序を、尊ぶものではないとするなら、聖書もこれほど人と深く結びついたりしない。パウロが何を言い聞かせても、社会の隅々まで行き渡っても、一時のブームで過ぎ去り、イエスの言葉などとおの昔に忘れ去られていただろう。

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