エア・ライティングのすすめ 無意識で書く

エア・ライティングのすすめ 無意識で書く

『文章上達したい』『たくさんのファンが欲しい』という方、たくさんいらっしゃると思いますので、ちょっとだけTipsを書いておきます。何かの参考に。

自分で理解できる以上のものにはなれない

まず、『自分が理解できる以上のものにはなれない』という原理原則を自覚しましょう。

たとえば、小学一年生に、経済学者が書くようなレポートは書けないですね。

文学部きっての秀才でも、システムエンジニア向けのマニュアルは書けないと思います。

つまり、自分が理解できる以上のものは書けない。

日頃、読んでいるもの、それがあなたの到達できるレベルです。

言い換えれば、自分が理解できるレベルを上げれば、自ずと文章力も付いてくる。

小学生でも、科学雑誌ニュートンやC言語入門を読みこなす知識や読解力があれば、そこまで到達できる、という話です。

だからといって、あれもこれも達人になろうと背伸びすることはありません。

自分の得意な分野を伸ばせばいいのです。歴史、科学、妖怪、恋愛、いろんなジャンルがありますね。その中で読んで苦にならないものを、どんどん吸収すればいい。たとえ経済は分からなくても、妖怪の分野で一番になれば、自ずと妖怪仲間が付いてきます。たとえニッチなジャンルでも、四方八方に媚びを売って消耗するより、気の合う妖怪仲間と切磋琢磨した方が楽しいでしょう。ベストワンよりオンリーワンを目指せ、というのは、そういう意味だと思います。

テーマを定める ~書いて、何がしたいのか

漠然と作家になりたい、凄いSFファンタジーを書きたいと思い描いても、大したものは書けません。いずれネタも尽きて、成長も頭打ちになります。

一番大事なのは、生涯のテーマを定めること。「書く目的」というのを自分の中で明確にすることです。

『テーマ』というのは、SFとか、歴史とか、そういう意味ではありません。

作品の核になる思想です。

たとえば、ドストエフスキーは、キリスト教的人道主義に基づき、罪とは何か、救済とは何か……ということを、生涯、考え抜きました。

山崎豊子は、医療、金融、航空業界、第二次大戦といった社会問題を通して、正義とは何か、経営倫理とは何か、といったことを、世に問い続けました。

テーマを語る上で、青年の老婆殺しや大学教授の誤診が話として格好の材料だっただけで、もしドストエフスキーが宇宙科学に精通した人なら、宇宙植民地を舞台にそういう話を書いただろうし、山崎豊子が歴史大好きなら、池田理代子のような創作史劇を通して、正義や倫理について問いかけたと思います。

つまり、物語のジャンルや小道具や背景は、テーマを際立たせる要素の一つであって、それ自体が目的ではありません。漠然と「凄いSFが書きたい」と思っても、仕掛けにこだわり過ぎて、肝心の主題が何も伝わってこない……という結果になりがちです。

それよりも、自分はコラムや小説を通して、何を訴えたいのか。

生涯かけて体現したいものは何か。

それを明確にするのが第一義です。

だからといって、高尚さや希少さに拘る必要はありません。

団鬼六のように、徹底してエロスを追求するのもいいし、司馬遼太郎のように、戦国の武将を通して人間の生き様を表現するのもいい。

「凄いエロを書く」のが第一義ではなく、緊縛とかサディズムの中に、何かしら、人間の業や女の美しさを感じるから、そのような作風になるだけで、表現の手段が絵でも、彫刻でも、目指すものは変わりないと思います。

今、こういうジャンルが売れているから、と真似して、小手先で作っても、永久に自分のものにはなりません。

さほど突き詰める気もないのに、皆やってるから、やりやすいから、という理由だけで飛びついても、やはり頭打ちになるでしょう。

二次創作の同人誌でも、流行でやる人と、心底からそのキャラに惚れ込んで、いじくり回す人では、作品の熱量が違うし、それは読み手にも伝わります。(愛があふれてる、ってやつ)

「どうしたら作家になれますか」と尋ねている間は、本物の作家にはなれません。

本物の作家は、「どうしたらこのテーマを形にできるか」で悩むものです。

補足

日本の児童文学の最高峰といえば、『ぐりとぐら』が有名ですが、全部、平易な文章で書かれて、小学校低学年でも一人で読むことができますね。
じゃあ、あの程度なら、大学生なら誰でも書けるかといえば、決してそうではありません。
子供の読解力、興味、心理の発達段階など、様々な理解があって初めて、子供も大人も楽しめる作品になるものです。
難解=理解力では決してありません。
それでも、子供への理解を深める為に、学術書や海外児童文学などを読みこなす力を付けるのは必須でしょうし、たとえ短い文章でも、その人の知性や感性が現れるのは確かだと思います。

