性に関する話題

なぜ小児性犯罪には厳罰が科せられるのか 映画『世紀のスクープ スポットライト』

日本で『小児性犯罪』といえば、何もかもいっしょくたに語られがちだが、『表現の規制』と『ゾーニング』は違うし、『マンガやアニメの表現』と『実在の子供の人権』は似て非なるものだ。なにかといえば、表現の規制だ、独裁だ、と、過剰な反応がかえってくるのも、個々に異なる問題を同じ線上に捉えて、是か非かで結論づけ […]

セカンドレイプと裁判 映画『告発の行方』ジョディ・フォスター

世界的な#MeTooに先駆けて、ジョディ・フォスターが体当たりで演じたレイプ裁判の実態を画像付きで解説します。被害者でありながら病院や警察の取り調べでは辱められ、世間には「同意の上」と非難される性犯罪。被害者が圧倒的に不利な中、弁護士は犯人を有罪にすることができるのか。法の盲点を突いた社会派ドラマの傑作。

暴力かSMか・共存する愛と支配 映画『愛の嵐』

半裸の少女がナチス将校の衣装をまとい、両手で胸元を隠して、マレーネ・ディートリッヒの曲を儚げに歌う場面で有名。将校マクシミリアンと囚人のルチアは、戦後、見知らぬ他人として再会するが、再び激しく求め合う。『私は第三帝国に仕えたことを誇りに思う。再び生まれても同じことをするだろう』『僕はあえてドブネズミの人生を選んだんだ。夜、働くのには訳がある。光だよ。私には光が眩しいんだ』の台詞が印象的。

映画『エイリアン』の生殖とエロティシズム 

エイリアンをデザインしたH・R・ギーガーの芸術を味わう作品でもあります。H・G・ギーガーの作品の根底にあるのは『性』や『生殖』であり、『エイリアン』もそれを受け継いでいる──という一文がありました。 どこで目にしたかは覚えていませんが、「なるほど」と納得行ったものです。 それも含めて、セックスと生殖から見た「エイリアン」のレビューを書いてみようと思います。

映倫のボカシがぼかした作品の本質 サイコスリラーの傑作『羊たちの沈黙』

バッファロービルは性倒錯ではない。自分自身を嫌って『変身』を望んでいる。推理の鍵となる女装ダンスの場面(被害者の生皮を被って鏡の前で全裸で踊る)に挿入された映倫のボカシのせいで、作品の本質までぼやけてしまった日本の劇場公開版に対する異議を動画と画像で説く。

映画『SHAME -シェイム- (恥)』愛してはならないものを愛した時

本来、『恋』や『愛』というのは、この世の規範や常識を超えたものだ。男が男を、女が女を、妻子や婚約者のある人を、親子ほどに年の離れた人を、血の近い人を、立場的に禁じられている人を、思いがけなく好きになってしまう気持ちはどうしようもない。「止めよう」と決めて止められるものならそれは恋ではないし、本気で恋 […]

映画『ボクシング・ヘレナ』 愛する女を箱詰めに /『エニグマ』サッドネス

叶わぬ恋心を遂げる為、男は女の両手両足を切断し、自宅に監禁する。ショッキングな設定ながら、世話する者とされる者の間で次第に愛と信頼が芽生え、二人の恋は意外な方向に開けていく。母親との異常な関係から性的に不能となった男と、それを解き放つ女の、心と肉体の交流も美しく描かれています。BGMとして大ヒットしたエニグマの『サッドネス』も併せてどうぞ。

「非実在青少年」アニメ・マンガ表現規制 と 竹宮恵子「風と木の詩」

「性」というものを考える時、大人はとかく医学的、あるいは倫理的立場から論じようとするけれど、本質はもっと人間くさく、生命の本能に根ざした凄まじい欲求であり、「性への理解」が目指すゴールは「真実の愛」である。「避妊」や「防犯」ではない。

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