タグ:カラマーゾフの兄弟

いかにして我は無神論者となりしか 『カラマーゾフの兄弟』随想(9)

俺は神を認める。それも喜んで認めるばかりか、それ以上に、われわれにはまったく計り知れぬ神の叡知も、神の目的も認めるし、人生の秩序や意味も信じる。われわれがみんなその中で一つに融和するとかいう、永遠の調和も信じる。

幸福とはどこにあるのでしょう? 『カラマーゾフの兄弟』随想(5)

かりに幸福に行きつけぬとしても、自分が正しい道に立っていることを常に肝に銘じて、それからはずれぬように努めることですな。実行的な愛というのは仕事であり、忍耐であり、ある人々にとってはおそらく、まったくの学問でさえあるのです。

育児放棄された三兄弟の行く末 『カラマーゾフの兄弟』随想 (3)

彼らは既に父親に殺された息子たちであり、その代わりとなるものを修道に見出したアリョーシャを除いては、いずれも父=神不在の人間である。現実に生じる父親殺しの種をまいたのは、他ならぬ父親自身であり、ドミートリィもイワンも育児放棄された時点で正道から見放されたといえなくもない。

現代の精神的指導者『カラマーゾフの兄弟』随想(2)

長老とは、すなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人にほかならない。いったん長老を選んだならば、あなた方は自己の意志を放棄し、完全な自己放棄とともに、自分の意志を長老の完全な服従下にさしだすのである。

社会主義と宗教『カラマーゾフの兄弟』随想(1)

『罪と罰』もそうだが、本作にも「神の在・不在」をテーマにしたエピソードが繰り返し登場する。その中で、ドストエフスキーは存在するとも存在しないとも断言してないが、結局のところ、人は『それ』を求めずにいない……というのが彼の解釈ではなかろうか。

Top