一気に書く 止まらない、投げ出さない

書いてる途中で「詰まる」こともあるでしょうけど、一旦、書き始めたものを、途中で筆を置いてはいけません。たとえ結末が陳腐でも、文章が途切れ途切れでも、必ず最後まで書き上げる。それが上達への近道です。途中で投げ出す癖が身についたら、結局、何一つ完成できずに終わるからです。
たくさん書く必要はありません。たとえ十七文字でも、三行詩でも、完結すれば、それは『作品』です。
まずは完成する悦びをたくさん積み重ねることです。

情報収集・分析・実施・考察・評価の思考を身につける

『情報収集・分析・実施・考察・評価』というのは医学論文の基本のスタイルです。

たとえば、肝移植に関する研究をレポートする場合、

1) 情報収集・・患者の状態(性別、年齢、病状など)、肝移植に必要な知識と技術

2) 分析・・患者の状態に応じた術式を検討

3) 実施・・どのような手術を施したか

4) 考察・・その結果、どんな効果が現れたか。また副作用はなかったか

5) 評価・・全てのプロセスを振り返って、良かった点、悪かった点、今後の展望

これだけの思考過程が必要になります。

それは小説やコラムや詩でも同じこと。

たとえば、坂本龍馬を主人公にした人間ドラマを書くなら、龍馬がどんな人物で、当時の社会情勢はどうだったか、どんな教育を受け、どんな書物を好んだか、いろいろリサーチすると思います。
その中で、「自分の中の龍馬像」を確立すると共に、自分は龍馬の生涯を通じて、何を伝えたいのかを掘り下げる。これが分析です。
次いで、ストーリーを組み立て、全体を俯瞰する。
それを客観的に見て、話が破綻してないか、史実と大きく違ってないか、いろんな角度から考察します。
その過程で、情報収集や執筆の途中には見えなかったものが浮き彫りになることもあるし、自分の結論自体が誤りだと気付くこともあるでしょう。
それを何度も繰り返して、ブラッシュアップする。
いわば「書く」という行為は、自己表現であると同時に、自己分析や自省の結果でもあります。
考察や評価を欠いたものは、偏った内容になりがちだし、自分の作品を疑うことがなければ、新たな切り口は見えてきません。いずれマンネリ化して、読者も離れていくと思います。(もうお腹いっぱい、また○○節が炸裂、とか言われる)
もしかしたら、それは初期のファンを大きく裏切ることになるかもしれませんが、変われば変わったで、また新たなファンが付くものです。
中には、絶えず進化し、どんどん皮が剥けていくあなたの事が大好きというファンもできるかもしれません。そうなれば生涯の友達ですね。
変わらない、というのも一つの方法かもしれませんが、成長を感じさせる作家はもっと魅力的だと思います。
一緒に悩んだり、躓いたり、それでも付いてきてくれる人が、本物のファンではないでしょうか。

結論にこだわらない ~自分の中で反証する

何かを書く時、多くの人は「結末ありき」で書き始めると思います。

たとえば、「セクハラは絶対に駄目!」みたいな主張です。

だけども、いろんな立場に立って考えれば、必ずしも『悪』とは言い切れない部分も出てきます。最近ではカトリーヌ・ドヌーブが世界的なセクハラ・ムーブメントに異議を唱えたように、本当に相手の女性が好きで、上手に気持ちが伝えられなくて、「キモい」と嫌がられるようなケースです。

確かにセクハラは看過すべきでない。でも、セクハラと、本気の恋と、どこでどう見分けるのか。男性が女性に言い寄っただけで、「ハラスメント」と断罪されるような世の中になったら、恋愛のハードルが更に上がってしまわないか、男性の本音はどうなのか、エトセトラ。

そこを掘り下げるのが、コラムであり、小説の面白さです。

最初から最後まで、「セクハラは駄目!」で通すのもいいけれど、その過程で、全く違う立場から問題を検証してみる。それが反証です。

反証は、文章の深みを増し、読み手にも想像や考察の幅を与えます。

人間や社会が膠着するのは、「セクハラは絶対に駄目!」で固定してしまうからですね。

もちろん、女性が心身ともに傷つくような暴力は社会的に根絶しなければなりません。

一方で、セクハラと誤解される男性の苦悩も、ほんの少し想像してみましょう。

0か1かの結論ではなく、「自分は1と思うが、0という考えもある」という幅を持たせることで、文章の好感度や影響力はもっと上がると思います。

無意識で書く ~書きながら、三行先を考える

上記に関連しますが、書いている間は、思考を柔軟にすることが、面白さを増す秘訣です。

最初から「結論ありき」で、強引にそこに持っていこうとすると、読んでて息苦しい、押しつけがましい印象を与えてしまいます。

それよりも、結論にこだわらず、書きながら三行先を考える。

その結果、最初とは全く異なる結論に着地することもありますが、それがライブの面白さであり、思考の幅だと思います。

その為には、頭の中を空っぽにして、無意識から言葉を引き出す。

自分でも思いも寄らなかった一文が出てくると思います。

いわば、文章の源というのは、情報や結論の、さらに向こう側にあり、たとえるなら無意識のプールのようなものです。

そこには、日頃あなたが思うこと、感じるもの、興味、経験、知識、嗜好といった、無意識の世界が広がっています。

そこから芋づる式に言葉を引き出す。

それが「三行先を考えながら書く」の極意です。

無意識の世界は無限です。

あなたが日頃、感じ、考え、読み、聞き、歩き、経験すればするほど、無意識のプールは膨らんでいきます。

そこから芋づる式に言葉を引き出せば、ネタ切れになることもありません。

書きながら、いつも新しい自分に出会い、思考も深まる、というような体験をするでしょう。

もちろんテーマや素材に対する拘りは重要ですが、一方で、自分の結論や思い込みから自由になることも大事です。

自分が強く意識することよりも、無意識の世界にスイッチを入れ、あとは自動筆記で書き出せば、いろんなスタイルで書けるようになると思います。

文章は推敲する時に上達する

文章力というと、「原稿用紙を埋めること」「美文であること」と思われがちですが、本物の文章力は、「自分で自分の書いたもの粗や間違いが分かる」ことです。

なぜ、下手な人は、下手なままで終わるか……といえば、自分で自分の書いたものを直す力がないからです。

誤字や脱字は言うに及ばず、全体の構成、細部の表現、結論、等々、自分で自分の粗や間違いに気付かないようでは、永久にそのままですね。

言い換えれば、自分の粗や間違いに気付くということは、それを書いた時よりも成長している証です。

売れっ子漫画家が、初期の作品を見て、「よくこんな下手なデッサンでデビューできたなぁ」と苦笑するのは、それだけ上達したからでしょう。

文章もそれと同じ。

書いている時は夢中で気付かなかった語法の間違いや陳腐な言い回し、構成の矛盾や結論の拙さに気付くのは、日々、成長している証です。

自分の作品を、完全に第三者の目で見直して、「ここがおかしい」「面白みにかける」と冷静に分析できること。

それが文章上達に絶対不可欠な条件です。

いわば、成長というのは自省と修正の積み重ねで、量産することが目的ではありません。

自分の原稿を見返して、「この箇所がおかしい」と気付いた時、あなたは二歩も三歩も上達しているはずです。

エア・ライティングとは何ぞや?

エア・ライティングというのは、近所のスーパーに出掛けるまでの間に、一本、頭の中で詩やコラムが書けることをいいます。

パソコンやノートがなくても、頭の中で言葉を組み立てるスキルが身につけば、書き上げるスピードも、推敲力も、格段に異なります。

映画『天使にラブソングを 2』で、主人公のシスター・ドロリスが、歌手を志望しながらも勇気が出ない女子高生に、リルケの「若き詩人への手紙」を見せて、こんなエピソードを紹介します。

ある男が「作家になりたいから作品を見てくれ」とリルケの元を訪れたところ、リルケは「わたしに聞くな。もし朝目を覚まして、物を書くことしか考えられなくなったら、君は作家だ」と答えた、という話です。

つまり、「どうやったら作家になれますか」「何を書いたら売れますか」「私には才能がありますか」「作家を目指すべきでしょうか」と考えているうちは、たとえ書く力があっても、作家にはなれないということ。

作家というのは、書きたいものがあって、誰に何を言われなくても、書き上げる人のことを総称するのであって、資格試験があるわけでもなければ、誰かが太鼓判を押してくれるものでもありません。

朝目覚めた時、既に頭の中に書きたいテーマがあって、一刻も早くそれを仕上げたいと机に向かう――それが作家です。躊躇も恐れもありません。

エア・ライティングというのは、まさに朝から晩まで書くことしか考えない状態を言います。

二十四時間、作品が頭の中に溢れているので、ネタ切れもなければ、行き詰まることもありません。

そこまでなって、初めて、自分にとっての書くことの意義が分かると思います。

そして、そこまで到達した時には、人生にも奇跡が起きるよ……という話です。

エア・ライティングという言葉はあるのかな、と思っていたら、こちらで既に書かれていました。参考までに。
好事館 http://kouzukan.net/diaries/2017/08-06-post1

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